シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

過去に味噌をつけたこと

2006-03-31 12:12:56 | 気づき

 誰でも、過去に味噌をつけた(やりそこなった、失敗した、あるいは醜態をさらしたこと)があると思います。みっともないダメダメな行動で人を傷つけたり、迷惑をかけたりしたことです。しかもそのことについて、今、相手に対して穴埋めしようがないこと。

 一見すると相当脳天気に見えることがあるかもしれない(笑)私にも、そういうことがいくつかあります。

 1つの件については、ずっと心の中にしこりのようになって残っていました。10代の、相当情緒不安定な時期の出来事ですが、ある人をとんでもなく不快な気持ちにしたことは間違いありません。そのしこりは、時折私に、

 「そんな自分は、人生を目一杯楽しんではいけないのではないか

と思わせてきました。

 でも、最近はこういうしこりによる影響から解放されてきています。

 なぜなら、私が自分を責め、その資格がないといって人生を楽しまなければ、自ずと暗い雰囲気を出し、かつ前向きな行動を抑制しがちになることによって、周りの人に大きな迷惑がかかるということに気づいたからです。「どうせ私は・・・」という人ほど周りにとって厄介な人はいませんよね。

 このようにして私は考えを改め、人生を楽しみ、周りにそれをシェアすることによって、沢山の人に少しでも明るく前向きな雰囲気になってもらうことにしたのでした。 

 今日は、前に書いた「楽しむことは義務である」(http://blog.goo.ne.jp/imagingstar/e/8f098bf4bbc301b1fa3325506df44a3a)と若干かぶりましたね・・・


プライスレスな瞬間

2006-03-30 20:14:33 | ちょっとした話題&日々の出来事

 圧倒的な迫力で自分の気持ちを揺さぶる、プライスレスな瞬間というのがあります。

 それは、快楽とは異なり、自分に、「もう何もいらない」と思わせる瞬間です。

 こういう、ごくごく短い、瞬間の感覚を得るためには、日頃の地道な準備が必要であり、長い時間がかかるわけですが、それだけ時間をかけるのにふさわしい深い味わいです。

 今日はそんな瞬間を何回も味わうことができました。

 美味し過ぎ・・・


会うべき人に会っている。

2006-03-29 12:09:42 | 気づき

 このごろ強く思うようになったのが、出会いというのは、出会うべき人に、出会うべきタイミングで起きているのではないかということです。

 そして、いわばゲームで言うところの対戦相手にあたる、出会う相手は、良きにつけ悪しきにつけ、今の私の心の中を忠実に反映しているように思います。

 自分の心の変化によって、毎日出会う人の種類が変化するように感じるのです。

 ほんと、自分が変わると世界が変わるのが面白くて仕方ないのですが、同じように思う方、いません?

 最近、「どうしてこんな素敵な人と自分はいかにも親しく話ができているんだろう?」という、想定以上の現実の早い流れに一瞬ついていけなくなりそうな気持ちがすることしきりです。

 鮮明な彩りを伴いながら次々と変化していく、目の前に展開する現実は、私の興味を釘付けにしています。私はその前で、目を丸くしながらそれを眺めている感じです。現実は面白すぎる・・・


記号に操られやすい日本人

2006-03-29 02:17:42 | ちょっとした話題&日々の出来事
 日本人ってすごく学習能力が高い民族だってよく思うんです。

 ただ、学習能力が高いことの副作用なんだと思うんですが、すごく大きな欠点があるように見受けられます。

 それは、「記号に心理操作されやすい」ということです。  いったん、ある記号にパワーがあるって認める(ま、これが学習ですね)と、それ以後、盲目的にそれを信じる傾向がある。

 例えば、ブランドにこれほど群がる民族も少ないわけです。ルイ・ヴィト○の全世界の売上のかなりのパーセンテージを日本が占めているのは有名な話です。ルイ・ヴィト○のマークが付いていれば、ほとんど何も見ないで買う人が沢山います。

 それに大学ブランドにも弱いですよね。いい大学を出てる人に対しては、その人が馬鹿なことを言っていても、「○○大学を出てる人が言ってるから。」と鵜呑みにしたりする傾向があります。

 有名人の名前にも弱い・・・ 有名人であれば、その人の言うことを鵜呑みにする傾向があるわけです。  

 記号は、実体につけられるレッテルに過ぎないのに、学習能力が高すぎて、実体を見ないで記号で判断してしまう傾向があるのです。ま、頭でっかちなんだと思います。

 もう少し、記号に頼ることなく、物事の本質それ自体を見る、まっさらな目線を確保することが必要なのではないでしょうか。

それでいいんです。

2006-03-28 00:12:02 | 解決法

 よく聞かれるのが、

 「人に対して、ちゃんと接したのに、分かってもらえないときはどうすればいいんですか?」

 という質問です。

 こういうとき私は、
 「それはそれでいいんです。親しくなる時期がまだ来てないのかもしれないし、相手の状態が悪いのかもしれない。あるいは、相性が悪いのかもしれない。いずれにしても、あなたに問題はない。この、あなたに問題がない、ということに確信を持つことが大切です。」

 と答えます。

 もちろん、分かってもらうための努力と工夫(これについては、http://blog.goo.ne.jp/imagingstar/e/7847b2abcdf6b61385c5c1e271a93279)は必要ですが、精一杯頑張ったなら、それ以上相手を追うのは止めて、次に行った方が良いと思います。

