シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

ツキの正体(桜井章一著)

2010-06-23 00:02:04 | 読んだ本

 雀鬼の異名を取り、伝説的なマージャンの達人である桜井章一氏の本を読むのは2冊目だ。

 今回は、この達人がツキについて語った本である。読んでみると、いちいちうなずける話が書いてある。

 例えば、「耳当たりのいい言葉は信じない」という表題で書いてあったことは実に振るっている。

 「そもそも、言葉というのは怖いものです。人の心を縛り、自由な変化を許さない力を持っている。たとえば、赤ん坊がお乳を求めて、母親に抱きついてくる光景を思い浮かべてください。母親はその子を抱きしめ、乳を与え、この子を守りたいという使命感や喜びを感じるでしょう。

 そして、こういった自分の感情に「愛」という言葉をあてはめる。私はこの子を愛している、と決め込みます。愛しているのだからと過保護に育てたり、あるいは愛が重荷になって虐待するかもしれません。 

 つまり、愛という言葉に縛られた行動を取るようになる。愛にすがって、愛に崩れていく。

 これは怖いことだと思います。~~中略~~そんな言葉を使わなければ、もっと自然な関係でいられたのに、言葉が人間を不自然にしてしまう。以上、同著115ページから116ページ」

 うーん、素晴らしい。

 言葉は、見えない鎖のように、自然体であるべき私たちの心を縛り、そのせいで必要以上な不自由さを我々に強いることがある。

 そういう、不自然に縛るような言葉によって私たちが自然さを失ったときに、変化に柔軟に対応することができずに狂った流れに飲み込まれ、ツキを逃すという著者のニュアンスはよく理解できる。

 頭でっかちになりがちな私たちを諌め、常に感覚を大切にしろと説く桜井氏は、実際に勝負の世界で無敗伝説を作り、自らの生き様でもってその考えの正しさを証明している。


ザ・シークレットのご利益

2010-06-03 00:47:55 | 読んだ本

 ザ・シークレットの中に書いてあった、「自分が心地よいと思うことにフォーカスせよ」を実践したら、

 もうその結果らしきことが起きた。

 内容は言えないが、「え?そんなことって起きるの?」と思うような出来事だった。

 こんなに早く成果が出たので、信じる気持ちが強くなった。 

 誕生日シンクロも、中華街の話の方は始めてから後のことだからもしかすると効果なのかもしれない。

 アインシュタインが言っていた「「想像力が全てだ。それは人生でこれから引き寄せるものの予告編なのだ。」という言葉を再びかみ締めた。

 良い想像をしていると、良いことが起きる。

 前から知識としては知っていたが、もっと深いレベルで理解できるようになった自分を感じる。


ザ・シークレット(ロンダ・バーン) 

2010-06-02 00:39:24 | 読んだ本

 ザ・シークレットは、「引き寄せの法則」のバイブルのような本として有名だが、英語のビデオしか見たことがなかった。

 たまたま本屋で見たら、それこそ引き寄せられるような気持ちになったので買ってみた。

 日本語で丁寧に読むと、なかなか含蓄のあることが書いてある。

 例えば、61ページ

 「もしあなたの気持ちが良ければ、あなたは自分の希望がかなう将来を創造しているのです。その逆もまた真なりです。~~中略~~私たちの思いと気持ちが私たちの未来を創造してゆきます。もしもあなたが心配したり、恐れを抱いていると、そういうものを自分の人生に引き寄せてしまうのです。」

 これなんか、「人生ノリだよ、ノリ。ノリが大事」っていうような意味だ。

 考えるに、5年くらい前はそういう考えの持ち主だったが、いろんな形の洗脳が私に加えられて、素直にそういう風に思えないようにいつのまにかなっていたのだった。

 また、アインシュタインのこんな言葉も今まで知らなかった。

 「想像力が全てだ。それは人生でこれから引き寄せるものの予告編なのだ。」(英語を調べたら以下のとおり。Imagination is everything. It is the preview of life's coming attractions.

