シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

料理にチャレンジ②~ラフテー(みそ味)~

2006-01-31 23:47:54 | 今日のカイゼン

 
 ひさびさに、「料理にチャレンジ」のコーナーです。 この前豚汁を作ってからも、3日に一度くらいのペースで、簡単なラーメンとか、炒め物とかを作っていましたが、ま、ブログに書くほどのネタもなかったので書きませんでした。

 で、最近チャレンジしたのが、写真のラフテー(みそ味)。これは沖縄料理です。

 砂糖は全て黒砂糖にして健康志向にしました。

  ただ、最初に作ったときは時間が少し足りなかったのか、脂がまだ残っていて、食べたら気持ち悪くなってしまいました・・・

  で、次の日に更に煮込んで脂を落として食べたら最高に美味しかったです。煮汁を薄めてうどんを入れ、ねぎをたっぷり入れてラフテー入り味噌味うどんにして食べました。 でも、こういう美味しい物ができたときに限って電話がかかってくることかかってくること。マーフィーの法則ですね(笑)。


今日思ったこと

2006-01-31 01:18:28 | 気づき

 今日ある人といろいろしゃべる中で、私が、「人は、皆、信じられないくらいの小さな確率を通り抜けて生まれてきているんだから、生まれたこと自体がとてつもない価値を持っている。」というお話をしたら、その人が、「でも、60億全員がそうなわけだから自分だけ特別ってわけじゃないですよね。」と言ってきました。

 確かにそうです。そういう理屈も十分成り立つ。

 でも、この、あまたいる人々の中で、自分自身が生まれたことの奇跡をはっきり分かっている人はどれくらいいるでしょうか? 恐らくすごく少ないと思います。ほとんどの人は、生まれたこと自体が、とんでもない価値を持っているということを理解していないように思うのです。

 赤ちゃんのときは自分のいのちの価値を感覚的にわかっていたのに、大人になってそのことを忘れてしまう人がほとんどのように見受けられるのです。

 物でもなんでも、その価値を発揮できるのは、価値を理解している人が使った場合だけなのではないでしょうか? いのちも同じことです。人は、自分のいのちの価値を理解してはじめて、自分のいのちをフルに生かすことができるのではないでしょうか。

 かの明石屋さんまさんが、本当に魅力的に見えるのは、彼が、自分のいのちの価値をわかっているからだと思います。実際彼は、いつも、「生まれて御の字」とか、「生まれてもうけもの」みたいなことを結構口走ってますよね。 

 だから、おおげさに聞こえるかもしれませんが、自分がこの世に生を受けたことの価値をもっと評価して欲しいと思います。

 ところが、 たいていの人は、自分のいのちが失われそうになるときまでそのことに気づかないように思います。

 でも、こんな美味しい話、そんなときまでとっておく必要はないと思うんですよね。もったいなさすぎる・・・

 こういうことがはっきりわかるようになった人間には、もう、学歴とか、性別とか、出身地とか、民族とか、関係なくなります。その人間の迫力がまるで変わってくるのだから当然のことですよね。

 よくよく見てるとそういう人ってかなりいますよ。さんまさん以外でも、いくらでもいます。挙げていたらきりがないけど、わかりやすいところであえて挙げれば、田中角栄、綾戸智絵、宇多田ヒカル、一青窈、スティービーワンダー、高倉健(敬称略)・・・ 全くきりがない・・・

 高倉健さんなんて、よく考えたら不思議じゃありません? あの中国でどうして日本人の彼があんなものすごい人気が取れるのでしょう? 

 私は、高倉健さんは、自分のいのちの価値をわかっているし、その結果の論理必然として、自分以外の者のいのちの価値もわかってる人だと思うんです。そして、そういうことがわかってる人間は、外から見ても一目瞭然にわかってしまうものだと思っています。そういう人にとっては、民族の壁なんて、壁じゃなくなるのではないでしょうか。

