昨日、ジップアリーナ岡山へ行った際にアリーナの隣の岡山偕行社を写してみました。偕行社は1877年に旧日本陸軍の全将校の社交、研究団体として設立された団体です。戦前は刊行物の発行、軍人の犠牲者の救済、宿舎や喫茶店の運営を行いました。
カムカムエブリバディでは何度も登場した建物です。かつて第十七師団練兵場だった県営グラウンドに建っていたものです。
ジップアリーナやシティライトスタジアム、岡山偕行社などが建っている県総合グラウンドの補助陸上競技場で練習を重ねている天満屋陸上競技部の選手が岡山から世界へ挑む姿は地元にも力を与えてくれます。
前田穗南が2時間18分59秒の日本新「狙っていたのでうれしい」野口みずきの記録を19年ぶり更新 3枠目のパリ五輪代表候補1番手に
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/dailysports/sports/20240128066
※以下、引用です。
「大阪国際女子マラソン」(28日、ヤンマースタジアム長居発着)
2位でゴールした前田穂南(撮影・中田匡峻)
今夏のパリ五輪の出場権をかけたマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)ファイナルチャレンジとして行われ、21年東京五輪代表の前田穂南(27)=天満屋=が2時間18分59秒で、05年のベルリンマラソンで野口みずきがマークした2時間19分12秒の日本記録を塗り替えた。設定記録の2時間21分41秒も突破して日本人トップの2位でゴールし、パリ五輪代表3枠目の1番手となった。
レース後のインタビューでは「今回日本新記録更新を狙っていたのですごくうれしい。後半は風が強く吹き、雨も降って、最後どうなるかわからなかった。沿道の応援が力になって、最後まで出し切ることができた」と振り返った。
今大会へは阪神・岡田監督の流行フレーズにちなんで、「目標は“アレ”です」と意気込んでいた。レース後にアレが何を意味していたのかと聞かれると「日本新記録更新です」と打ち明けた。その言葉通り、ペースメーカーは日本歴代2位の記録を持つ新谷仁美(積水化学)が務め、5キロ地点では2時間21分41秒の設定記録を上回るハイペースでレースが進んでいた。前田は21キロで先頭集団を抜け出すと、リードを広げていった。
32キロ付近では父が沿道で並走し、母が声かけで応援する姿も。優勝したエデサ(エチオピア)に抜かれペースが落ちかけたが、踏ん張った。
パリ五輪代表選考では、昨秋のMGC1位の鈴木優花(第一生命)と2位の一山麻緒(資生堂)が出場権を獲得。3枠目は資格を持つ選手の中でファイナルチャレンジ(大阪国際女子、名古屋ウィメンズ)で設定記録の2時間21分41秒の突破者がいれば、その最上位者に決まり、突破者がいなければMGC3位の細田あい(エディオン)になることになっていた。
現時点で3枠目の1番手に浮上した前田は「まだどうなるかわからないが、今の力をしっかり出し切ることができたので、今はすごくうれしい。パリでしっかり世界と勝負して走っていきたい」と決意表明した。
天満屋は2000年のシドニー五輪(山口)以降、アテネ(坂本)、北京(中村)、ロンドン(重友)と4大会連続でマラソン代表を輩出し、小原が1秒差で逃したリオデジャネイロでは代表を出せませんでしたが、東京五輪では前田がMGCを制して代表になりました。パリ五輪に前田が連続出場すれば、2000年以降の7度の五輪で6度マラソン代表を輩出することになります。
残る選考レースは3月の名古屋ウィメンズマラソンのみです。このレースに出場した選手が日本記録を更新しない限り、前田穂南の2大会連続の五輪代表に内定します。
五輪の女子マラソンには岡山出身の有森裕子が出場した1992年のバルセロナ(銀メダル)、1996年のアトランタ(銅メダル)を合わせると、五輪の女子マラソンは岡山に縁のある選手が連続して出場していることになります。
五輪に出場した各選手に共通するのは学生時代にはほとんど無名で実績も残していないという点です(高校時代に高校駅伝で優勝した重友だけは地元での知名度は高かったのですが)。無名の存在から地道な努力で五輪出場を掴んだ選手たち。2度目に五輪に出場できるなら前田にはメダルを争うレースを期待したいと思います。
さて、名古屋に出場するであろう選手の中には、先だって2時間20分を切る記録で走った新谷仁美がいます。破る可能性があるとしたら新谷が一番手のように思いますが、岡山の企業に所属する前田と興譲館で重友と同級生だった総社出身の新谷が五輪を争う構図となれば、地元としても大変なことになるやも知れません。
岡山偕行社の横にある池では鴨たちがのどかに漂っていました。
岡山が様々なスポーツ競技によって元気付けられるのはとても嬉しいことです。今年は岡山に風が吹いているかも知れませんね(笑)