シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

シンクロニシティとテレパシーの関連性etc.

2013-02-11 12:17:13 | シンクロニシティの解釈etc.

 シンクロニシティーというのは、普通に、いわゆるテレパシー能力が関与していると考えるようになった。

 最近、非常に的確なテレパシー能力がある方と知り合ってからは余計にそうだ。

 当てるなんてものじゃない、レベルでこちらのことを当ててくる。ご本人はそんなにこの能力を重視していなかったが、私の方でこれはすごいということで、いろいろと検証してみたところ非常に的中率が高いことが判明した。

 今回のこの方の場合、本人がそれをむしろ隠したがっているのが興味深い。それはそうだ。人の脳の中の情報にアクセスできるなんて知れたら、「気持ち悪い人」とレッテルを貼られる危険がある。それに、今の科学のレベルではその仕組みを当面は解明できっこないのだから、「ありえないことを言う嘘つき」という別のレッテルを貼られてしまう危険もある。

 私は、テレパシーはこの方に限らず誰にでもあり、それが意識には上がってこない、または上がってきてもそれがテレパシーだとは考えられていないのだと考えている。

 例えば、ふとある人のことが思い浮かんだとしよう。これは誰にでもよくあることだ。こういう場合、どの人も、普通にその人の記憶が蘇ってきたと考えるだろう。しかし、これがテレパシー現象だとしたらどうだろう?その人があなたのことを考えているがゆえにその現象が起きていると考えるわけだ。

 こういう考え方は、近代科学が登場する以前は、普通に誰しもが思っていた節がある。昔の和歌なんかにもこういうストーリーはあったような記憶がある。それが、近代科学の登場によって否定されたから、「迷信だ。」としてこういう考え方が封印されてしまったのだ。それ以来、そういうことを言う人は変人と扱われるようになった。

 しかし、この封印は、単に「わからないものは存在しない。」という非科学的態度に基づくものだったと思っている。統計的にデータを取るなど、否定するだけの十分な根拠が示されていない。もちろん、不存在の証明はほぼ不可能であるのだが、せめてその存在に対して疑義が生じるレベルでの根拠を示す必要があった。が、それはいまだになされていない。

 だから、今の科学者が取るべき態度は、テレパシーについては「真偽不明である。」というのが正しい。つまり「あるのかないのかは分からない。」とすべきなのだ。

 そして私は目の前でテレパシー能力の発現をはっきりと見た立場から、テレパシーは密接にシンクロニシティーと関連しているという風に考える。人間は互いに通信し、それによって不思議な偶然が沢山起きてくる。更に言えば、人間同士だけでなく、あらゆる森羅万象と人間は通信し、その結果森羅万象との関係でも不思議な偶然の一致が起きると見ている。サッカーの試合でもこの能力は表れていると思っている。テレパシー能力が高い選手は、「その時、その場所に」高い確率で存在することができ、スーパープレイを見せてくれる。人々が熱狂するのは、そこに近代科学以前の、解き放たれた本能の世界を垣間見るからではないだろうか?

 とは言え、何でもかんでもテレパシーだと思うのも不健全である。そういうことを言い出して、「私の言うことを信じなさい」とかいう人が出てくるのは問題だ。テレパシーは人間の能力だから、不安定だ。だからいつそれが発動しているのかが認定しにくいという欠点もある。他の能力と同じく、使い方次第で良いことにも悪いことにも結びついていくのだと考えている。

 シンクロニシティーについても全く同じことが言える。1つくらいのシンクロニシティーで「これは運命だ。」くらいのレベルで信じ込んでしまうのも問題である。私の場合、シンクロニシティーがどの程度連続してくるかや、どれくらい稀有であるかを見てその価値を判断することにしている。そうでないとキリがないくらい、シンクロニシティーというのは起きるからだ。

 

 

 


今日も素敵な人に出会った

2010-06-24 02:58:03 | シンクロニシティの解釈etc.