 みんな良く見ているものだなあと、感心しますね。

 今日はアルコールが少し入ったせいで、なんだか大展開になってしまいました・・・ハハハ。  


Self-Esteem

2006-01-28 10:25:14 | 気づき

   昨日、風邪でブラブラしていたせいで、ネタが溢れてきてしまったので、三連チャンで失礼します。  

 昨日思ったのが、self-esteem(通常の日本語訳は、「自負心」ないし「自尊心」)ってすごく大切だってこと。

  これがないと、ありとあらゆるところに支障が出てきます。

  例えば、時間の使い方にしても、self-esteemが低い人は、「価値のない自分の時間は価値がない」と思って無駄にしたりする。

  人と会話をするにしても、「こんな自分の言うことは聞いてもらえるわけがない」とか、「本当のことを言ったら相手が自分を馬鹿にするのではないだろうか」などと思ってしまいます。

  何かを創造する場合にself-esteemがない場合は決定的ですね。

 それに、これがない人は、自分に自信がないから、人の幸せを素直に喜べなかったりします。あるいは、人の業績を横取りしようとする人すらいます。「他人の不幸は蜜の味」なんて、self-esteemがない人が思うことですよね。

  というように、self-esteemってとっても大切なわけですが、多くの日本人が誤解してることがあると思うんです。

  それは、この、self-esteemと、ナルシストであること、あるいは傲慢をいっしょくたにしてしまっているということ。

 で、今辞書で調べたのですが、self-esteemの日本語訳である自尊心は、 (1)自分を優秀な者だと思う気持ち。尊大に構える心。プライド。「―が強い」 (2)自分の品位を保とうとする心。プライド。「そんなことは―が許さない」

  尊大を調べると、 そんだい 0 【尊大】 (名・形動)[文]ナリ威張って、いかにも偉そうな態度をとる・こと(さま)。「―に構える」「あれはあなたの知人ですか。思ひ切つて―な人間ですね/或る女(武郎)」[派生] ――さ(名)

  で、プライドが、誇り。自尊心。自負心。「―が高い」「―を傷つけられる」

 自負心が、自分の才能に自信や誇りをもつ心。「強い―をもつ」「―の高い男」

 これに対して、ナルシストは、自己陶酔型の人。うぬぼれや。

 傲慢は、(名・形動)[文]ナリ思い上がって横柄なこと。人を見下して礼を欠くこと。また、そのさま。不遜。「―な態度」「―にうそぶく」[派生] ――さ(名)

 ここまで調べて、背景がよくわかりました。日本では、自尊心というのは、結構マイナスの意味で捉えられがちなんですね。で、その結果、ナルシストや、傲慢と勘違いされてしまうわけです。(自負心の意味はself-esteemの本来の意味に近いとは思われますが。)

 だから、self-esteemができない人が多いのかもしれませんね。

  アメリカでは、self-esteemっていう本が沢山出ています。なぜなら、これができないと、厳しい競争、人種差別などがある社会を生き抜いていくのが難しいからだと思います。

  日本は今まで平和(世界と比べれば明らかに平和ですよね)だったから、self-esteemなんてあまり必要じゃなくて、「僕なんてダメですよ。」と思ったり言ったりしていても大丈夫だったんだと思います。要は、環境が甘かったということ。

  でも、日本をめぐる状況は変わり、私たちは日々の生活の上で、厳しいものを感じることが多くなってきていると思います。

  これからの厳しい世の中を元気に生き残っていくためには、self-esteemが絶対に必要だと思います。  

   self-esteemの訳としては、「自分を信じる心」とすべきなんでしょうね。

 ここまで書いていていろいろわかってきました。謙虚とか、謙遜という美しい言葉のもと、何か、自信がないような態度が美徳とされる文化で生きてきた日本人が、外国人との交渉ごとにおいて結構貧乏くじを引かされるわけが。      


フィードバック

2006-01-28 10:12:29 | 学んだこと

 フィードバックについては前に何度か軽く書きました。  フィードバックって、辞書(大辞林)で調べてみると、
(1)入力と出力のあるシステムで、出力に応じて入力を変化させること。増幅器や自動制御などの電気回路に多く使われる。帰還。
(2)心理学・教育学で、行動や反応をその結果を参考にして修正し、より適切なものにしていく仕組み。
(3)転じて、結果を原因に反映させて自動的に調節していくこと。「消費者の声を生産者に―する」  

といった感じの意味です。

  私が、去年出会った、消費者を相手にする商売で大成功した人3人の共通点が、このフィードバックを完璧にこなす人であったことです。これらの人たちは、趣味だろうと商売だろうと、ありとあらゆる場面でフィードバックをする癖が付いていると見受けられました。

