寅さんの山田洋次監督の映画「こんにちは母さん」を見てきました。
映画館で映画を見た最後はいつだったでしょうか?
そうだクィーンの「ボヘミアン・ラプソディ」だった、あれからもう何年たったんだろう、調べたら2018年11月封切だった。
あれからコロナの流行があって、映画館はしばらくほぼ閉鎖状態になったんだった。
9月1日から2週間限定でエリッククラプトンの映画(記録映画かコンサート録画か知らない)もやっていたが見てくればよかったかな? 明日で終わるからもう無理だな。
さてこの映画は山田監督ならではの下町ホームドラマだ。
キーワードは、吉永小百合、大泉洋、寺尾聡、肩たたき(リストラ)、おばあちゃんの恋、有名企業人事部長の悩み、東京大空襲(言問橋)、ホームレスと格差社会、ボランティア活動、と言ったところか。
吉永さんは昭和の戦争末期の1945年3月生まれだから今は78歳半だ、女優だから当然と言えば当然だが、20代頃の美少女の面影が目から口元に今もそのまま残っている。
まさにマドンナ小百合さんだ、庶民的な演技の中に教養と清潔さが表れていて
何度でも見たくなる。
大泉洋さんは嫌いな俳優の一人で、なぜ嫌いか考えたら、テレビのバラエティで萩本欽ちゃんのコピーっぽいしゃべり方が気に入らなかったのだ。
でも映画俳優の大泉さんはとてもよかった、映画ならまた見たい。
寺尾聡さんは若い時はサベージのボーカルとして、ついでソロになって都会的なヒット曲「ルビーの指環」などを連発したミュージシャンだった。
しかし俳優になって、今は父親の宇野重吉さんそっくりになって渋い役回りを気負いのない静かな演技で見せてくれている。
時代劇でも憂いある中年武士の役をうまく演じている、彼も75歳になった。
宇野重吉さんは人を食ったとぼけた役が当たり役だったが、寺尾さんは少し気弱だが誰からも愛されるキャラクターとか、正直で損な役回りの人の役が多い。
目立たないが素晴らしい一級の役者になったと思う、彼の映画は大好きだ。
下町向島の足袋屋の未亡人(吉永)は大学講師から神父になった変わり種(寺尾)と密やかに相思相愛。 孫娘は早くも二人のそれに気づいている。
(吉永)の息子(大泉)は有名企業の人事部長で3つの重大な悩みを抱え込んでいて、しょっちゅうイラついている。
(大泉)の娘は女子大生だが両親に愛想をつかせておばあちゃん(吉永)の家に居候。 そこに悩みだらけの(大泉)もやってきてドタバタが始まる。
最後に大泉が思い切った決断を実行する、2年前の私がやった決断と同じで、思わず心の中で拍手を贈った。
この映画は伏線で隅田川河畔で生活するホームレスの人たちが描かれ、吉永と寺尾らのボランティアグループは支援している。
ホームレスの中で一番頑固な爺さん(田中泯)は子供の時、東京大空襲で家族全員が死に孤児となった人、ただ一人言問橋の上から隅田川に飛び込んで助かった設定(実際は3月の冷水の中で数万、数千の人が亡くなっている)
「こっちからは向島の連中が、反対側からは浅草の連中が逃げてきて、言問橋の上は人でいっぱいだ、そこに火が襲ってくる、親父の髪の毛に火がついて・・」と頑固なホームレス爺さんは大泉に熱弁するが、それどころでない大泉は受け流して去っていく。
たった2時間の空襲で東京市民10万人が隅田川の周辺で焼け死んだ地獄を見た人、そんなことに関心がない現代人も別の苦しみを抱えている。
私の祖父母も祖父の妹もこの空襲で死んだ、みんな40代だった、遺体も遺骨も見つかっていない
父は私に「墓を建てたら隅田川あたりの石を一つ拾ってきて入れてくれ、それが親父とお袋の遺骨代わりだ」と私に言ったが
父に言われて若い日、私は隅田川へ降りたが河原はなく歩道で、映画同様にホームレスの人たちが段ボールハウスで軒を連ねていた。
もちろん石など落ちているわけもなかった。
ホームドラマだが、けっこう重い課題を抱えたドラマでもある
まずは見てのお楽しみだ。
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