おじさんのスポーツおたく奮戦記? 第2章:issanの諸国漫遊記!?

岡山のスポーツチーム、出身選手、岡山に関係する人々などを勝手に応援するissanの日本国内漫遊記 !?

鎌倉執権の16人 !?

2022年01月30日 22時22分00秒 | 大河ドラマ

今年の大河ドラマは鎌倉幕府2代執権となる、北条義時を主人公とする源平合戦から鎌倉幕府初期の人間模様を描きます。


出典:https://kamakuratrip.com/kamakura13/

頼朝の死後、2代将軍・頼家の時代となった時、幕府は当時の有力者13人による合議制へと移行しました。その13人が今回の主題ですが、脚本が三谷幸喜なので奇想天外なドラマになることは間違いないでしょう(笑)



その「鎌倉殿の13人」とは、以下の13人です。

北条義時
北条時政
梶原景時
比企能員
安達盛長
和田義盛
大江広元
三善康信
三浦義澄
中原親能
二階堂行政
足立遠元
八田知家


既にドラマに登場している人物もいますが、多くはこれからですね。

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ところで、室町幕府の足利将軍15人や江戸幕府の徳川将軍15人と比べても、ほとんど知られていない鎌倉幕府の将軍9人と執権として政を掌った北条氏の執権16人についてはあまり知られていません。その鎌倉将軍と執権について系譜をたどってみます。

【鎌倉将軍】
初代 源 頼朝 (在職:1192年7月12日~1199年1月13日)
2代 源 頼家 (在職:1199年1月26日~1203年9月7日)
3代 源 実朝 (在職:1202年9月7日~1219年1月27日)
4代 藤原頼経 (在職:1226年1月27日~1244年4月28日)
5代 藤原頼嗣 (在職:1244年4月28日~1252年2月20日)
6代 宗尊親王 (在職:1252年4月1日~1266年7月4日)
7代 惟康親王 (在職:1266年7月24日~1289年9月14日)
8代 久明親王 (在職:1289年10月9日~1308年8月4日)
9代 守邦親王 (在職:1308年8月10日~1333年5月21日)

頼朝亡き後は、2代・頼家、3代・実朝も既に飾り物の将軍に過ぎなかったのですが、4代以降はいよいよ歴史の表舞台に顔どころか、名前すら出て来ないという薄っぺらい存在でした。
あの、元寇を迎え撃った時の8代執権、北条時宗は有名ですが、その時の将軍が誰であったかなどは歴史にも登場する価値すらないということのようです。


出典:http://trendydevil.work/2022/01/07/kamakuradenno13nin_taiga/

では、実際に政を掌った北条氏の執権16人を確認しましょう。

【鎌倉幕府執権】

初代 北条時政 (在職:1203年~1205年)
2代 北条義時 (在職:1205年~1224年)
3代 北条泰時 (在職:1224年~1242年)
4代 北条経時 (在職:1242年~1246年)
5代 北条時頼 (在職:1246年~1256年)
6代 北条長時 (在職:1256年~1264年)
7代 北条政村 (在職:1264年~1268年)
8代 北条時宗 (在職:1268年~1284年)
9代 北条貞時 (在職:1284年~1301年)
10代 北条師時 (在職:1301年~1311年)
11代 北条宗宣 (在職:1311年~1312年)
12代 北条煕時 (在職:1312年~1315年)
13代 北条基時 (在職:1315年~1316年)
14代 北条高時 (在職:1316年~1326年)
15代 北条貞顕 (在職:1326年~1326年)
16代 北条守時 (在職:1327年~1333年)

歴史のエアポケットとも言える鎌倉時代に少しでもスポットを当てるきっかけになるかどうか? まあ、これからに注目しましょう。

源平合戦が描かれることになりますが、頼朝配下につく板東武者の多くは平氏の血縁であったことは描かれるのか? まあ、それはどちらでも良いのですが(笑)

大河は最近面白くなってきましたから、楽しみではありますね。

雑念は捨てて、この際楽しみましょう。
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復習『御三家』と『御三卿』

2021年02月15日 07時56分00秒 | 大河ドラマ

麒麟ロスの皆様、如何お過ごしでしょうか?

正直、issanもロスっています(苦笑) やはり、大河は戦国が王道だと感じました。


出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000781.000022608.html

大河には「困ったら戦国回帰」という言葉があるようですが、日本人の戦国好きというのは筋金入りだと感じる今日この頃です。

かつては、この戦国と並んで王道とされた『忠臣蔵』だったのですが、昨今では仇討ちものに強い需要がないようで残念です。issanとすれば仇討ちものならば、荒木又右衛門の『決闘、鍵屋の辻』も絶対に扱ってほしいのですが、今はそれも詳細に描けば描くほどに問題が噴出するということもあってやりたがらないのでしょうね。

ということで、戦国を扱わない大河となればもう二本柱は「源平」と「幕末」です。


出典:https://natalie.mu/eiga/news/407429

今年の大河は幕末から明治・大正・昭和に至る渋沢栄一を描いた『青天を衝け』ですね。
経済人である渋沢栄一を大河で描くとなれば、どうしてもストーリーが地味にならざるを得ません。今回は、五代友厚役をディーン・フジオカが朝ドラ「あさが来た」に続いて演じるという話題性はありますが、朝ドラと大河の位置づけは違いますので、どこまで効果があるのでしょうか?

