現在の我々が生きている世界では、行きかう情報の量が加速度が加速するくらいの勢いで増加しています。
毎日、とんでもない量の情報が次々と我々の脳にインプットされていくのです。
我々は、あたかも、未だにその量を増大させている情報の海で泳いでいるようなものです。
この、情報の海の中で、情報を摂取したり、消化したり、吐き出したりする一連の流れが我々の毎日の生活、というより人生そのもののプロセスになっているのです。
では、情報の大海原を毎日泳いでいる我々1人1人が、自分の生きた証を残していくにはどのようにしたら良いのでしょうか?
ただ、世の中の情報を頭に詰め込んで、吐き出しているだけでそんな証が残らないことは間違いないでしょう。それはいかにも空しいです。
私は、そんな中で自分が生きた証を残すには、自分が扱う情報の密度を限りなく上げていく他ないと思います。
では、具体的に密度が限りなく高い情報とは何でしょうか?
定義は難しいけれど、そういう情報を扱うときに私が感動を覚える、ということだけはっきりしているように思います。
人が感動を覚えるときというのは、人が無限を感じるときです。そして、無限を感じるときに、扱う情報の密度が限りなく高まっているに違いないと感覚的に思うのです。
長い話になりましたが、まとめてみると、「我々は、感動することによって、膨大な情報の海の中であっても、生きた証を残すことができる」ということです。