人間の内側には、常に聖なるものが光を放っているといつも思う。
それが外に出てくるかどうかは人によるけど、どんな人でもそういうものはある。
そういう光を見るのはとても嬉しい。
この、内なる、聖なるものは無限のエネルギーを孕み、青天井な世界へ私たちをいざなってくれる。
そういうエネルギーを引き出す手伝いをして、いつもまばゆい光に照らし出されていたいと思う。
人間の内側には、常に聖なるものが光を放っているといつも思う。
それが外に出てくるかどうかは人によるけど、どんな人でもそういうものはある。
そういう光を見るのはとても嬉しい。
この、内なる、聖なるものは無限のエネルギーを孕み、青天井な世界へ私たちをいざなってくれる。
そういうエネルギーを引き出す手伝いをして、いつもまばゆい光に照らし出されていたいと思う。
私たちが普段の生活を全うに生きるためには、大切な記憶をいつも胸においておいて、いつでも取り出せるようにしておく必要がある。
私たちの胸は、デスクトップみたいなものだ。
ここに大切な記憶をいつも置いておけば、私たちはどんなときでもこれを取り出して、前に進む気力を得ることができる。
そしてまた、大切な記憶は、他の人を大切にしたいという気持ちを生み出す。
何でこんなことわざわざ言うかって?
それは、私たちがいとも簡単に、大切な記憶を忘れ去り、いとも簡単に失望に沈み、他の人を大切にしなくなるからだ。
では大切な記憶とは何だろう?
昨日のことでも、10年前のことでも、もっと前のことでもいい。
私たちがそれを思い出すと、自然に胸が熱くなり、涙が自然と溢れそうになるような記憶、それが大切な記憶だ。
この、大切な記憶を大切にすれば、私たちの大抵の選択は間違わないはずだと思っている。
最近の私の内なる声は、「準備ができていれば事は起きるが、準備がまだであれば事は起きない」ということだ。
起きて欲しいけど起きていないことの中にはかなりの割合で、準備ができていないせいで、潜在意識がその望んだことが起きないようにブレーキをかけているケースがあると思うようになった。
準備がしっかりできれば、心の奥底からそのことが起きて欲しいと思えるようになる。だからそれは起きるのだ。
世の中きっとそういう仕組みなんだ。ある意味とても合理的だ。準備ができてない人のところに事が起きても、それを受け止めることができない。
一に準備、二に準備、三に準備だ。
なぜか夢に、「拍手すると脳が活性化する」という話が出てきた。
確かに、手を叩くわけだから脳に刺激が行くし、拍手というのは感動したとか、お祝いするとか良い時にするものだから、トリガーとアンカーの関係で言えば、拍手が幸せな気分のトリガーになる条件反射というのはこれまでの長い経験から体にしみこんでいるはずだ。
「幸せなら手を叩こう」ではなく、「手を叩けば幸せになる」
ということか。
とりあえず、ユーチューブのコンサート画像でも見て時々拍手しとこうかな。
今日は表題のようなメッセージが頭に浮かんできました。
変化は急激で、まるでスキー場の急峻なスロープを降りていくような感覚でもありますが、こういうときこそ自信を持って、重心を前に置きながら方向をコントロールしながら前進していく必要があります。
いろんな出来事が、まるで絨毯でも編み上げるかのように不思議にシンクロして、特定の方向に私をいざなっているように思える今日この頃です。
スピードが増してますから少々不安でもありますが、以上のような気持ちで行きたいと思います。
ふと思ったことです。
お金じゃなくて、人格で人を引き付ける人間になるべき、ということ。
当たり前過ぎるくらい当たり前のことだけど、結構この基本問題をクリアせずに人生歩んでいる人が結構多いように思うのです。
ここを間違えてしまうと、生活には困らないかもしれませんが、後でとんでもないことになってしまいます。
お金以外でのつながりがあればあるほど精神的に豊かで、それが少なければ少ないほど精神的に貧しい、という図式はほぼ正解のように思うんですよね。
こういう世の中だからそういうことは忘れ去られやすいですが、こういう時代だからこそそういうことをしっかりと心に留めるべきかと思ったのでした。
当たり前の話ですみません。
「親に子が存在し、子に親が存在する」
夢の中できっちり明確に出てきたこの言葉は過去には見たことがないものです。
その暗示する(かもしれない)ところはよく分かりませんが、インパクトがあったのでここに記しておきます。
急に件名のようなメッセージが浮かんできました。
ずっと、なりたいものになりたくて努力してきましたが、一方で、無理はいけないな、と思うわけです。
この二つは両立できますね。
努力というのと、無理というのは違う概念ですからね。
たまに、この二つを混同してしまうとしんどくなってしまいます。無理をやろうとすればそうなるのは当たり前ですね。
なかなか境界線がはっきりしてるわけでもないので混同してしまうのもしかたない面がありますが、ここらへんをできるだけすっきりするのは結構大切なことかもしれません。
無理というのは、少しの間は可能ですが、長く続けていると必ず反動が来るという性質がありますからできれば避けたいところです。
今日は急にそんなメッセージが浮かびました。
今までの自分が知っている世界というのは、自分が住んでいる世の中の、ほんのわずかな部分だけです。
そして、私が知らない、一生味わっても味わいきれないくらいの、楽しい世界がいくらでもあるのです。
見たこともない花が世界中に咲いているのと同じく、体験したことがない素晴らしい世界がいくらでも存在している、という当たり前のことをなぜかいつも念頭に置いているわけではありませんでした。
子供はそういう当たり前のことが分かっているから、毎日楽しいんだと思います。
だから、できるだけ目を開き、いろいろな人と付き合ってもっと世界を広げて行きたいと思います。
自分のペースというのはとても大事です。
自分の音楽みたいなもの。
他の人の話を聞きすぎると、ペースが狂います。特に、こちらのことを熟知してるわけでない人のいいかげん発言には気をつけるべきですね。
自分のペースを守り、他の人にペースを乱されないようにして、じっくりしっかり歩んでいくのが良いです。
外野は好き勝手なことを言いますけど、絶対責任を取ってくれません。
自分の人生、責任を取るのは自分ですから、自分の内なる声を大切にして行きたいところです。