シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

東京旅行

2006-12-31 02:49:07 | ちょっとした話題&日々の出来事

 時間の話を昨日書いて、その後、神戸のSNSの掲示板で一回やりとりしたことをきっかけに、面白いことを思いつきました。

 それは、今自分が住んでるところで、自分が旅行してるって思うこと。

 私なら、東京。

 私は、東京育ちだから東京はホームなわけですが、これを、どこか違う都市や、国からやってきて旅行してるんだって考えるわけです。

 そうすることで、旅行なんだから、有意義に時間を使わなければならないっていう自覚が出てくると思うんです。

 時間が限られていて、その間をフルに活かさないといけない自覚。これでかなり感覚が変わりそうです。

 特に、海外から来ているような想像をめぐらすと面白いですよね。

 また、これにより、全てを当たり前のこととして見なくなると思うのです。そのことで、自分の視点に新鮮さが加わります。

 さ、東京旅行を続けようっと。


時間の感覚

2006-12-29 20:16:49 | 気づき

 ここのところ思うのが、人によって時間の感覚がかなり違うのではないかということ。

 最近、私、時間の密度が高くなってきて、個人的に時間の価値がすごく上がってきたような気がするので特にそう感じるようになりました。

 時間というものが、切実に、貴重に感じられるようになってきたのです。

 また、同時に、他の人の時間についても、すごく大事にしなければならないという感覚になってきたのです。

 その一方で、自分の時間、そして人の時間にも、大して価値を置いていない人というのがいることにはっきりと気づきました。

 価値を置いていないということは、私のここのところの感覚の変化から推察するに、おそらく、時間の密度が大分薄いのではないでしょうか。

 で、結論として、そのいい悪いは別にして、時間の密度がだいたい似通った同士でないとなかなか時間を共有するのは難しいのではないかと思います。


人間万事塞翁が馬

2006-12-28 02:49:12 | 気づき

 ほんと、最近よく思います。

 何が幸いするか分からない。

 短期的に見たら不幸のように見えても、それが長期的に見たら、ものすごい良いことを実現するために必要なことだったりします。

 人に馬鹿にされたりするのもそう。それで落ち込むんじゃなくて、いつか見返してやるっていうエネルギーになると思えばなんともありません。その意味で感謝してもいいくらいです。

 だから、いちいち、日ごろの細かい嫌なことを考えるのはやめて、みんな勉強なんだって思っちゃう。

 そういう開き直りが必要だなって最近よく思います。

 あと、前に進もうとすると、あるいはすごく自由な発想で楽しそうにしてると、あまり意味のない否定的なことを言って精神的にテンション下げてやろうと思う人は必ず出てきます。

 こういうのも、同じように考えていいですね。自分が前に進もうとする気力が試されているんだと思えばいいんです。感情的にはカチンと来てしまうけど、どうしてその人がそういうことを言うのかについて想像をめぐらすと、何となく許せてきます。答えは言わずもがなですね。

 とにかく、ほんと、イノシシみたいにおかまいなしに前に進むパワーが大事です。最近は、「自分の周りだけ上海だと思え。」と自分に言うことがたまにあります。

 なんだか、話のベクトルが、「人間~」なのか、「前進せよ」なのか、いまいち整理尽きませんでした。「『人間~』だから、細かいことは気にせず前進しよう」ってニュアンスだったんですけどね(笑)。ま、夜遅いということでこれくらいに・・・


ねずみシンクロニシティ

2006-12-26 23:48:34 | 新たなシンクロニシティ

 この前私は、ねずみ算の話をしていました。

 それから、イヴに「シャーロットの贈り物」という映画を見たら、ねずみが出てきました。結構インパクトのある役です。ねずみの姿が妙に頭に残りました。

 で、今日家を出ようとしたら、少し先をねずみが走っていきます。

 さらに、このねずみを見てから5分後、家から300メートルくらい離れたところでまたねずみが走っているのを見ました。

 ねずみは何のメッセージなんでしょうか?


