シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

とりあえず根拠を聞いてみよう

2011-04-30 16:03:15 | 学んだこと

 人が何か意見を言ったときに、合点が行かないときはその意見の根拠を聞くのがオーソドックスだが重要なことだと思う。

 これをやらないと、人の、根拠のない思い込みが自分に伝染してしまう。

 ただ、直感的な判断をするタイプの人の場合、根拠を言語化して言えないことも多いだろう。そういう人に「根拠は?」と聞いてもあまり意味がない。根拠はその人の潜在意識の中に存在している可能性がある。そういうときには、その人がこれまでにしてきた判断の是非について分析する方法をもって代替することもできる。

 さて、根拠というのはとても大事で、自分の考えや行動についても常に「なぜ?」を発し続けることが必要だろう。


毎日イチゴ

2011-04-28 12:47:27 | ちょっとした話題&日々の出来事

 イチゴのシーズンがそろそろ終わろうとしている。思い返してみると、今年は例年になくイチゴを沢山食べた。

 だいたい1日平均で1パックは食べていた計算になる。

 イチゴの場合農薬が気になるため、ホタテの貝殻焼成カルシウムを水に溶かしたもので、表面についた農薬を洗浄してから食べるというプロセスを踏むことにしている。まあ、農薬による活性酸素の発生は負電荷で中和できるからそれほど気にするまでもないが。

 イチゴと言えば、女優の綾瀬はるかさんも毎日食べると前にテレビで言っていた。あの透明感の背後にイチゴがあるわけだ。

 毎日食べると虫歯を予防することができるという話もテレビで見たことがある。美味しいし、健康にいい、素晴らしい果物である。

 夏場にイチゴジュースを飲みたいので、結構な量を冷凍にして保存することにした。


人種

2011-04-28 02:10:42 | 気づき

 人間には、人種というものがある。人種と言っても、白人とか黒人とか、黄色人種とかいう話ではなく、マスコミ人とか、法曹とか、アーティストとかいうような、職業や趣味によって分けられる類のものだ。

 この人種によって、考えていることがすごく違うのに驚くときがある。脳の使い方に違いがあるのかもしれない。ある人種からすれば素晴らしいことが、別の人種からすると最低のことになったりする。

 例えば、アーティスト的な人種の人たちと、弁護士とか会計士のような士業人種の人たちとでは、会話も、ノリも、信じていることもまるで違うことが多い。

 不思議なのは、他の人種を理解しようとする人が意外に少ないことだ。自分の属する人種のロジックや価値観が絶対的に正しいのだと考え、違う人種の考え方を間違っていると思っている人がかなりいるのはある意味当然なのかもしれないが、なぜ異人種の物の見方を理解しようとしないのだろうと時々疑問に思う。

 


都知事選挙を振り返って

2011-04-26 19:59:35 | 意見

 先の都知事選では自粛のせいで候補者についてのテレビでの情報も少なく、演説もろくに聞けなかった。原発や災害対策などについての活発な議論が期待できたのに。

 選挙というのは民主主義の根幹に関わることで本来これは自粛できる筋合いのものではないはずだ。これを自粛してしまったら、都民の意思が十分反映されない(どの候補者が何を考えているのか分からない都民はまともには判断できなかったろう)都政が今後4年間続くことになるのだ。

 にもかかわらず、選挙活動が簡単に自粛され、しかもそれに大した異論も出なかったのは、選挙とはもともと候補者の意見など関係のない、単なる人気投票に過ぎないのが現実であるということを皆よくよく承知だったということなのかもしれない。

 こういう、民主主義の根幹にかかわることがあっさり省略されてしまうような流れだと、今後言論統制なども、いとも簡単になされてしまうのだろうとふと思った。


 


設計、プランと「計算」は違う

2011-04-26 11:38:18 | 気づき

 人生を円滑に進ませるためには、設計やプランと呼ばれるものはとても大事だが、これを「計算」と混同してしまう人がたまにいる。

 いわゆる「計算」とは、こすからく自分の短期的利益だけを計算するようなことを言うのだが、設計やプランはそのような意味ではない。

 自分以外の存在についても、短期のみならず中期、長期に亘って自分のこれから行う行動の影響がどのように及ぶか、をきちんと考え抜くことこそが人生における設計やプランなのだと思う。

 そういう文脈で設計やプランというものを捉えた場合、こすからい「計算」などと違い、大いにやるべきものだという結論になるはずだ。


青天井な人間力向上

2011-04-25 23:54:10 | ちょっとした話題&日々の出来事

 このブログの説明に、「青天井な人間力向上」とあるが、この青天井にはとても意味がある。

 青天井というのは、限界がないという意味だ。限界がない個人の成長を目指すには、努力とか、根性とかいうものでは無理である。 努力や、根性では、途中で疲労が出てくるために限界に突き当たってしまうのだ。