 そうじゃないと、磨り減ってしまい、無理が出て来て、むしろいい点が無くなってしまう危険があると思います。

 今気づきました。「それでいいんです。」って、天才バカボンのパパがいつも言ってる、「これでいいのだ。」に似てますね(笑)。


投稿の仕方のカイゼン

2006-03-27 02:07:21 | 今日のカイゼン

 どうもいろいろとご意見を聞いていると、このブログ、ワンブロックが長すぎて、なかなか全部読めない人が多いらしいことがわかりました。

 私としては、沢山書いた方が皆さんに喜んでもらえると勝手に思っていたのですが、どうやら独りよがりだったようです。

 そこで、これからは、長い話は何回かに分けてお送りすることにしました。

 それでしばらく様子を見てみますので、これからもしばらくよろしくお願いします。


車占い②

2006-03-27 00:41:19 | 気づき

 前に、車占いについて書きましたhttp://blog.goo.ne.jp/imagingstar/e/73a64afab62e82033bef501024e9a932

 で、最近面白いと思ったのが、人に、

 「私は、車にたとえると、どんな色の、どの種類の車ですか?で、その理由は?」と聞くことです。

 これによって、自分が相手にどういうイメージを持たれているか、あるいは、その相手に対してどういう態度を取っているかなどの有益な情報が沢山得られます。

 ちなみに、昨日2人に聞いたのですが、1人が「黒のマセラッティ」で、もう1人が「赤のヘリコプター」でした。

 大分イメージ違ってて面白かったのですが、それにしても、車って言ってるのに、「ヘリコプター」なんて言われると、喜んでいいんだか、微妙なんだか・・・(笑)。しかも、赤。「東京消防庁のヘリですか?」って聞いちゃいました。このヘリ、沢山は乗れない感じだそうです・・・

 黒と言った人は、「スタイリッシュな感じ」とかなり嬉しい評価。で、赤と言った人は、「情熱的」と、これも、「まんざらでもない」評価(笑)でした。


贈る言葉

2006-03-26 11:46:54 | ちょっとした話題&日々の出来事

 ちょうど、だいたいの卒業式が終わったころだと思います。

 で、思い出すのが、海援隊の「贈る言葉」。私が中学校くらいのときにはどこの学校でもこれを卒業式で流していました。

 この歌の中で私が一番覚えているのが、

 「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つくほうがいい

 という歌詞です。

 これ、実にいいです。

 ありとあらゆる人間関係に適用できる一般法則だと思うのです。

 なぜなら、人を信じられなくなった人は、10人の人に会っても、誰とも信頼関係を築けない。絵で書くと、●●●●●●●●●●って感じです。

 ですが、基本的に信じる人は、●○●●○○●○●●みたいな感じで、いろいろと傷つきながらも、いくつかの宝石のような人間関係を手にすることができるからです。

 もちろん、取り返しがつかないような傷は絶対に避けた方がいいのですが、そこらへんのことについては前にやや詳しく書きましたのでどうぞ。http://blog.goo.ne.jp/imagingstar/d/20051206
http://blog.goo.ne.jp/imagingstar/e/94695216c9b4603f0f21d75bbf2e1564
 2つ目の方で、この歌について少し触れてました。 


信頼関係

2006-03-26 00:57:43 | 気づき

 自分はいつ幸せを感じるかって、考えてみました。

 そしたら、人に信頼されたり、信頼できたりすることがすごく幸せに感じるってことがわかりました。

 だから、もっと幸せになるために、そういう関係をどんどん築いていきたいと思います。

 じっと人の人生を観察していると、しょっちゅう人を裏切っているような人は、たとえ経済的に成功したとしても、幸せになれないという法則が見えます。

 人間というのは、どうしても、他の人も自分と同じように考えると感じがちなんだと思います。だから、自分が沢山の人の信頼を裏切ると、人間というものは人を裏切るものだ、という感覚(そう、まさに、感覚なんだと思います)から抜けられなくなり、その結果人を信頼できなくなり、いつまでも幸せになれないのではないかと思うのです。


競争から協力へ

2006-03-25 02:14:38 | 最近気になる言葉

 ここ数年、私の頭に何度も去来する言葉があります。

 それは、「競争じゃなくて、協力しようよ。」というフレーズ。

 これはですね、自分で作ったのですが、特に同性と接触する場面で思うことが多いです。

 意味無く競り合ってくる人が多すぎるように感じるのです。「あなたの能力と私の能力はかぶってないから、一緒に補いあったら、もっとすごいことができるのに、なぜあなたは私と競争しようとするのか?」と言いたくなるのです。

 この問題は時代背景と関係あるのかな、と思うときがあります。

 ついこの前まで、世の中って、結構均質なところがあって、どこに行っても同じようなことをしていたのではないでしょうか。それは、日本という国の経済のあり方と関係していたのかもしれません。要は、どこの会社でも大量に、同じような製品を作っていた時代だったわけです。そういう、均質な社会では、競争が起きやすい。そりゃあそうですよね、みんな同じことをしているのですから。

 でも、時代は変わって、情報は極端に多くなり、技術の専門化・洗練化も進み、知識・情報・能力がかぶっているケースというのは大分減ってきているように思います。

 にもかかわらず、意味なく対抗心を燃やしたりする人というのは依然として結構いるように思います。

 古いなあ、と思うんですけどね・・・

 確かに、私が学生だった時分って、偏差値がすごく大事で、極端な人は、やりたいことなんてそっちのけで、より偏差値の高い大学に入っていたりしたわけです。そういう、「あなたと私、どっちが上?」みたいな価値観で育った人は、大人になっても、変な競争をやめられないのかもしれません。それが無意味であっても、まあ習い性なんでしょうか。

 ずいぶん昔に、ある雑誌で読んだ話を思い出しました。イタリア人が日本人に言った話です。その中で、そのイタリア人は、「君たちもそのうち、競争するなんてことが、全く意味のないことだって分かる日が来るよ」というようなことを言ってました。なぜか、その言葉が忘れられなかったのです。