人生におけるパス

2006-12-25 16:30:55 | ちょっとした話題&日々の出来事

 コミュニケーションって、結構サッカーのボールのやりとりと似てると思うんです。

 非常に遅いパス、速いパス、展開が読みやすいパス、展開が読みにくいパスなどなど、毎日沢山のいろんな種類のパスを出したり、受けたりしているんですよね。

 そういう中で、私が好きなのが、非常に速いが、その先の展開についてファンタジーのあるパスです。一瞬のひらめきで、その先大きなパフォーマンスにつながる可能性のあるパスをササっと人に送るのが好きなんです。

 日々の時間に追われる中で、長々と遅いパスを出すことはできません。

 こういうパスを送ったときに、ビビッドに反応してくる人というのがいますよね。

 パスを受ける能力が高い人。

 こういう人が大好きです。スッと速いパスを出したとき、チャチャッとそれを受けて次のプレイにつなげてくれる人。

 まさにコミュニケーションの達人です。

 こういう人は、鳥瞰的に全体像を把握できる人です。物事の全体像が見えているから、こちらの意図を一瞬にして理解してくれるんだと思います。

 物事をミクロにしか捉えられない人というのは、個々のパスの、大きな流れとのつながりが見えませんから、パスの意図が分かる確率は極めて低くなってしまいます。こうなってしまうと、おいしいパスをいくらでも、安定的に取りこぼしてしまうことになるに違いありません。

 やはり、常に大きな視点を持っていることが大事だと思います。

 私も、自分がファンタジーのある速いパスを見過ごしていないかをいつも点検しようと思います。


「グーグル Google 既存のビジネスを破壊する」佐々木俊尚著

2006-12-24 23:24:37 | ちょっとした話題&日々の出来事

 この前、表題の本を読みました。文春新書。

 非常に分かりやすくグーグルについて解説しているのですが、最終章で、グーグルが巨大な権力を既に持っているし、これからもっとすごくなっていくという内容が書いてあったのが非常に興味深かったです。

 確かに、金=力の時代から、情報=力の時代へのシフトが進んでいる中で、情報の検索について半ば独占的な能力を持ったグーグルが強大な権力を握ることになるのは当然の帰結と言えるのかもしれません。

 後、心に残ったのが、あとがきにあった文でした。

 「この本は2006年一月半ばから書き始め、ライブドアの強制捜査をはさんで二月初旬に脱稿した。テレビや新聞ではコメンテーターたちが「ライブドアはIT企業ではなかった」「企業としての実体はなかった」と勝手なことを言い散らし、あいかわらずインターネット世界への無理解を晒している。」
 「しかしそうやって古い日本社会が新自由主義的な枠組みそのものを否定し、新たなイノベーションを無視している間にも、インターネットの世界は恐ろしいほどの勢いで進化し続けている。知らず知らずのうちに、グーグル的な権力は世界を覆いつつある。その認識を、われわれはきちんと持たなければならない。」

 ここまではっきりと、ライブドア、グーグル、そしてインターネットについて明確に書いてある文章を今まで見たことがなかったのでインパクトがとても大きかったです。

 時代が本当に大きく変わって行くときには、必ず反動的な現象が起きるものです。前の時代でのリアリティを体験しすぎ、そこから来る利益を享受しすぎた人は、次の時代のリアリティをなかなか受け入れられないに違いありません。

 新しい時代の流れをとにかく否定すれば、それで多くの人が安心します。なぜなら、今のままの生き方を否定したり、変えたりする必要がないからです。でも、現実に時代が変わって行く中で、生き方をそのままにしてしまうのは、客観的にはリスキーなことであって、それを助長してしまうのは問題があるような気がします。

 また、そのような、ある種反動的なコメントによって、新しい時代への移行が遅れた人が出ても、誰も責任を取ってくれません。

 そういうことを肝に銘じて個人個人が自分で考えて行く必要があるように思うのです。 


色の着いたフィルター

2006-12-24 02:23:33 | 気づき

 ふと思ったのが、人って、色つきのフィルターで物を見てることがあるような気がするっていうことです。

 例えば、こちらがある意図をもってアプローチしても、その人が色の着いたフィルターで物を見ていると、違う意図に取られてしまう場合があります。

 こういう場合、説明しても無駄なことが多いです。

 その人には世界全体がそういう色であるようにリアリティが感じられているので、そのリアリティと違うことについて説明するのは非常に困難だということです。

 もっと分かりやすく言うと、赤いフィルターで世界を見ている人には世界全体が赤く見えているため、その人に青い色(またまた青になってしまいました(笑))が存在するということをいくら説明しても意味がないということです。

