いせ九条の会

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中川昭一氏の認識は闇の世界で生きる議論/山崎孝

2006-10-20 | ご投稿
北朝鮮の核実験発表に関連して、自民党の中川昭一政調会長は10月15日、日本の核保有について「核があることで攻められる可能性が低いという論理もあり得るわけだから、議論はあってもいい」との認識を示しました。

中川氏の「核があることで攻められる可能性が低いという論理もある」という言葉では、北朝鮮が核実験に際して発表した声明にある「強力な自衛的国防力を渇望してきた」という、核抑止力論の言い分を認めなければならない論理的矛盾に陥ります。

麻生太郎外相は、10月17日の衆院安全保障委員会で中川昭一自民党政調会長の発言以来、問題となっている「核武装」をめぐる議論について、「いろんなものを検討したうえで持たないというのも一つの選択肢だ」などとのべ、核武装の議論そのものを行うことを否定しませんでした。

麻生外相は、答弁の途中、「何の検討もしないまま、無知のままで」といいかけるなど、核武装の議論を否定することをやゆするような姿勢も示しました。

また、2003年の毎日新聞のアンケートに、核武装を「検討すべきだ」と回答していたことについて、「その当時、核兵器保有について検討すべきか、だんだん隣がみなもってくるときに、日本だけ何の検討もされていないというのはいかがなものか(と考えた)」と説明しました。

 一方、麻生外相は、「そもそも日本において、核兵器保有の選択肢は考えられないという政治の立場については従来から説明してきた」などとのべました。

麻生外相は、2003年の毎日新聞のアンケートに、核武装を「検討すべきだ」と回答した考え方が根底にあり、きっぱりと非核の立場に立てずにいるのだと思います。非核三原則は、日本政府として、「日本だけ何の検討もされていないというのはいかがなものか」という性格のものではなく、検討の余地を残してはいません。また、選択肢の一つというような幅のあるものでもありません、非核三原則は閣僚には絶対的な拘束力を持っています。麻生外相は、言論の自由を封殺することにくみしないとも述べていますが、歴代日本政府の基本原則としたものに関しては、閣僚としては一般国民にはある言論の自由はありません。

2003年広島市平和宣言は、《私たちは「暗闇を消せるのは、暗闇ではなく光だ」という真実を見つめ直さなくてはなりません。「力の支配」は闇、「法の支配」が光です。「報復」という闇に対して、「他の誰にもこんな思いをさせてはならない」という、被爆者たちの決意から生まれた「和解」の精神は、人類の行く手を明るく照らす光です》と宣言しています。

これを今日の状況を踏まえて核保有か非核かに適用すれば、力の支配とは永遠の闇の世界で疑心暗鬼を抱き生きる「核抑止力論」に当たり、法の支配とは核実験を違法とする包括的核実験禁止条約(CTBT)が、批准国数が足らず、たなざらしになったままになっている状況を改善して条約を発効させる。すべての核保有国が「核軍縮、核廃絶」の光の世界へ向かうことだと思います。

ブッシュ政権は、核兵器の性能・安全確認には実験の必要がある場合もあるとしてCTBTに反対して、先月も未臨界核実験を行っています。日本政府は核廃絶の立場で、米国が批准するよう説得すべきです。

人類は「核兵器の性能・安全確認」は、すでに広島と長崎で実証済みです。この大惨禍を教訓にして、「核廃絶の論理」が生まれています。実験そのものが、核実験が行われた所では人体に放射線被害が出ています。新性能の核兵器の開発を考えれば別ですが、しかし、この考え方では、自己矛盾が起こり、北朝鮮やイランに核実験を行うな、核兵器を持つなとはいえません。

すべての核保有国が核軍縮に向かう態度を示し、核抑止力の論理を捨てることしか、核拡散を防ぐことは出来ません。日本の政治家はこの立場に立って言葉を発すべきなのです。