中島の大蓮寺の碑 良寛の残された手紙に
毬を贈られた礼状がある。
大蓮寺様 良寛
てまり たまわり
たしかに うけとり
まいらせ候、 ことに
もよふも うつくしく
でき よろこび入り候、
かしこ
1月4日
1箇の繍毬(しゅうきゆう)打ち又打ち
自ら誇る好手(こうしゅ)倫匹(りんひつ)無しと
此の中の意旨(いし) 若し相問わば 1234567.
(ひ ふ み よ いつ む なな)
良寛は自分は天下一の毬つき名人だと自認している。
子供の純真さを愛した、良寛は誘われると
托鉢など一切忘れて毬をつく。
燕市分水中島は 三国街道の寺泊~渡部~ 中島
分水町(地蔵堂)を通り与板町へ
江戸~三国~長岡~ 与板~地蔵堂~中島~弥彦方面へ
L 寺泊方面へ
2006年8月1日のブログ参照(道標)
毬を贈られた礼状がある。
大蓮寺様 良寛
てまり たまわり
たしかに うけとり
まいらせ候、 ことに
もよふも うつくしく
でき よろこび入り候、
かしこ
1月4日
1箇の繍毬(しゅうきゆう)打ち又打ち
自ら誇る好手(こうしゅ)倫匹(りんひつ)無しと
此の中の意旨(いし) 若し相問わば 1234567.
(ひ ふ み よ いつ む なな)
良寛は自分は天下一の毬つき名人だと自認している。
子供の純真さを愛した、良寛は誘われると
托鉢など一切忘れて毬をつく。
燕市分水中島は 三国街道の寺泊~渡部~ 中島
分水町(地蔵堂)を通り与板町へ
江戸~三国~長岡~ 与板~地蔵堂~中島~弥彦方面へ
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