 とか書いてますけど、私にもまだまだ沢山のさまざまなフィルターがくっついてしまっていると思います。

 こういうのを一つ一つ取り外して行かねばどんどん世界が退屈に感じられてきてしまうのでしょうね。それは耐え難いので、その点についてはせっせとはずす作業をして行きます。


F1の美しさと人の美しさ

2006-12-23 02:46:54 | 気づき

 F1の美しさについて考えてみました。

 F1は、レーシングコースを、一定周回最も早く走るという目的を追求し、それ以外の贅肉とも言える部分を全て削ぎ落とした美しさを持っています。

 潔さが美しさにつながっているんですね。

 あのF1に、荷物を置くところだの、エアコンだの、雨のときのための屋根だのを付けていたら、あのような美しさはありえないことになります。

 またいつものパターンですが、この論理を人間にあてはめて考えるのはとても面白いと思います。

 潔さからくる美しさっていうのが人間にも確実にあると思うんです。

 あるカリスマが言っていたのを思い出します。

 「俺を嫌ってるやつって、絶対多いと思うんだよね。」

 私はこれを聞いて、潔い人間の美しさを感じました。

 全ての人から好かれたい一心でやる行動というのは、どうも方向性がはっきりしなくなります。

 例えば、自分がが大好きで、とにかく美しいを追求したとしましょう。このときに、が嫌いな人の評判まで気にしてしまったら、限りなく美しい青を追求することなんてできっこなくて、やっぱり、青の純粋さが曇ってしまうと思うんですよね。

 もちろん、かたくなに人の言うことを聞かないのがいいと言ってるわけではありません。

 自分の理想を実現するためには、ときには人の意見を切り捨てる勇気が必要だということです。

 これ、もちろん、現状の私にはできていないことだから書いてます・・・ 


語学で勝つ性格

2006-12-21 23:52:44 | 気づき

 さっき、英文の文書を読んでいて思ったのが、読むのがおっくうなのは、たまに分からない表現が出てきたときに、自分の不完全性を味わうのが嫌だからである、ということ。

 そこで、語学に向いてる性格について少し考えたら、一つ分かりました。

 それは、一言で言うと、「いい加減」ということ。

 少しくらい分からなくっても、全然平気でどんどん前に行く性格が非常に大事なんですよね。

 いい加減な性格であれば、知らなくたって、人に聞いたり、調べればいいって思えるわけです。

 話すときも、書くときも、聞くときも、しゃべるときも全部同じ。

 できないうちから完璧を求めようっていうのがそもそも間違っているスタンスなんでしょうね。

 その点子供はある意味超いい加減ですから、何でもかんでも「それって何?」と聞きながら急成長していきます。

 私も少なくとも語学に関しては、もっと向上するために、もっといい加減になろうと思います。


亀田興毅vsランダエタ戦

2006-12-20 22:42:45 | ちょっとした話題&日々の出来事

 今日は早く家に帰ってテレビにかじりつきで見ました。

 対戦前の関心は、あれだけ世の中にバッシングされ、それに対してずっと強がっていた20歳になったばかりの亀田選手が、どれだけの試合をするのか、ということでした。

 始まってみると、前回とはまるで違う動きにビックリ。すばやいステップでランダエタ選手のパンチがなかなか届きません。

 あれよあれよというまに亀田選手有利のままラウンドが終り、圧倒的な点数差で亀田選手が初防衛に成功。

 この20歳の若者は、口の利き方を知らないとか、真のチャンピオンじゃないとかの世論のパンチを4ヶ月間一身に浴び続けた上で、これらのバッシングに対して強烈なカウンターを返すことに成功したと思います。それくらいの、誰にも文句の言えない試合でした。

 さすがのランダエタ選手も、負けを潔く認めている雰囲気でした。あの内容では誰が見ても当然でしょう。

 振るっていたのが、試合後の亀田選手のインタビュー。

 特に、お父さんの史郎氏に対する、「オヤジがバッシングから全部守ってくれた。」という内容のコメントで感極まって泣き出したところで、彼がどれだけ辛かったかがよく分かり、大変共感しました。

 確かに、ここ4ヶ月の亀田選手の周囲へのバッシングは常軌を逸し、「いじめ」と言っても過言ではない状態に達していたのではないでしょうか。

 今後の活躍が期待されます。