 彼が想像力を大事にしているのは知っていたが、こういう、引き寄せの法則的なことを言っていたのは初めて知ったのだった。

 などなど、何回も繰り返して読んだ方がいいような内容だった。

 ベストセラーになるだけの価値はある。


「奇跡のリンゴ」

2009-06-18 22:02:08 | 読んだ本

 今日は空いた時間があったので本屋で「奇跡のリンゴ」~「絶対不可能」を覆した農家木村秋則の記録~(石川拓治著幻冬舎)を読みました。

 これ、前に私がブログで「腐らないリンゴ」という表題で3回ほどブログに書いた(http://blog.goo.ne.jp/imagingstar/e/2ed0d1e545fce8ebd02e9f731fa26026)木村さんについての本です。

 農薬を大量に使うのが常識と言われたリンゴ栽培において、無肥料無農薬栽培というとてつもないことをなしとげた男のお話です。

 実際木村さんのリンゴを食べたことがあるだけあってとてもビビッドな感覚で読むことができました。

 生命というものが持っている無限の叡智の一端をかいまみたような感動に包まれました。

 昔、実家の庭が一時全く手入れなしの状態で草ぼうぼうで、バッタやカマキリなどの虫がいろいろいたときがあったのですが、何かが満ち満ちているように感じてそのままにして欲しいと思ったことがあります。

 ただあれが、まさか雑草が土を作っていくプロセスだとは思い至りませんでした。

 植物だけでなく、人間の成長にも十分通じる内実のある本であり、今の情報過多、栄養過多の中で生きる人たちにはぜひとも必要なことが沢山書いてありました。

 UFOにさらわれたという木村さんの話を、中立的な立場ではなく「ファンタジー」と決め付けてしまったこと以外は(笑)、素晴らしい本です。

 さて、うちにあった、木村さんのリンゴを乾燥させたものを最近見かけません。一度ほこりをかぶらないようにとどこかにしまってしまった記憶があります。

 見てみたい・・・


村上龍「無趣味のすすめ」感想⑤~ライバルという他者~

2009-04-17 23:38:43 | 読んだ本

 この章では、141ページで、

 「わたしはよく村上春樹さんとライバルだと言われる。春樹さんの作品と、海外での高い人気には常に敬意を払っているが、別にライバルだとは思わない。春樹さんもたぶん同じ思いだろう。」

 と書いている。

 「別にライバルだとは思わない。」と書いているが、「ライバルという他者」というところで書いているし、「わたしたちが周囲からライバル視される」と書いているから、意識しているのは間違いないだろう。

  さて、確かに、昔W村上というフレーズで二人は比較されてきたのは知っている。が、私は村上春樹氏の作品を読んだことがあるが、村上龍氏の作品についてこの「無趣味のすすめ」以外読んだことがなかった(ように思う)。

 だから、本当に二人がライバルと言える関係にあるのかどうかについては分からない。

 しかし、この「無趣味のすすめ」の文章を読んで、果たして村上龍氏が村上春樹氏のライバルと言っていい存在なのかどうかについて正直疑問符を付けざるを得ない。少なくとも、村上春樹氏の文章には、こんなに簡単に文句を付けられるところは見つけられない。意味が分からないときでも、「これは理解できない自分が悪い」と思えるだけのものがある。

 でも、昔の、見るからに生き生きしていたころの村上龍氏の作品は素晴らしかったのかもしれないから、積極的に読んでみたいと思った。

 「人は年月の経過によってどれくらい変わってしまうのか?」という人間の老化に関する研究の一環としてである。

 後、この章では、両村上氏の小説について、「売れる小説」と述べている。「売れる小説」と書かれて村上春樹氏はどう思うのだろう?感想を聞いてみたい。


村上龍「無趣味のすすめ」感想④~ビジネスにおける文章~

2009-04-15 14:16:45 | 読んだ本

 今回村上氏の文章を読んで、実にあいまいで分かりにくい文だという印象を正直持った。

 だから、この「ビジネスにおける文章」というところを読んだときには結構インパクトがあった。

 205ページで、
 「仕事における文章は、「正確で簡潔」でなければならない。~~実は、小説の文章も同じように「正確さと簡潔性」が求められる。当たり前のことだが、文章というのは読む人に理解されなければならない。正確でなければ情報や意図は伝わらず、理解されないし、簡潔であればあるほどその精度は増す。」
 そして、208ページでは、
 「ダメな文章を書く人は、文章が下手なのではなく、そもそも自分が何を伝えようとしているのか自分で理解できていな ことが多い。」

 とある。

 実に良い内容であり、全く賛成だ。内容自体については全く反論の余地がない。

 問題は、「無趣味のすすめ」における村上氏の文章自体、決して「正確で簡潔」ではなくて、精度が悪いことだ。また、208ページのダメな文章についての批判も、そのままあてはまってしまう。

