シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

Just Do it !

2011-03-29 13:43:35 | 気づき

 この前、知り合いと3人で旅行をした。

 その時の話題は、タイトルどおり、Just Do It ! だった。

 状況が変わらず、希望がかなわない人に共通しているのは、「行動に出ないこと」であった。そして、この行動に出ないことの背景には恐怖が存在していた。この恐怖は、「失敗する恐怖」。

 しかし、成功は多数の失敗の上にしかない。だから、失敗する恐怖を克服できない人は成功できない。

 確かに、失敗すると人から笑われるかもしれないが、この、人から笑われ、馬鹿にされることを嫌悪してしまうと物事は進行せず、事態は何も変わらないのである。

 このパターンは、実に多い。私もふとすると行動しなくなっていることがある。誰もが、毎日このことについて自分を監視してもいいくらいだと思う。


私の放射線対策

2011-03-25 13:50:06 | ちょっとした話題&日々の出来事

 放射線対策についてはいろいろと考えた。放射線の対策は当然ながら、ガンの放射線療法の副作用を減らす方法と同じはずである。

 放射線は、身体を通過するときに電子を遊離させることで発生したフリーラジカルによって細胞を酸化させ、破壊する。そのため、抗酸化作用のある天然物質を取ることが放射線療法の副作用軽減に役立つのである。放射線療法の副作用軽減に役立つ物質は、プロポリス、ハタケシメジ、エキナセアなどである。http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-02-01-09

 これらの物質を摂取することによって、放射能の影響によるガン、白血球の減少などを防御することができる。今後このことが明らかになると、これらの天然物質はすぐに売り切れるだろう。このブログを読んでいる方々は早めに手に入れ、万一に備えていただきたい。尚、アルコール抽出のプロポリスの場合、アレルギーが出る場合もあるのでアレルギーが気になる人は、水抽出、超臨界抽出、ミセル化抽出のいずれかの方がアレルギーが出る可能性が低いのでそちらを選んだ方がいい。

 浄水器については、逆浸透膜方式であれば完璧に放射性物質を取り除くことができる。しかしこれは非常に高価である。逆浸透膜ではないがシーガルフォーというブランドのものが放射性物質を取り除くことができると正式にうたっている。開発者が元々放射性物質の捕獲などを研究しており、専門領域のようである。チェルノブイリのときも使用されたという情報がネット上で見られる。既にほとんどのネット上のショップで売り切れているが、よく探せばまだ購入できるようだ。さきほど知り合いが購入することに成功した。10万円前後するが、命を守れるなら安いだろう。たいていの店は数ヶ月~5ヶ月待ちのようである。ちなみに私はシーガルフォーのアウトドア用の「ファーストニード」という浄水器を使用している。

 更に徹底したい人にお勧めなのは、負電荷療法である。放射能の害は、体内の電子が遊離して吹っ飛ぶことから生じる。だから電子を注入してやればその害を防げるということになる。実際、負電荷療法を開発した高田博士は広島の原爆のときに現地に行き、タカダイオンでの治療にあたり成果を出している。10年以上経った段階でも、原爆症の緩和に多いに役立ったという新聞記事も残っている。このタカダイオンの理論的解明を頼まれた東工大の織田暢夫名誉教授が改良したのがわかばという治療器。織田教授に言わせると、タカダイオンは木造家屋の1階で使用すれば効果があるが、2階で使うと効果がないそうだ。その問題がわかばでは解決されている。これが更に改良されたのが現在のスーパーわかばとトリプルわかばである。

 この治療器による昭和大学医学部のネズミの実験は興味深い。ネズミに負電荷を注入し、それから農薬を飲ませる実験だ。農薬は体内で大量の活性酸素を発生するので、活性酸素除去効果の判定には適当なのだ。現行の治療器で負電荷を注入したネズミの72時間後の生存率は、対象群が5%であるのに対し、なんと70%となっている。このことから間接的に、活性酸素除去効果が証明されたということができる。私はたまたま去年の8月からこれを使っている。ちょうど放射線対策にいいのでタイミングが良かった。この方法は、結構高価なのが欠点といえば欠点である。


twitterで自分をフォローしてない人をフォロー解除するソフト

2011-03-23 23:58:04 | ちょっとした話題&日々の出来事

 ツイッターしてる人にとっては常識的なことなのかもしれないが、私はずっと、自分がフォローしたのにフォローしてくれない人を探し出して解除する方法はないものかと考えていた。私の場合、フォローしている人の数よりも、フォローされている数の方がずっと少なかったので、フォロー数が2000人を越えた段階で例の「フォローされている数の1割増しまでしかフォローできない」制限に引っかかるのだ。

