地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

スーパーマーケットの魚売り場にて

2008年05月21日 | お仕事日記
かねてから私は、親しい人に
自分の奇しな行動についてカミングアウトしてきた。

私は、
スーパーマーケットの魚売り場で、
死んだままの姿を留めてパック詰めされた魚に、
値引きシールが貼ってあると、
いてもたってもいられず買ってしまうのだ。

魚も好きだし値引きも好きだ。

でも、この行動は、食欲やお財布の事情とはあまり関係がない。

目も口もうろこもひれもあって、
そのすべてがきちんと、種のDNA設計図に沿って
並んでいる。

おなかには内臓を感じさせるふくらみがあって、
ハラビレの付け根には
新陳代謝の形跡がうんちとなってついている。

生きていた証を全身にみなぎらせて、
そこに、いる。

値引きシールは、
それがもうすぐゴミになってしまうことを
示していて、
その事実が堪えがたくて、
せめて私の命につなぐために、買ってしまう。

一匹連れて帰ったところで、
氷山の一角なのはわかっている。

でも、出会ってしまったからには、放置することはできない。

この感覚が、生き物としてものすごく正しいという確信を
裏付けてくれる本を、愛さんがブログで紹介していた!
http://ameblo.jp/sunday0106/entry-10098763678.html

スゴい共有感!シンクロニシティ。

しかも著者は「アースダイバー」の中沢新一。

このシンクロニシティは、オーストラリアの先住民アボリジニの
精神に深く根ざした信条であり、民話でもある
「The Dreaming」を読んだ時にも訪れたものだった。

「はるか昔、偉大な先祖が何もなかったこの土地を旅して、
山を、川を、谷を、森をつくった。
そして、土からカンガルーを、ウォータードラゴンを、エミューを、人間を、つくった。
だから私たち人類にも、カンガルーのドリーミングやエミューのドリーミングが宿っている」

私が魚を放っておけないのは、私に魚ドリーミングが宿っているからなんだって、
すごくしっくりお腹におちた。
そういう当たり前の感覚を、みんなで信じていたアボリジニの聡明な文化に感動した。

たまたま今の時代に、科学信仰がのさばっているだけで、
それがすべてじゃない。
信じたことが、本当のことになるんだ。

Dreamingにはこんな有名な一節もある。

私たちが土地を所有するのではない。
土地が、私たちを所有しているのだ。

最後に、心でなく、頭の方のアンテナでキャッチした事実、を紹介します。

すでに、世界のいくつかの漁場が過剰な採取により消滅しました。
採取をやめるのではなく、さらなる漁業技術の進歩によって、
これまで穫られることのなかった深海魚を穫り、市場に並べています。

終わりはすぐそこに見えてる。
それなのに、見えているデッドラインを回避するどころか、
さらにスピードアップして、デッドラインに向かって疾走のスピードを上げている。
盲目的としかいいようがない。

シューマッハーさんが自然を資本ではなく所得として扱う
経済システムの根本的な誤りや持続不可能性を
偉大な著作「スモール・イズ・ビューティフル~人間中心の経済学」で
論じきってから35年も経つというのに、

自然を資本ではなく所得として扱うカンチガイはまだ続いている。





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