好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

良寛と両親 兄弟略系  NO1

2007-02-01 17:10:23 | Weblog
良寛関係の本  最近新潟日報の『恋雪譜』工藤美代子作読まれている方
良寛の家族 知人について
良寛略系

父  山本と新之助 泰雄 俳号 以南
  与板町、11ケ村の割元庄屋 新木与五右衛門二男
  山本家の養子に。 京都桂川に投身自殺 享年60歳
母  佐渡相川町山本庄兵衛の長女 17歳で出雲崎の山本
  新左衛門の養女となる 秀子? (のぶ?)享年49歳
良寛 栄蔵 文孝 元服して新左衛門 。
むら  長女 寺泊町,回船問屋 外山茂右衛門に嫁す。
   享年65歳
由之  新左衛門泰儀 泰樹 泰世 号 巣守 雲浦
   橘屋を継ぐが家財没収 上所払いの罪。
  与板に松下庵 享年73歳
たか  出雲崎 高島伊八郎に嫁す 刀鍛冶 橘屋に連座して
   町年寄り役を免ぜられる。享年44歳
円澄  観山 山本家の菩提寺、円明院に入り
   第十世となった。享年31歳
香   泰信 中務 子測 号澹斎(たん? せん? さい)
   京に上り菅原長卿の勧学院で学び 学頭となる
   享年28歳? 29歳
みか  出雲崎羽黒町の淨玄寺の大久保智現に嫁す。享年76歳


馬之助  由之の長男  泰樹 左門 号 眺島
    出雲崎名主見習。井の鼻名主を継ぐ。
    享年43歳

良寛の生家は奈良時代の右大臣橘諸兄を遠祖として
700年続いている家系 その旧家も何代か前から
家運が傾き衰退に向かい ほぼ命運が尽きかけていた。
江戸時代以前から代々出雲崎の名主で石井神社の神官
を兼ね 代々新之助 新左衛門 或いは次郎左衛門と名乗り
姓は橘 苗字は山本 苗字帯刀を許され 
江戸時代になると各地から有能な商人たちが
橘屋に対抗する勢力が 隣町に京屋 敦賀屋 
京屋 姓は野口家京都から移住柏崎~新潟までの塩の
専売権を握り政治的手腕も 出雲崎に町年寄り敦賀屋と
姻戚関係に こんな背景と時代に良寛は名主見習に


 



   
 


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