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折角、幕末が出てきて一橋家の徳川慶喜も登場するので、徳川『御三卿』とは何ぞやという疑問も湧いてくるでしょう。

そこで、徳川幕府を語るときに必ず出てくる『御三家』と『御三卿』について復習しようと思います。

【御三家】

これは、もう知らない人はいないでしょう。徳川『御三家』は将軍家に次ぐ分家筋で将軍に後継者がない場合には、御三家(厳密には官位・官職の低い水戸徳川家は除外されていました)のいずれかから養子をとり、次期将軍候補とするというのが当初の役割でした。
家康九男の徳川義直を始祖とする「尾張徳川家」
家康十男の徳川頼宣を始祖とする「紀州徳川家」
家康十一男の徳川頼房を始祖とする「水戸徳川家」

実際に将軍家は7代・家継が8歳で死去したことにともなって宗家が断絶しており、紀州の徳川吉宗が養子となって8代将軍についたというのは、日本人なら全員が知っていることです。以降、14代将軍の家茂までは紀州家の血筋が続きました。

そして、第15代将軍に就くのが一橋家出身の慶喜です。これも歴史教科書に出ていますから知らない人はもぐりです。慶喜はご存知のように水戸徳川家の血筋ですが、一橋家の後継が絶えた際に一橋家へ養子として入った後でしたから、厳密に言うと水戸家からの将軍輩出ではありません。

元々は、尾張徳川家と紀州徳川家に加えて、同等の大納言家であった「駿河徳川家」を御三家としていましたし、館林徳川家の綱吉が5代将軍となったり、甲府徳川家の綱豊(後の家宣)が6代将軍になるなどで、改易された駿河家(これも有名な駿河大納言忠長)とともに、館林家、甲府家も絶えることとなった為に水戸家が中納言家にもかかわらず御三家に昇格したという経緯をもって、「水戸家からの将軍世継ぎはない」とされていました。
上記のことが、昨日の大河の中での徳川斉昭の言葉になっていますね。
更に余談ですが、水戸黄門のドラマの中での決まり文句「先の中納言、水戸光圀公にあらせられるぞ。一堂の者、ご老公の御前であるぞ、頭が高い、控えおろう」に出てくるのが、水戸家が中納言家であったことを表しています。

では、将軍になれない筈の水戸家から将軍を輩出したとされる慶喜に関してですが、ここで『御三卿』がクローズアップされます。



【御三卿】
8代将軍吉宗は、家康の曾孫に当たりますから、宗家の血がそこまで薄まってはいないと考えられていますが、それでも宗家と御三家の血縁はかなり薄くなっていました。それとともに、紀州家出身の吉宗とすれば、尾張家との対立激化の時節を鑑みるに、将軍後継者争いがかつての戦国の世の再来ともなりかねない事象でした。その保険でもなかったのでしょうが、吉宗は自らの血を引く者を将軍後継者として残したいという意図もあったのではないかと思います。

その『御三卿』とは・・・、
吉宗次男の徳川宗武を始祖とする「田安徳川家」
吉宗四男の徳川宗尹を始祖とする「一橋徳川家」
家重次男の徳川重好を始祖とする「清水徳川家」

の三家です。

実質的には14代家茂までが紀州家の血を引いていますので、『御三卿』から将軍の輩出したのは15代将軍慶喜が最初で最後ということになります。しかも、慶喜は水戸家の血筋ですから、直接的な吉宗の血縁ではありません。

この辺りが、長く続いた徳川幕府のややこしい点でもあります。

公式には、一橋慶喜が将軍になったのですから、御三卿の一つから将軍を出したことになります。格とすれば御三家に劣る御三卿であっても、当時の幕府からすれば御三家よりも強い血縁である御三卿から将軍を出す方が現実的だったということでしょう。

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「徳川宗家は7代で絶えた」ことになってはいますが、これも厳密に言えば家継は甲府家の血筋であり、家康の直系が将軍職にあったのは4代の家綱までとなります。幕府の後半は、紀州家が実権を握っていたというお話でした。


出典:https://netlab.click/jphistory/tokugawa_rekidai

代々の将軍がこの職に就いていたのはどれくらいの期間であったかをチェックします。

①家康・・・2年
②秀忠・・・18年
③家光・・・28年
④家綱・・・29年
⑤綱吉・・・29年
⑥家宣・・・3年
⑦家継・・・3年
⑧吉宗・・・29年
⑨家重・・・15年
⑩家治・・・26年
⑪家斉・・・50年
⑫家慶・・・16年
⑬家定・・・5年
⑭家茂・・・8年
⑮慶喜・・・1年


在任期間を加算すると年数が合わないのは、月数を四捨五入しているからで、ご容赦ください。

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