  とにかく、結果を見て上手く行かないと、次々と新しいワザを繰り出していきます。そして、最終的にこれ以上結果が向上しないという段階まで詰めていくわけです。

  3人が3人ともこの特徴を持っていたせいで、私は商売の神髄の1つを学ぶことができたと思っています。

 逆に、商売がうまくいかない人というのを観察していると、この、フィードバックのシステムが機能していないことが主因のことがよくあります。

  商売におけるフィードバックって、「お客の声を聞いてそれを反映させる」、あるいは、「お客が集まる売り方をする」のが主な作業なわけですが、これが全然できてない人って、かなりいるのではないでしょうか。長期間に渡って集客ができていないのに、何も変えようとしない人って、びっくりするかもしれないけど、結構います。

 もちろん、あるお客さんが言ってることが本音なのか。あるいは、そのお客さん以外もそう思っているのか、などはちゃんと吟味することが前提ですが。

  で、今日思ったのが、この、フィードバックのシステムがちゃんと機能しても、相当高いレベルで行動できるようになるには少し時間がかかるということ。だから、いい結果が出るようになるまで、多少の我慢が必要だということですね。ある意味、長期的視野というものが必要なわけです。

 しかし、よくよく考えてみると、商売だけじゃないですよね、フィードバックが重要なのって。対人関係、勉強、スポーツ、趣味などなど、フィードバックが役立つことって挙げていたらキリがありません。

  司法試験を受験していたときも、辰巳の加藤講師の、「毎年落ちるやつは毎年同じ原因で落ちるものだ。で、何も変えないからその次も落ちる。」の一言がすごい参考になりました。で、自分は絶対に、同じ過ちを繰り返さないようにしようと誓ったものです。これも、フィードバック以外の何物でもありませんよね。


1年に一度くらい見る夢

2006-01-28 09:41:28 | ちょっとした話題&日々の出来事
 1年とか、数年に一度見る夢というのが、数本あります。

 1つは、設定が出版社の話。毎日一生懸命生きていて、ものすごく充実している主人公が出てきます。なぜか女性です。

 そして私は、その夢を見るたびに  「望んでいるのはこういう人生だっ!」って心から思ったものです。

 でも、よく考えたら、この夢、ここ何年もずっと見てないんです。

 なぜだろう・・・

 今朝は、シリーズものじゃなくて一本物。

 実家に、高校の同級生ら(同級生以外誰がいたか覚えてない)が遊びに来て、ラブラドールレトリバー(イエロー)の子犬とじゃれながら家を案内する話でした。

 なぜかその子犬が、じゃれながら右前足を上に挙げて、それを私の頭にポンと乗せるんです。 何の意味だかわからないけど、とにかく嬉しかった・・・ 

 その子犬がすごくかわいくて、起きてからTOBY(去年まで飼っていたラブラドール→ブログ既出http://blog.goo.ne.jp/imagingstar/e/88a08d471c1ee65d33fefe2edee98f7b)の、子犬の頃や、生きていたころのことを思い出してしまいました。 楽しいこと、いっぱいあったなあ。

人にも透明性が必要

2006-01-27 17:36:27 | 新たなシンクロニシティ

 今日は、4年ほど前に勤めていた会社で一緒だった方で、大学の先輩にもあたる方とお話しました。  で、そのときに私は

「人間というのは、いろいろな意図を隠し持っている人よりも、正直に自分の方向性とか、望んでることなどを話す人の方が好感をもたれる。取引においての透明性と同じく、個人間においても透明性が、感覚的に重視されるのではないでしょうか。企業のIRを見て投資家が投資を決めるのと同じように、人は他の人の中身をある程度理解してはじめてその人と付き合うかどうか決めるのですから、個人もできるだけ透明性を確保する必要があると思うのです。」

というようなお話をしました。

 もちろん、なんでもかんでも明らかでは面白くない(ヘアヌードがつまらない所以です)わけですが、少なくとも、「何を考えているか。」くらいは分からないと、出会った人は気持ち悪いと思い、付き合いたいとは思わないでしょう。