 村上氏に学ぶことは多い。


村上龍「無趣味のすすめ」感想③~部下は「掌握」すべきなのか~

2009-04-12 20:36:09 | 読んだ本

 この章では、153ページで、

 「~~部下とのコミュニケーションで悩んでいる上司がいるということが、わたしには理解できない。部下のモチベーションを上げる方法で悩んでいる上司がいるのもよくわからない。わたしの場合、映画製作やキューバ音楽イベントで共同作業をするとき、モチベーションのない人間は即刻辞めてもらうし、担当の編集者にやる気が感じられない場合も交代してもらう。」

 と書いている。

 これは、ひどいとしか言いようがない。

 そんな簡単に気に入らない人間をスパスパ切れるなら、誰も苦労はしない。したいけどできないから悩んでいるのだ。そんなに皆馬鹿ではない。「わからない」とか、「理解できない」とか簡単に言い切っているが、普通に想像すれば分かることで、大きな声で言えることではない。村上氏の想像力が極端に低下してきているのではないかと疑ってしまうし、会社には労働法が適用され、そんなにスパスパと人を切れないというのは常識だろう。第一、法的に許されたとしても、そんなに好き放題に人を切ってしまう人間に喜んでついて行く人間がいるだろうか?

 単なる、常識及び想像力不足と言ったら言い過ぎだろうか。

 みなさんのご意見をぜひ聞きたいところである。


村上龍「無趣味のすすめ」感想②~夢と目標~

2009-04-12 19:13:51 | 読んだ本

 この章も、テーマは面白いが、中身は単なる思い込みの羅列だと思う。

 この中で、

 「目標は達成されるべきもので、語られるものではない。達成のための努力を続けている人は、他人に自分の目標について語るような時間的余裕はない。いまだ達成されていない目標は、他人に語ることで意志が「拡散」する。目標は自らの中に封印されていなければならない。だから目標を持つのは基本的に憂うつなことである。」

 と書いている。

 まず、「他人に~時間的余裕はない」のところについて言えば、これは、個人で作業をしている村上氏のようなタイプの人にだけ当てはまる話だ。

 みんなで共同作業をするような仕事をしている人間にとっては、この、「目標」について語り、共有するために多くの時間が割かれるべきことは常識である。自分のような人間にだけ当てはまることを、一般化してしまうのは、いかにも視野狭窄で、それこそ、いわゆる「おっさん的」ひとりよがりな世界だと思う。

 また、「いまだ達成されていない目標は、他人に語ることで意志が「拡散」する。」というくだりも、単に村上氏がそういう性格というだけの話である。というのは、他人に目標を語ることによって意志が「増殖」する人はいくらでもいるからだ。 例えば、タイガー・ウッズなどは、試合会場に来るや否や、「ここには勝つためにやってきた。」と最初に宣言してしまうことがよくある。タイガー・ウッズはそういうことを言うことによって意志が「増殖」するからそういうことをするのだろう。村上氏は、ここでも、自分のような性格の人間にしかあてはまらないことを、いかにも全ての人間のあてはまるかのように表現するという愚を犯している。

 「だから目標を持つのは基本的に憂うつなことである。」というところも、よく分からない。「だから」という理由を示す表現を使っているにもかかわらず、ここまでの文章を読んだだけではなぜ憂うつなのかさっぱり分からないのだ。むしろ、突然の「だから」にびっくりさせられた。

 語られるものではなくて達成すべきもので、それについて語る時間的余裕がなくて、封印すべきものであるから、基本的に憂うつ、と言われても、言葉足らず過ぎて意味が分からない。

 それに、達成すべき、つまり義務であるからこそそれが快感という人もいくらでもいるし、語れず、封印された秘密であるから楽しいというものもいくらでもある。

 単に村上氏が、義務であり、語られるべきでないものが嫌いであるというだけの話ではないだろうか?またもや、特殊な事例を根拠なく一般化している。

 どうしてこうした一連の視野狭窄的な思い込みを断言口調で書くのか、素朴な疑問を抱いてしまうのは私だけだろうか?

 あるいは、ある意味法律家的論理で、作家の文章を分析してしまう私の姿勢がおかしいのだろうか?