 今日(正確には昨日)は山梨に行っていた。

 役員をしている会社の取引先と初めてお会いしたのだが、それが実に良い人だった。

 優しい物腰なのに、すごく積極的に物事を前に進める強さを持っていた。曲がったことが嫌いな素直さも持っている。

 嘘の言葉を並べて自分を良く見せようとするようなずるさが全くない・・・

 いるんだなあ、こういう人。

 こんな人と出会えると、自分の歩んできた方向性が間違っていなかったと確認できる。


やはり波が来た・・・

2010-06-23 02:53:08 | シンクロニシティの解釈etc.

 どんどんいい波が来ている。

 予想通りと言えば予想通りだが、とても嬉しい。

 ちょうど今上げ潮状態なのかもしれない。

 「ツキの正体」によれば、こういうときにブレーキをかけるなんてことはしてはいけないらしい。

 今日は山梨に行って来る。

 風邪はかなり回復してきたからもう大丈夫。


タイミングが悪いとき

2010-06-20 23:30:25 | シンクロニシティの解釈etc.

 何事も、タイミングが悪いときというのはある。

 こちらの事情と、相手の事情等の状況がうまく噛みあわないときである。

 こういうときは致し方ない。

 全てについてベストタイミングになるわけはないし、タイミングが合ってしまったら後で困ったことになる場合もある。

 全てのタイミングは、見えざる力によってコントロールされているのだとすれば、それについてとやかく考えたり、悩んだりするのは無駄ということになる。

 実際そうなのかは分からないが、とにかく何かがタイミングが悪くて上手く行かないときは、あんまり考えずに、ある意味高田純次さんくらいテキトーに考えてまた明日のことを思ってニヤニヤして寝るくらいの神経を持つことはとても大切だ。


良い流れが続く~カメルーン戦パブリックビューイング~

2010-06-15 12:47:43 | シンクロニシティの解釈etc.

 またもや、良い流れだ。

 実は昨晩、日本VSカメルーン戦のパブリックビューイングを渋谷に観に行っていた。

 パブリックビューイングに行くのは初めての経験だったが、今まで負けまくってる日本代表だから、全く期待せずに参加したのだった。

 会場で、石野卓球氏のDJの音楽と共に流れたビデオを見ているとなんだかもしかしたら、というような気持ちになってから試合を見たのだが、結果は皆さんご承知のとおり。

 こういう素晴らしい機会にパブリックビューイング初参加というのは、私の”流れ”としてはプラスに考えてよいだろう。

 風邪で熱があるのに無理して行って良かった・・・


不思議な日

2010-06-09 14:30:46 | シンクロニシティの解釈etc.

 昨日は、昼の非常に嬉しい電話に始まって、いきなり落胆する話があり、それから六本木ヒルズである人と素晴らしい会合ができて、最後の締めくくりに渋谷で、彼女に振られて15分後だという後輩にばったり会って三茶に飲みに行くというあわただしい一日だった。

 喜び、落胆、感動、共感、と様々な心模様を体験したのは何か意味があるのかもしれない。

 昨日思ったのは、今、人間はそれぞれが感じていることや、思い描いていること、考え方などによってどんどん個別カテゴリーに分類されていっているプロセスにあるのではないかということだった。

 引き寄せの法則が強力に作用すればそういうことになる。引き寄せは類友とだいたい同じような概念だ。

 同じような人が集まり、違う人は引き離されるようなルールが強力になると、昔丹波哲郎氏が言っていた霊界のような世界になる。

 氏は、「霊界ではうそつきはうそつきしかいないところに行き、泥棒は泥棒しかいないところに行く。」というようなことを言っていた。 

 さてさて、毎日いろんなことが起きるが、とにかく自分は落ち着いてしっかりと自らのスタンスを守って前に進むのみだ。


読みにくいシンクロニシティ

2010-02-25 20:33:30 | シンクロニシティの解釈etc.

 この前、昨年の夏からローフードを始めたという人に出会った。しかもその人は12月に別の場所でだが、私と同じようにローフードを人から習っているのだ。

 ローフードの世界じゃない世界で出会ったから、まだまだマイナーなローフードについてあまりに一致したのでとても驚いたわけだが、このことがどういう意味合いを持つのか、それとも持たないのかはよくわからない。

 その他の点を総合評価すると、なんとなく違和感があったからだ。

 こういう、意味がありそうだけど、意味があまりないような気もするシンクロニシティというのは過去に経験している。

 でもまあ、大抵の場合少しはその人について学ぶことがあるくらいのニュアンスで受け取ることにしている。

 意味が強い場合には必ずやこれに引き続くシンクロが起きるだろうから長い目で見るべき、という考え方を取るのも良いだろう。


スイカがやってきた意味

2009-08-09 22:17:46 | シンクロニシティの解釈etc.

