好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

寺泊史跡散策。

2011-02-21 17:31:18 | 地域文化財
聚感薗(しゅうかんえん) 写真クリックで大きくして 見られます。

北越地方の豪族 五十嵐氏の邸宅跡、 寺泊近在67ヶ町村 元和元年(1615)
近郷126町村を支配 した 戊辰戦争の頃から家運傾いたらしい。
屋敷跡が史跡公園として残されて居ます、

順徳上皇が佐度に遷御された時、風待ち為しばらくご逗留したと伝いられている、
源義経主従が 此処井五十嵐邸に 弁慶 手堀井戸も。
弥彦矢作 角田海岸にも 義経伝説が有ります。

玉葉和歌集の (玉葉)美しい言葉 藤原為兼『京極為兼』
歌の派閥の争いから。

佐渡へ遠流で(島流し)風待ちの為 滞在する事1ヶ月余にもなり。
当時才色兼備をうたわれた 遊女 初君(はつきみ)つれずれを慰め御世話した。



佐渡へ出発の時 為兼が尽きぬ 名残を惜しみつつ 自分の気持ちを、

『逢うことを またいつかはと 木綿たすきに かけし ちかひを
 神にまかせて』と詠んで 1首をおくりました。

初君は涙を流しながら。

『もの思い こしじの浦の白波も たちかえるならひ ありとこそきけ』、
と 一首を詠んでおかえしした

5年後に許されて都にかえり 大納言に 昇進(1313年)

玉葉和歌集を 完成 初君のこの和歌が 収録された。

総歌数2800も有る様で 玉葉和歌集を 私はまだ図書館でも本も 見て居ません。

藤原定家 (ふじはらていか)ふじはらさだいえ のひ孫
京極為兼 (きょうごく ためかね)京極派和歌の創始者

(注)大納言とは 現代風にいえば 朝廷という 中央政府の中枢に
勤めるエリート 高級官僚  、納言 天皇の言葉を納める役職として天皇『朝廷』
の意志を他に伝達する 政策決定にも関与する資格 官僚で政治家で一流の
分化人。
インターネット検索から、

寺泊愛宕神社にも佐度を見渡せる小高い丘にも歌碑が、 此処の歌碑は前に
紹介しています。

NHK歴史秘話 ヒストリアー 全然知識の無い 日本最古の歌集
万葉集 (よろず)言の葉

楽しい番組でした。 
コメント
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