いせ九条の会

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歴史の教訓を今日に生かすとは/山崎孝

2006-10-22 | ご投稿
読売新聞は、戦争責任検証委員会を2005年8月に社内に設置し、それから1年間「検証、戦争責任」と題する連載記事を掲載しました。その連載記事に携わった浅海伸夫・東京本社編集委員が、「論座」11月号で次のように述べています。

【我々は何を学ぶのか】

 こうした人物を特定していく際、我々がものさしにしたのが「国際主義」と責任政治」そして「人間主義」である。

 「国際主義」とは、国際情勢認識でリアリズムを失い、政策決定を誤って、戦争に訴えた責任と要約できるだろう。ここでは、指導者ばかりでなく、その誤断を拍いたサブリーダーの情勢判断の過ちも問われる。国際潮流を捉え損ねて外交・戦争指導を誤り、内外の多数の国民の生命を奪った責任は、極めて重いというはかない。

 「責任政治」とは、閣僚・重臣として天皇を十分に補佐しなかった責任、あるいは政党政治を終息させ、議会を翼賛化した責任などが挙げられる。また、幕僚や官僚の暴走を鼓舞したり、これを制止しなかったり、逆に幕僚らが閣僚・重臣の職務を妨害した行動などもこれに含まれる。つまり、責任政治のシステム破壊、責任をとらない官僚制などを追及する視点である。

 「人間主義」とは、人命の尊重や思想・信条の由由などの基本的人権を蹂躙した責任だ。国民の幸福追求権を真っ向から否定した罪は大きい。非人間的、非合理的な特攻や玉砕作戦などの計画立案者や作戦を強いた軍人は、この観点から、重大な費任を負わなければならなかった。(中略)

我々は最終報告が締めくくりとして昭和戦争から「何を学ぶか」を記した。国家指導者、議会、官僚、ジャーナリズムが陥った過誤を挙げたが、その最大の過ちは、国際主義をないがしろにし、責任政治を忘れ、人間主義に反したことだった。これは現在にも生きる教訓だ。(後略)

 斉藤貴男さんは、「ルポ改憲潮流」で次のように述べています。

(前略)そもそも渡邉主筆の下で読売新聞は、かねて改憲に向けた”提言報道”を積み重ねてきている。一九九二年に社外の専門家を集めて「憲法問題調査会」(会長=猪木正道・元防衛大学校学長)を設置したのが始まりで、翌九三年に社内のプロジェクトチームを発足させ、早くも九四年十一月には第一回目の改憲試案発表にこぎ着けた。さらに二〇〇〇年試案を経て、二〇〇四年の憲法記念日には、三回日の試案を打ち出すに至っている。一連の読売試案を貰いてきた基本的な発想は、この間の自民党や、第二章で触れた「民間憲法臨調」のそれとほぼ一致している。後者には朝倉敏夫・論説委員長も代表委員の名簿に名を連ねているのだから、当然ではあるのだが。

 はたして『読売新開』二〇〇五年十月二十九日付朝刊の社説は、この前日に発表された自民党の「新憲法草案」を、〈戦後の憲法論議の歴史上、画期的なこと〉だとして高く評価。第九条第二項を書き換えて自衛隊改め「自衛軍」の任務に「国際平和協力活動」などを加えて、〈解釈上、当然、集団的自衛権を行使できる〉ようにした条文案を、〈ごく当たり前のことだ〉と、手放しの賛辞を送っていた。(以上)

読売新聞の浅海伸夫・東京本社編集委員が述べた《その最大の過ちは、国際主義をないがしろにし、責任政治を忘れ、人間主義に反したことだった。これは現在にも生きる教訓だ。》の言葉は、読売新聞が賛辞を贈ったと言われる自民党の「新憲法草案」の中に生きているでしょうか。

自民党の「新憲法草案」は、単独行動主義で先制攻撃をするような「国際主義をないがしろにしろ」にする米国に対して、軍事的支援レベルを拡大するために集団的自衛権行使を盛り込んでいます。個人の尊厳よりも国家を上位に位置づけていますから、「人間主義」も後退しています。これでは歴史の教訓が「現在にも生きる教訓だ」とは言えないと思います。「人間主義」の基準から言えば読売新聞が支持したイラク戦争は多くの人々を殺害しています。「人間主義」に完全に悖るものです。