 そして、検索したらすぐにそれが見つかった。

 http://www.oshiete-kun.net/archives/2010/06/twitterjust_unfollow.html で紹介されている、Just Unfollowというものだ。

 早速、これを使って、宇多田ヒカルなどの一部を除く全ての、「こちらがフォローしているのにフォローしてくれない人」たちへのフォローを解除した。

 これで順調に2000人フォローを越えて、何千人というフォロワーを獲得する計画が実行できるのだろう。

 と言っても、別にアトランダムにフォローしてくわけではない。「未来」で検索して、未来に興味のある人をどんどんフォローしていくのだ。


今朝の地震

2011-03-23 23:53:36 | ちょっとした話題&日々の出来事

 今朝は、7時台の地震で目が覚めた。

 いったい何回余震が起きるのだろう?

 生まれて初めての経験に、日々覚醒が進んでいるような気がする。

 この災害は、これまで眠っていた日本人をたたき起こすだろう。そして、日本人はいったん覚醒するとすごい勢いで力を発揮する民族なのだ。


買いだめする人の視野狭窄?

2011-03-19 01:35:17 | ちょっとした話題&日々の出来事

 世田谷区は比較的、食料品の買占めみたいなことは起きていない。しかし米については、どこに行っても、たいていの店では普通の米も、レンジですぐにできる米飯も売り切れているように見える。

 しかし、私が行きつけの自然食品店に行くと、レンジでできる米飯はしっかりと陳列されていた。買占めをする人たちにとっては自然食品店はターゲットとならなかったということだ。

 また、カップ麺についても同じようなことがあった。カップ麺はどこに行っても全然見当たらないように見える。しかしよくよく観察していると、地味な商店で店の前にいくつもカップ麺を並べているところがあるのだ。地味な食力品店も、買占め集団にとっては存在しないも同じ存在だった。

 こういうパターンというのは以前から、野菜の値上がりとか品不足のときもあった。買占めとかに走る人というのは、結構視野狭窄的な人が多いようで、いかにもそういうものを置いていそうなところに集中するようだ。

 買占めに走ろうとする利己的な動きと、視野狭窄というのは私から見るとリンクしているように思える。

 私の見立てによれば、利己的な人間というのは、ある意味自分というものを周囲から切り離して考えているということだ。それは自我という概念についての考え方が狭いのだと思う。

 若干分かりづらいだろうから、たとえ話で説明する。

 人間というのは、竹の群生のようなものだ。竹の群生というのは、表面的にはそれぞれが独立しているように見える。しかし、根っこでしっかりとつながっている。だから、1本1本の竹は別々に見えても、実際には一体なのだ。人間もこれに似て、1人1人が別々に見えても、実際にはあらゆるところでつながっている。

 だけど、自分というものを考えるときに視野狭窄的な見方をする人は、竹で言うと土の上の部分しか見ていない。自分が、自己の属する社会の一員であるということが自分のアイデンティティの大きな部分を構成しているというところまで見ることができないのだ。

 そして、視野狭窄的な考え方の人というのは、何かにつけて視野狭窄になりやすい。これは視野狭窄というものが脳の機能の低下であるという性質からすればいかにも自然なことだ。

 そういうことを考えると、やはり利己的な人間が、視野が狭い人間であることが多く、だから思い込みも激しくて、普通想定される場所に目掛けて一目散に買占めに走るのではないか、という結論になってくるのである。

 ここまで書いて分かってきた。こういう話はこんな風にくどくどと説明しないと分からないし、説明しても分からないことが多いのかもしれない。そして何かにつけて私はそういうことが多い人間なのだ。

 でも、私はこういう話に対して、賛成でも反対でもいいから乗ってくれる、あるいはせめて耳を傾けてくれる人を友としたい。


インターネットエクスプローラー→GoogleChromeへ

2011-03-17 23:15:09 | 学んだこと

 この前、知り合いからインターネットエクスプローラーよりも、Safariのがずっと早くインターネットを見ることができると聞いてインストールしたが、どうもうまく行かない。

 そこで、前にインストールしたのだけど使っていなかったグーグルChromeを使ってみた。

 そしたらびっくり。

 IEとはまるでスピードが違う。これは今までもったいないことをしていた。古いパソコン使っているので余計に差が出る。特に、IEでは重くてどうしようもなかったTwitterが実にサクサク動くのが素晴らしかった。

 今後はIEをやめてChromeに移行することにする。

 これ、常識なのかもしれないが、とりあえず個人的な驚きとして書いてみた。


地震

2011-03-12 00:22:33 | シンクロニシティって何?

