いせ九条の会

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朝日新聞の教育ページ掲載記事を読んで/山崎孝

2006-10-02 | ご投稿
10月1日付け朝日新聞の教育面「安倍流『教育再生』に注文」は、安倍氏の教育政策に対する何人かの意見が掲載してありました。その中の二人の意見を紹介します。

【きちんとした教員の評価を】中瀬ゆかりさん 新潮45編集長

 安倍政権の教育改革の肝は、自虐史観からの脱却と愛国心の育成にある。それには賛成する。愛国心イコール軍国主義ではない。愛国心を否定することで国家観ゆがめられてきた。教育の荒廃からの再生は誰もが望んでいる。だが、それを教師にのみ転嫁するのはおかしい。ちょっとしたことで教師は集団的なバッシングを受け萎縮させられてきた。「ダメ教師」を辞めさせるのは賛成だが、ただの人気取りのような教師がよしとならない教員評価を望む。5、6年では結果が出ない施策もある。長期的に取り組んでほしい。

【ぶれずに本気で取り組んで】田宮謙次さん 杉並師範館塾長

 安倍首相の「よい教師を育てることが肝心」との主張に共鳴できる。企業なら規範意織が薄れ不祥事が起きれば経営が悪化するが、公立学校は倒産しない。だから教員の質向上の手段として、免許更新制も必要だ。「教育は人なり」の精神で教員養成を始めた我々と安倍政権は向かう方向が同じ。

「我が意を得たり」だ。師範館で教員を育てる難しさを実感しており、国全体で取り組むことの大変さは予想できる。だが、ここで改革に取り組まないとさらに悪くなる。「ぶれることなく本気でやってくださいよ」と要望したい。(以上)

中瀬ゆかりさんの意見「自虐史観からの脱却と愛国心の育成にある。それには賛成する。愛国心イコール軍国主義ではない」は、述べている前段文脈から言えば、後段の主張は非論理的です。自虐史観と批判する人たちは、日本軍国主義の下で行われたアジア国に対して行った事実をあいまいにして、戦争を肯定する立場の人たちです。

東京都教育委員会は、採択率0.2%しかない扶桑社の教科書を前回の採択期に続き採択しています。その強権行政は東京地方裁判所から、違反者を処分するとした都教委の通達や職務命令は「少数者の思想信条・良心の自由を侵害する」として違憲・違法と判断。起立、斉唱義務がないことを確認し、違反者の処分を禁止。更に日の丸や君が代が皇国思想の精神的支柱として用いられてきた経緯に言及。式典での掲揚や斉唱に反対する主義・主張を持つ人の思想・良心の自由も憲法上保護に値する権利だと述べました。通達については、「教育の自主性を侵害し、一方的な理論や観念を生徒に教え込むに等しい」と指摘し、国旗掲揚の方法まで指示するなど「必要で合理的な大綱的な基準を逸脱した」として、校長への「不当な支配」に当たるとしました。国旗・国歌は自然に定着させるのが、国旗・国歌法の趣旨であることに照らして、教職員への職務命令は違反としました。

裁判所の指摘、「少数者の思想信条・良心の自由を侵害する」「一方的な理論や観念を生徒に教え込む」などは、かつての軍国主義の下で行われていたことです。そして、これから教育の場で愛国心を教えることを考えれば「愛国心イコール軍国主義ではない」といったのんびりしたことは言えない筈です。

それに官房副長官になった下村博文さんは「自虐史観に立った歴史教科書を、官邸のチェックの下に改めさせる」と8月29日の「新政権に何を期待するか」というシンポジュームで述べています。正に軍国主義と共通の強権的姿勢で意見の異なるものを排除する考えと同一のものです。「愛国心を否定することで国家観ゆがめられてきた」と主張していますが、愛国心は自然に育まれ、国を愛することは様々に形で表現される性格のものと思えば、教育の場で画一的な価値観の愛国心を教え、どれだけ身につけたのか生徒を評価することこそ、多様な価値観を基礎にする民主主義の社会を歪めることにつながります。

田宮謙次さんの意見「よい教師を育てることが肝心との主張に共鳴できる」「教員の質向上の手段として、免許更新制も必要だ」は、何を評価基準にして免許更新するかが問題なのです。教師の思想・信条を評価して判断される危険性があります。安倍首相は、所信表明で「高い学力と規範意識」を身につけられるように公教育を再生させると言明。そして教員免許の更新制、や学校の外部評価に前向きだと言われています。「規範意識」とはおそらく人間相互間ではなく、国家に対してであると思われます。