 青天井な能力開発をしようと思うなら、好奇心、探究心、何かを知りたい心、想像する喜びなどの人間の本源的で自発的な欲求を用いないと無理なのだ。私の教えているイメージトレーニングもこの方針で、努力や根性よりも、上記のような欲求を大切にしている。

 ところで今悩んでいることがある。それは私のイメトレのネーミングだ。なかなかぴったりくるのがない。超伝導メソッドだとか、究極メソッドだとか、いろいろと考えるのだが、どれもしっくりこないか、一長一短になるか、あるいはあやしくなってしまう(笑)

 いっそのこと、青天井メソッドにしてしまおうか・・・

 


内なる、聖なるもの

2011-04-25 08:52:23 | 本日の内なる声

 人間の内側には、常に聖なるものが光を放っているといつも思う。

 それが外に出てくるかどうかは人によるけど、どんな人でもそういうものはある。

 そういう光を見るのはとても嬉しい。

 この、内なる、聖なるものは無限のエネルギーを孕み、青天井な世界へ私たちをいざなってくれる。

 そういうエネルギーを引き出す手伝いをして、いつもまばゆい光に照らし出されていたいと思う。


自分の中の子供

2011-04-24 11:20:58 | 気づき

 子供の頃は、あれがこうなればいいのに、というようなことをいつも考えているものだ。

 でも、大人になると人は段々そういうことをしなくなり、現状だけを甘受するようになりがちである。

 そうすると、その大人の心の中にいる子供が徐々に死んでいく。そして元気がなくなり、つまらなくなり、人生に飽きてしまう。

 この子供を生き返らせるためには、まずはちょっとしたひらめきを素直に実行に移してみると良い。くだらないとか思ってはいけない。

 そうすると、すねていた内なる子供が笑顔を取り戻し、また元気になってくる。

 そして次のアイデアを提供してくれるようになるはずだ。


大切な記憶をいつも胸に

2011-04-23 16:50:17 | 本日の内なる声

 私たちが普段の生活を全うに生きるためには、大切な記憶をいつも胸においておいて、いつでも取り出せるようにしておく必要がある。

 私たちの胸は、デスクトップみたいなものだ。

 ここに大切な記憶をいつも置いておけば、私たちはどんなときでもこれを取り出して、前に進む気力を得ることができる。

 そしてまた、大切な記憶は、他の人を大切にしたいという気持ちを生み出す。

 何でこんなことわざわざ言うかって?

 それは、私たちがいとも簡単に、大切な記憶を忘れ去り、いとも簡単に失望に沈み、他の人を大切にしなくなるからだ。

 では大切な記憶とは何だろう?

 昨日のことでも、10年前のことでも、もっと前のことでもいい。

 私たちがそれを思い出すと、自然に胸が熱くなり、涙が自然と溢れそうになるような記憶、それが大切な記憶だ。

 この、大切な記憶を大切にすれば、私たちの大抵の選択は間違わないはずだと思っている。


人は、周りの人につぶされていることが多い

2011-04-23 16:15:55 | 気づき

 最近思うのは、人は周りにいる人間によってその能力飛躍の可能性を奪われていることがかなりあるということだ。

 そういうケースでは、その人の頭の中の思考の抵抗を取り去る方法を教え、実践してもらうことができたとしても、その、もともといた周りの人たちが邪魔をしてくることが多いように思う。

 とても残念なのだが、これはある意味当たり前のことだと理解しなければならないのかもしれない。

 というのは、人間の能力とは、周りにいる人間と同じレベルになるのが通常だからだ。あるレベルと質の人間たちの中にいれば、「朱に交われば赤くなる」という諺どおりに、同じレベルと質を獲得する。そして、このような状態になった場合、自分だけレベルアップしようとしても、その、周りにいる人たちはそれを妨害しようとするのだ。

 私のイメトレの世界の用語で説明を試みると、ある人の思考の抵抗値が急に低くなり、大量の情報信号が流れ始めた場合、周りにいる人間はその大量の情報信号の流れに耐え切れず、従来の思考秩序というべきものが揺らいでしまい混乱するので、それを皆で一斉に押さえ込もうとする傾向がある。

 普通の日常用語で言えば、「1人だけ能力が上がっても、周りの人間からは理解されず、むしろつぶされる危険が出てくる。」という風に言えば分かりやすいのかもしれない。しかもこういうことは、「あなたのためだから」という例の広告で使われた言葉の下に行われるからなかなか見抜くことが難しい。

 このようにして、集団における人間の個々の能力は一定程度均質化し、それによって集団が安定するのだが、個人の能力開発という観点からするととても不幸なことになる。

 こういう場合には、その集団から抜け出すほか解決方法はないのかもしれないが、今後も観察を重ねていきたいと思う。