兼て耳驚したる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て風雨を凌。暫時千歳の記念とはなれり。
五月雨の降のこしてや光堂
「鎌倉殿の13人」では、毎週誰かが亡くなりますね。先週、九郎判官義経がなくなり、前回で奥州藤原氏も滅びました。今回の大河においては、源平合戦も義経の最期も主題ではないので、この時期になったのでしょうが、ふと上記の芭蕉の句が浮かびました。
曾良本によると、初案は「五月雨や年々降て五百たび」だったようです。芭蕉が平泉を訪れた当時、奥州藤原氏が滅亡して丁度500年となることを意味した句であったようです。時の流れの中に佇む歴史を表現したかったようですが、「五月雨の降り残してや光堂」と直すことによって、五月雨に朽ち果てて行った周りの風景の中で、まるでそこだけ雨が降らなかったかのような金色堂の輝きを際立たせて表現したのではないかと思います。
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芭蕉が義経を偲んで詠んだとされるのが下の有名な句です。
夏草や兵どもが夢の跡
issanが高校生の頃、この句を仮名書で県展に出品したのを思い出しました。あまりにも有名な句であったことが、ハードルを高くしたようで、この作品は没りました(泣)
芭蕉は500年前の戦に関して想い入れが深かったようで源平合戦前後を詠んだ句はこの後にも数多く見受けられます。
(斎藤実盛像)
むざんやな甲の下のきりぎりす
木曾義仲との戦いに敗れた斎藤実盛を偲んで詠ったとされる上の句は、後に横溝正史が書いた「獄門島」によって広く知られる句となりました。当時の「キリギリス」とは、今でいうコオロギのことのようですが、実盛の兜の下で鳴くコオロギの声が悲しさを引き立てている様子のようです。
5月が終わろうとしています。まさに五月雨の季節となりますが、今では雨も非常に恐ろしい災害に繋がるようになりました。
季節の移ろいに心を寄せるには雨はとても風流ですが、それでは済まない場合もありますから、皆様お気を付けくださいね。
五月雨を集めて早し最上川(芭蕉)