知人の女性が虫垂炎(盲腸)が破裂して面倒な状態になっている
とりあえず炎症をきれいにしてから開腹手術になるようだ
彼女は60代だから何とか元気にしているが危ないところであった
私も25歳ころ盲腸になって手術したが、盲腸には急性と慢性があって、私は慢性だった。
慢性だと激しい痛みが無く、何となくお腹が重苦しい不快感が続くだけで、時折ちくりとした痛みがおこる
医者へ行ったら耳タブをメスで切って血液を調べて「これは盲腸だな」
それから少し検査をして「一週間後に手術だ」と言って手術室を見せてくれた
タイル張りの小さくレトロな手術室であった
家に帰って、父に手術のことを言ったら、「それはダメだ、手術するなら医者を代えろ、命がいくつあっても足りん」と言う
私が見てもらった医師は●●という名前の後に「ヤブ」という二文字で呼ばれていた。 風邪やはしかでは何度となく世話になったが、手術となると話は別らしい。
一週間後と言われていたから、別の医者探しも慌てなかったが、2~3日後に夜も眠れぬほど痛くなってきて別のT医院へ行った
検査してから「明日手術だ」と言われた
手術が終わると先生が何かを顔の上にぶら下げて「これを見ろ」と言う
何だかわからない?「こうなるまで、どうしてほおっておいた」と言い
「盲腸だよ、先を見て見なさい黄色く化膿している、もう一日遅ければこれが破裂してたいへんなことになるところだった」
やはり最初の医師の言うことを聞いて我慢してたら、破裂するところだった
彼女もきっと慢性で、仕事が忙しくて我慢していたのだろう
なんとか無事に手術できるよう祈る。
ボランティアの先輩も80歳を過ぎて初期のすい臓がんが見つかり、手術したがすっかり痩せこけてしまった。
高校時代の先輩は大腸がん検診でひっかかって再検査だと言うし、弟分の食堂経営者は大腸がんステージ3の手術を終えたばかり
60km先の町のボランティアの先輩も、手術で胃の大部分が無いが、最近こんどは大腸がんの手術をしたばかりだ。
どうも回りがよろしくないが、どの人も気持ちが勝っていて飲む気満々
超人ばかりで呆れてしまう。
元気と言えば、父の従兄弟の最年長がとうとう100歳になった
わが町では統計上100歳以上は40人くらいいるようだが男性比率は10%と言うから4~5人の中の一人と言うことになる。
この人、Hさんは父より1歳年上で、25歳の時に一歳年下の父に嫁を世話して仲人をしてくれた人なのだ(おかげで私が生まれた)
齢ばかりでなく、顔も体形も似ていた。 二人で母をもらいに行ったら、母の母(私の外祖母)は「どちらが婿さんですか?」
Hさんは「こっちが婿さんで、私はもう女房が居ます」と苦笑いしたとか
(この時のお礼なのだろうか、後年Hさんの息子さんの仲人を父が務めた)
父は戦後も戦前もずっと東京で暮らしていたが、終戦後3年で食い詰めて今の田舎町にやって来たが、最初に仲良しになったのがHさんだった
父は戦争中は東京調布の高射砲大隊で武蔵野の中島飛行機製作所を爆撃に来るB29と戦っていた
一方、Hさんも群馬県太田市の高射砲隊に居て、中島飛行機工場の太田工場を爆撃に来るB29と戦っていたから、話が合うのは当然だった。
父は93歳で亡くなった、Hさんは100歳の今も元気でいる、お互い長生きしたというものだ
大正生まれは割と長生きする人が多いと言うが、生前、父にそれを聞いたら「おれたち年代は、弱い奴は子供のうちに死んで、生命力がある奴だけが残ったから、当然のことだ」と言った
さらに戦争で生き残った運の強い人、生き残る術に長けた人、シベリア抑留でも生き抜いた頑健な人が残ったから、長生きして当然なのだろう。
今の時代は、きれいな衛生環境、薬や栄養剤、食糧事情、健康法、医療の発達、植物状態でも生かす先進治療などで平均寿命を延ばしている
そのかわり自宅の畳の上で大往生というのがぐっと少なくなった、施設や病院で亡くなる人が圧倒的に多い
もっとも下手に自宅で死ねば、家族の一人一人が警察に事情聴取されることになる。 人間不信の嫌な時代でもある。
健康寿命であれば、今の人間より、明治、大正生まれの方が上かもしれない。
ありがとうございます
同じ思いを共有出来る方いると書いている張り合いが出ます。
これからもよろしくお願いします。
yottin