村上龍「無趣味のすすめ」感想①~無趣味のすすめ~

2009-04-11 17:06:16 | 読んだ本

 本の感想は普段の丁寧口調では書きにくいので普通の書き言葉で書きます。

 村上龍氏は、最近「無趣味のすすめ」という本を出した。どうも、文章、論理のキレが悪いが、選んだテーマはいいので感想を書きたくなった。まずは、本の表題にもなっている、「無趣味のすすめ」についてである。

 この中で村上氏は、

 「私は趣味を持っていない」と述べた上で、

 「現在まわりに溢れている「趣味」は、~~中略~~考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような出会いも発見もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと充実感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。」

 と言い切り、「趣味」というもの自体を否定するような言いようである。

 しかし、まずは、真の達成感や充実感が得られるもの以外は意味がない、という、この文章の論理の前提となっている考え方自体非常に偏っていると思う。

 人生において、真の達成感や充実感だけが価値ではないのは分かりきっている。リラックスも、気分転換も、もちろん人生において大切な要素であり、これらは趣味によって得られるものだ。だから、趣味の世界でそういうものが得られないからといって、それで趣味の存在そのものを否定するのはまったくの暴論に過ぎないというべきだろう。

 第一、趣味の定義にもよるかもしれないが、趣味の延長線上には間違いなく芸術も含まれるだろう。芸術は、芸術家以外にとってはたいてい仕事とは言えず、趣味の部類に入る。そして素晴らしい芸術には、村上氏の言葉による「心を震わせ、精神をエクスパンドするような出会いも発見も」、間違いなく存在する。

 更には、じゃあ、読書はどうか、という話になってしまう。

 本を読むのは、村上氏のような文章を書くプロにとっては仕事であろうが、その他の人たちにとっては明らかに「趣味」である。

 村上氏の論理に従うのなら、

 「読書の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。」となってしまうのだ。

 とするなら、村上氏は、自らの作家という職業自体を否定しかねない発言をしていることになる。

 趣味にかぎ括弧をつけて、「趣味」と表現しているから、読書を除いているということなのかもしれないが、どの範囲の人間の活動が、村上氏の言う「趣味」なのかはさっぱり趣旨が不明確である。

 ここのところ、村上氏の表情は、固く、暗い。明るくしゃべっているときですら、その奥のほうに果てしない欝がありそうな雰囲気である。若かりし頃の、はちきれんばかりのエネルギーが感じられず、頭の固いおっさん風になってきたと最近思っていたが、文章まで、思い込みの激しい、バランスを欠いたものになってきたことには、外見と中身は結構一致するのだな、という感想さえ抱く。

 もちろん、極論を世の中に投げかけて問題提起しているのかもしれないが、そういうニュアンスはどこにも顕われてないから理解しようがない。

 カンブリア宮殿で、日々「当事者」として頑張る企業オーナーたちの話などを聞きすぎて、ある意味傍観者的な自分のアイデンティティに、自信を失いつつあるのではないかとさえ勘ぐってしまう。

 カンブリア宮殿で、スズキ自動車の鈴木社長が農家出身者の特徴であるごつごつした自分の手を、「あなたたちのような都会の人とは違う。」と言われたときの村上氏の存在感はいかにも薄かった。 


ブランディング22の法則

2007-03-06 12:22:05 | 読んだ本

 随分前に、ブランドに関する本を沢山買ってきて読み漁ったことがありました。

 その中で、もっとも分かりやすく、明快だったのが、「ブランディング22の法則」(アル・ライズ/ローラ・ライズ共著。東急エージェンシー)でした。

 まえがきで、

 「私たちにはマーケティングのコンセプト自体が時代遅れとなり、『ブランディング』と呼ばれる新しいコンセプトにとって代わられる日を見通すことができる。」

 と書く著者は、ブランドの知識が全くないような初心者にも、ブランドとは何かという本質を伝えながら、ブランドについての22の法則という形でブランド戦略の妙を教えてくれます。

 この本を読んで、私はこれは企業についてだけでなく、個人にも当てはめることができる本質を説いていると感じました。

 企業のサービスや、個人の行動などを見ていると、ブランドを全く考えていない人が多すぎると思います。

 ということは、裏返せば、ブランド戦略を押さえると、それだけでかなり差異をつけることができるってことですよね。

 ブランドと言っても、もちろん、いわゆるブランド品の話のみではありません。トヨタも、ソニーも、ブランドです。

 というわけで、私も読み返すことにしました。