沈黙は金、ということわざがあります。
例えば余計なことを言うべきでないようなTPOであればこれはいまだに有効だとは思ってはいるのですが、私の分析によると、これは比較的同質な社会において通用しやすいコンセプトではないかと思うのです。
同質社会においては、黙っていてもコミュニケーションは可能です。互いに価値観が同じですから、別に自分の考えを明らかにする必要もなく、互いに想像した相手の考えがだいたい合ってることが多いはずで、だからこそ、「沈黙は金」がマッチするわけです。
例えば、日本においては、1980年くらいまでは、1970年のサッポロビールのCMで三船敏郎が「男は黙ってサッポロビール」というセリフで一世を風靡したように、「沈黙は金」が完全に通用していました。
この頃の理想の人物像としては、ペラペラしゃべるのではなく、黙々と自分の仕事をしている人間でした。
が、1980年代からは、タモリ、ビートたけし、明石屋さんまなどの「しゃべるタレント」が主流になってきました。
これは私の分析によると、日本でもこの頃から価値観の多様化が起き、黙っていてはコミュニケーションできない時代が始まったと考えています。
この流れに更に国際化の波が押し寄せて、「黙っていては通用しない」傾向に拍車がかかったということができるでしょう。
世界の常識として、特に異文化間においては、自分の意見を表明しなければ、「ただの馬鹿」あるいは「怪しいやつ」ひいては「危険なやつ」のレッテルを貼られてしまい致命傷となります。
確かに、話すことはリスクにはなります。相手にどう思われるか分からないわけですから。しかし、現代においてはこのリスクを取るか、取らないかによって今後の運命が分かれると言っても過言ではないのではないでしょうか。できるだけリスクを減らしつつ、しっかりと自分の意見を表明すべきでしょう。
ある程度以上の年齢の、特に男性の場合、このある意味常識的な歴史の流れを把握していないケースが結構あり、世代間のギャップの原因にもなっていると私は考えています。