 ふと考えると、スイカが私のところにやってきた意味って、今の食事について方法論でOKなんだという解釈ができますね。

 確かに、スイカを中心に食べる今のやり方は非常に快適だし、身体がどんどん良くなる感覚がしています。

 でもまあ、スイカばっかりでも飽きてくるので今日はパイナップルを加えてみました。

 パイナップルは消化酵素が豊富なことで有名ですからね・・・

 今日の夕食のメニューは以下のとおり。

 非常に大きなスイカの8分の1
 普通の大きさのパイナップル4分の1
 豆腐とミニトマトとバジルにオリーブオイルと塩をかけたサラダ
 


シンクロニシティが科学なのかどうかに議論の実益はない

2009-08-09 14:03:42 | シンクロニシティの解釈etc.

 たまに、シンクロニシティが似非科学だという批判を聞くことがあります。

 でも、私はシンクロシティが科学的かどうかについては、議論の実益がない、という立場です。

 というのは、私たちの日常において起きる出来事を単なる偶然と捉えず、そこに何らかの意味や暗示されていることを想像することによって私たちの生活がより豊かになることは間違いのないことであって、実際にそれが本当の偶然か、それともそうでないかはそのことにかかわりのないことだからです。

 例えば、初めて出会った人が、たまたま、自分と同じ苗字であると分かったときに、それが何かの意味や暗示を感じて何となく元気になるようなことって結構ありますよね。こういうときには、そういう流れの中で元気が出たということこそが重要であって、その出会いが偶然かそうでないかは全く関係のないことなのです。

 あるいは、ある種の似たような出来事が続いたときに、それが何かの暗示だと解釈して、今度はその流れに乗るような行動を自分が起こすことを決めたというような場合、自分が新たな行動に移れたという現実こそが大事なのであって、その一連の出来事が単なる偶然の連続なのかそれともそうでないのかは大して重要ではないわけです。

 というわけで、シンクロニシティが科学かそうでないかについて論じる実益というのは実際のところあまりなくて、似非科学だなんだといい続けること自体、実益のない不毛な論だというのが私の立場です。

 実益がない無駄な論を続けて、せっかくの素敵な出来事を単なる偶然として片付けて想像力に乏しい生活を送ることこそ、科学的に言っても間違っていると私は考えています。

 だから、そういう議論を持ちかけて、いかにも私が非科学的な議論をいつもしている頭の弱い人、あるいは現実逃避的な人間であるかのごとき扱いをされたときでも私として本音ベースでは、「馬鹿じゃないんだから、そんなことは分かった上で言ってるんであって、それに水を差そうとするのは全体像を見失ったナンセンスな話!」と思ってしまうのです。

 が、急に言われてその場で分かりやすく反論できるような論説をいつも心に持ち合わせているわけでもなく、まるでたま出版の韮澤社長のように見えるかも分からない苦笑いを浮かべながらきっちりとした論理にもならない論理で反論するしかないことが多いので、こういうところでできっちり言わせてもらったわけです。


山菜採りが一週間延期

2009-05-15 23:47:40 | シンクロニシティの解釈etc.

 山菜採りが、いろいろな連絡行き違いの重なりなどで一週間延期になりました。

 直前にです。

 こういう、直前にいろいろなことがあって延期される場合というのはたいてい意味があることが多いです。

 つまり、今行くより、一週間後に行く方が、メンバー構成とか、起きる出来事とかさまざまな理由で良いことが多いのです。

 だから別に今年は山菜シーズンが早いから一週間後にはもう大好きなタラの芽は終わってるかもしれないとか、気にしないことにします(笑)。

 一見マイナスの出来事でも、長い目で見ると良い流れのために起きていることが多いんですよね。

 こういう、運気の大きな流れみたいなものをいつも意識する考え方って、いちいちイライラしないから、精神的衛生に良いです。だから別にそれが客観的に証明されなくてもいいんです。