今回の東京地方裁判所の判決は、教育基本法が変えられてしまったら、不当な介入として判決を下す根拠を失うと言われています。教育基本法第10条(教育行政)は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接に責任を負って行われるべきものである」と定めています。政府の改定案は、第16条(教育行政)は「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、…」と書き換えています。この文章は途中で趣旨が変化しております。異質な内容を混入させています。「不当な支配に服することなく」の趣旨が他の法律の定めと整合性を持たなくなる可能性を秘めています。これは自民党新憲法草案の第9条の1項は戦争放棄を謳いながら、2項からは、1項の精神と相容れない自衛軍という軍隊を持ち海外での武力行使が可能としているのと同じ手法です。頭から否定できない文言は残すが、後段で前段の趣旨を否定していく手法です。

10月1日付け朝日新聞の教育面には次の文章がありました。【ホッとする会話 学校で外で】高橋庄太郎さん 教育面担当者

 「むかつく」「うざい」「最悪」。山形県の小学校の児童らが「言われていやな気持ちになる言葉」を校内で調べたら、この三つが特に多かった。言い争った時などに口にする悪口言葉だ。学校新聞は呼びかけた。「相手の気持ちを考え、ほっとする青葉を使おう」

 文部科学省調査で小学生の校内暴力の増加が浮き彫りになったが、コミュニケーション能力の衰えが背景にあると見られる。感情のままに攻撃的な言葉をぶつけ、手を出す例が少なくない。

 おしゃべりは上手なのに筋道だった話は苦手、「先生、トイレ」というように単語だけで話す、もめごとが起きるとすぐ担任に報告する――。こんな子が目立つという。

昔は、遊びや祖父母、父母らとの会話を通じて他人とのかかわり方や、適切な言葉の使い方を知った。

 いま、コミュニケーション能力を伸ばすうえで学校の役割が大きい。指導要領では国語を中心に「話す」「聞く」が大きな柱になっている。

 「声のものさし」と書いた紙を教室に張って、発声の基本から教える学校も多い。隣の子に話す時は「1」の音量、グループの会話は「2」といった具合。朝のスピーチからインタビュー、報告、討論、調べ学習の発表まで、話したり聞いたりする場面が増えたのは確かだ。

 しかし、学校の指導には限界がある。年間授業日は約200日。残りは学校の外で過ごすが、社会全体のコミュニケーション能力はどうか。交通機関の乗務員、駅員への暴力多発に表れている通り、子どもたちのお手本とは言いがたい。(以上)

高橋庄太郎さんの述べられた事柄は、教育基本法の理念である「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と関連することが多いと思います。

【追伸】 10月1日、志摩市文化講演会に脚本家の大石静さんが講師として招かれました。志摩町の片田が大石静さんの父親の住んで居られたご縁で招かれました。お話はNHK大河ドラマ「巧名が辻」にかかわるお話でした。NHKから脚本を依頼された当時は海老沢会長が権力を振るっていて、最初に提案した「お市の方」を主人公にした脚本は海老沢会長の許可がおりず没になった。お市の方は政略結婚で浅井長政に嫁いだが、外交官としてまた信長に情報を提供する役割を担った人物で、女性が武士社会の中でいろいろな役目を担ったことを書きたかった。自分としては今までオリジナルばかりだったのでNHKが提案してきた「巧名が辻」は原作があり、小説としてはあまり面白いと思わなかったので決めるのには多少の抵抗があった。このドラマでも女性が果たした役割を書くようにした。

大河ドラマは時代考証の壁があるのでその制約の中でのドラマの創作であったが、歴史書にあまり書かれていない人物については、時代考証家との激論の中であったが脚本家が自由に想像を膨らませて書くことが出来た。

昔も今も日本は縦社会(城主が頂点とした武士集団、社長などを頂点とした社員集団)で生きている。その中で展開される人間の考え方は余り変わらないところがある。何れの時代でも出世競争の中で妬みが生まれる。NHK職員にもそれが見られた。裏切りの多かった戦国時代は「信頼する」という言葉がなく「信用する」であった。

私はこのNHKのドラマを見ていないので、興味は薄かったのですが、大石静さんは最後の部分で話題を変えて、安倍晋三氏の話を少し話しました。安倍氏と中川氏がNHKの番組に干渉したことを自分としては干渉したと思っている、言論の自由は大切である。皆さんも安倍政権を考える場合、この事件のことを頭の中に入れていてほしいと話されました。また、ドラマを見るときは、人が見るから自分も見るではなく、自分の感性を信じて自分の考え方で見てほしい、と話されました。

これは「自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」という理念に通じる考えだと思います。自主的精神こそは、政府のデマゴギーに対抗でき、権力を握る側が最も嫌うことだと思います。