 今日最初の地震があった午後2時48分、私は池袋にいた。ビルに入ると同時に1階の人が何人も出てきたのでどうしたんだろうと思ったら、その後に大きな揺れが来たので私も道路に飛び出した。建物がぐらぐらと揺れていた。写真は地震直後の様子である。

 こんな地震、生まれて初めてだ。

 全ての鉄道が止まってしまったので、池袋から新宿まで2時間かけて歩き、新宿の事務所に行った。

 事務所に2時間ほどいたが、鉄道復旧の見込みが立たないのでまた歩いて世田谷の家に向かった。また2時間かかってやっと家についたのが10時だった。

 途中、水が噴出している店や、割れた窓ガラスなどを見た。東京でも被害は結構出ているのである。

 家では暖房が故障表示になって動かなかった。知り合いの家では3ヶ月前に買った地デジテレビが倒れて壊れたということだった。

 午後11時ころになって家族全員との連絡が取れた。全員無事だった。 


小津安二郎「東京物語」

2011-03-11 01:03:37 | ちょっとした話題&日々の出来事

 ずっと見たかった、小津安二郎監督の「東京物語」をビデオで見た。

 舞台は戦争が終わって8年の昭和28年。昔からの日本の家族の繋がりが、世の中の移り変わりの中で希薄になっていくという話である。

 中身はネタバレになるから書かないが、笠智衆の演技と、原節子の笑顔が印象的な作品である。

 寅さんシリーズでは当然おじいさん役だった笠智衆、49歳だった当時に既におじいさん役なのが面白い。よれよれと歩き、ゆっくりと語る様子は完璧に70歳超えているように見えた。

 原節子に関しては、日本にこんな女優がいたかというくらい美しい人であった。昭和38年に小津監督が亡くなり、その通夜に出席して以来公の世界から完全に姿を消したという。

 あれから60年近く経ち、日本ではとっくの昔に家族の絆が希薄になってしまっている。こんな中で小津監督のこの作品は、今でも当時と同じ輝きと力を持っている。


更なるバージョンアップ

2011-03-09 01:50:26 | 青天井な能力開発

 私のメソッドが昨年秋にメソッド史上最大とも言いうる大進化を遂げた話は何度も書いた。

 銀座のクラブで働いている知り合いも、この最新メソッドを導入してから、アラフォーにもかかわらず(失礼)、年齢の壁を越えて初めての月間賞を取り、バージョンアップされたメソッドの威力を見せ付けてくれた。電話では、「なかなか意識できてない」と言っていたが、明らかに声の完成度が上がってきていたので「大丈夫。声、出来てますよ。」と太鼓判を押した。

 そして更に、私の中では新たなアイデアが最近浮かんできている。だいたい、私の中で自然にひらめくものは大抵何らかの効果があるから、恐らく近々メソッドはまたバージョンアップすることになるだろう。前のほどではないが、なかなかこれもいけると思う。

 それにしても、私も昨年秋以降、どんどん忙しくなってきている。現在一日に大抵一度は未来記事を書き、ブログも更新しているが、このペースを維持するのが難しくなるかもしれない。


情報処理型人、クリエイティブ、そしてハイブリッド

2011-03-05 11:39:49 | 気づき

 世の中には大まかに分類して、3種類の人間がいる。

 第一に、情報処理型人。これは、いわゆる”左脳的”な、情報処理的な仕事に適している。発想や、アイデアなどとはどちらかというと無縁であり、量的な仕事、あるいは着実であったり、地道な仕事が得意である。このタイプの人が、クリエイティブな仕事をしなければならない場合、脳に極端な負荷がかかる。

 第二に、クリエイティブ。これは、いわゆる”右脳的”な、何かを作り出したり、発想やアイデアなどが生かされる仕事が得意である。直感的な面が多く、質的な仕事が得意である。反面、ルーティン的な仕事が不得意であり、そういう仕事を一定以上任されると脳に極端な負荷がかかって苦痛となる。

 第三に、ハイブリッド。これは、情報処理とクリエイティブの両方が得意である。発想やアイデアを出すことも得意であるし、情報処理的な仕事もできる。この性質の人は、両方できるが、クリエイティブな能力も持ち合わせているが故に、純粋な情報処理に偏った仕事をすると退屈してしまい、苦痛となる。

 この中で、第一と第三の人間同士、あるいは第二と第三の人間同士は互いに意思の疎通が可能である。しかし、第一と第二は、全く脳の使い方が違い、価値観、あるいは更には生きている感覚そのものが違うため、話が非常に通じにくい。WindowsとMacの関係に似ている。OSが異なるということだ。

 人間は多様性があり、また、様々な他のファクターによって人格が形成されているため、もちろんこのような分類だけで何でもかんでも説明できるわけではない。しかし、このような分類をすることによって、何か分かることがあるのではないかと思う。

 私の場合、もともと第一と第三の間くらいだったのが、次第に第三、あるいは第二と第三の間くらいに脳の使い方が移行してしまったように感じている。