特に、自分ができないことをしている人のことをそっくり真似てみるというのをやっている。
これは実に面白い。
この行動によって、今までできないと思っていたことがどんどんできるようになってきた。
だから最近は人の観察を前にも増してするようになった。真似の基本は、観察なのである。
今日した真似は・・・
内緒ですよ、もちろん。
前にも書いたかもしれないが、スキーの場合、斜面がきついときはより一層前傾姿勢を心がけないと、板をコントロールできなくなる。
これは人生でも同じことが言えて、速度が増したり、変動要素が増えれば増えるほど、きっちり前向きな姿勢を保たないといけない。
でも実際には、急斜面で怖くなって後傾姿勢を取りがちなのと全く同じように、スピードが増せば増すほど、変動要素が増えれば増えるほどにそれを怖がって前向きな姿勢を維持できなくなりがちなのだ。
だから我々は、いつも、前向きな姿勢を取るべきだ。
それによって初めて、自分のいる状況を客観的に把握し、的確な対応を選択することができる。
大上段に構えて今更言うことでもないとは思うけど、こういうのは基本なんだろうと思う。
この前、親しくしている私の生徒さんと一緒にある会社に行った後で、生徒さんが猛烈に怒っていた。
その方曰く、「あの社長は、imagingstarさんのことを舐めている。僕が舐められるのはいいけど、imaginstarさんが舐められるのは許せない。失礼ですよ!imaginstarさんは人が良すぎる。」と。
そっか。私は、徐々にその社長が私に対して失礼になっていったので感覚が麻痺し、気づかなくなっていた。
そういうことを指摘してくれた生徒さんに感謝する。
今日は、私のメソッドの生徒さんと長時間に亘り話をした。
その方は、私が4,5年前に完成したコミュニケーション技術の一種を完璧に使いこなし、人生をエンジョイしていた。
一方、私は道具を作るところまでで満足し、それをきちんと使いこなしていないことが分かった。
だから、私は彼を、私の作った道具の使い方の師匠としていろいろと教わることにした。
それで早速使ってみたが、効果てきめんで、彼が私のメソッドをいつも褒めてくれていたのが決しておべんちゃらではない理由が良く分かったのだった。
また、この技術によって得られるのと同じ効果が、今をときめく俳優さんなどに見られることも同時に分かったのである。
これは使わないとモッタイナイ・・・
私も研究ばかりしていては損なので実践を進めることにする。
録画していたのをやっと見ることができた。
テーマは「正義」。イチローの年収から、過去の戦争責任の話まで、サンデル教授のリードの元に、素晴らしいディスカッションができていた。
しかし、どうも積極的に意見を言えていたのは帰国子女っぽい学生さんが多かったように思う。
サンデル教授は、今回の授業の前に、知人から「日本人は議論することが苦手ですよ。」と言われていて、今回の白熱教室の成果からそれは嘘だと分かったと言っていたが、それはどうだろう?
現実には日本では、何か意見を真剣に交し合い、真理を探究するようなことは未だにタブーであることが多く、地位が高かったり、力を持っている人の意見が単純に通ったり、議論すること自体感情的に避けたいとされることが多いように私は思っている。
意見の内容ではなく、「何様」であるかが問題とされ、議論自体がケンカと同視されてしまう文化がわが国には残念ながら根深く存在しているのである。
白熱教室@東大は、少なくとも日本の非常に特殊な環境であったと考えた方がいいと思う。
結構意見を率直に言って損することが多い私が言うのだからこれにはリアリティがあると思う。
しかし、こういう、いろんなことについて「何様」であるかに関係なく、論理的にきちんと議論できるような方向性に日本は変わって行かねばならないとも思っている。
最初このブログを書き始めたときは、ブログというのは何でも自由に書けるというのがとても嬉しくて、好き勝手なことを書いたものだ。
でも、ある程度の年月が経つと、利害関係のある人がブログを読むようになってくる。「ブログやってますよ」、とつい紹介したくなるからだ。
そうすると書くことにある意味での責任が要求されてきて、自由だった部分が抑圧されてくる。
「この間はこう書いてましたよね。でも今日は違うことやってますね。」とか言われることがあるのだ。
どうなんだろう。この状態は。
あくまで自分は自分であって、矛盾している部分だって当然あるんだから、それはそれで受け止めて欲しいと開き直って自由に書き続けるべきなのか、それともいろいろと気を使って書くように自己統制していくのが良いのか・・・
あるいははたまた、「裏ブログ」を作ってそっちで好きなことを書いて、表のブログでは差しさわりのないことを書いた方がいいのか・・・
ふとそんなことを思った。
何も変わらないとは思うけど、そんなことを思うときもある。