 日本は、つい10年くらい前までは、それほど人の考え方の多様性というのはなかったから、あまり自分の話をしないでも何となく相手の考えていることはある程度わかることが多かったと思います。でも、今は違います。人の考え方が非常に多様化し、黙っていては何を考えているのかさっぱりわからないのです。だから、以前よりも自分の中身をさらけ出して、いろいろな人に見てもらう必要性が大きくなっていると思います。

  で、家に帰って、まだ読んでなかった昨日の日経新聞の朝刊1面の左の方の「時価総額は作れない」という見出しの記事を見ると、鈴木自動車の鈴木会長の、「はったりをかますより、会社の現状や思いを正直に示すのが信念」という言葉が載っていました。

  ま、こういう話はしょっちゅうあるからシンクロと呼んでいいかどうかはわからないですが、とても大事なことなので書くことにしました。

 ついこの前書いた、「ありのままの自分」(http://blog.goo.ne.jp/imagingstar/e/695585a732560f216ae64f4f227bef54)にもつながる話ですよね。

 そういえば、この前ソニーの話書いた(http://blog.goo.ne.jp/imagingstar/e/d4f0dcdd256aef2596fe589c6be2f909)んですが、今日ストップ高近くまでいったようです。買っとけばよかった・・・(笑)


また風邪・・・

2006-01-26 23:42:23 | ちょっとした話題&日々の出来事

 昨日は、散歩をしたいという父に付き合って、厳寒の中、夜の11時ころに都内を歩き回っていました。

 すごい寒いと思っていたのですが、案の定、今朝になったら完全に風邪に・・・  父は家についたらそれでさっさと寝てしまいましたが、私はその後自分の世田谷の家に帰らねばならなかったのです。  

 昼から少し風邪の気配はあったのですが、花粉症がはじまったのだと勘違いしてました。  幸いどなたともアポはなかったので良かったですが、次回からは寒くて嫌なときは断ることにします。  

 もちろん、父は悪くありません。散歩に誘っただけですから。断らなかった私が悪いのです。でもとっても散歩したそうで断りにくかったんですよねえ。有無を言わせない雰囲気があったし・・・

 というわけで、なんだかショボいブログですみません。   いやあしかし、これでまた、「imagingstarさん、また風邪引いてるよ。」と言われるんだろうなあ(苦笑)

 でもね! きっと回復は早いはずです。今日は一歩も外へ出ずに温かくしてましたし。

 ではおやすみなさい。


アクセルとブレーキのバランス

2006-01-26 00:40:19 | 気づき

 ライブドアの一件で思うのは、人に限らず、会社でも、バランスが非常に重要ということですね。  ひたすら前に進むアクセルの役割の人と、それを場合によっては止めるブレーキの役割の人の両方が必ず必要なわけです。

 ライブドアでは、明らかにブレーキ役の人が不足していました。  法律を守ることも当然重要ですが、何しろ目立ち過ぎたし、いろいろな人の感情を逆撫でしすぎました。

  確かにブレーキばかり踏んでいては会社は大きくなりませんが、アクセルばかり踏んでいても、当然、事故が起きてしまうわけです。

  そして、この、アクセル担当の人と、ブレーキ担当の人というのは、普通、普段からの人生に対する考え方が大きく違うことが多いわけですが、重要なのは、この2つの役割を担う人が互いに相手を理解しようと務めることでしょうね。

  考え方が違うからと言って互いにコミュニケーションをきちっと取ることを止めてしまうと、その組織は結構危ない状態になってしまうと思われます。  高性能なエンジンによる前進力と、高性能なブレーキ。この2つを時と場合に応じて臨機応変に使いわけることができる会社が、車と同じく高いパフォーマンスを安全に叩きだせるのでしょうね・・・


こんな人います?

2006-01-24 12:59:34 | ちょっとした話題&日々の出来事

 私、小学生のとき、作文全然書けなかったんです。

 例えば、遠足とか行くじゃないですか。で、その後の国語の授業は、遠足についての作文の時間とかになりますよね。

 これが苦痛で苦痛でしかたなかったんです。

 「僕は、朝、7時に起きました。それから学校へ行って、バスに乗りました。それから~」で止まってしまい、何も出てこなくなるんです。

 読書感想文も同じ。信じられないくらい苦痛。家で母に手伝ってもらってやっと仕上げる。今だから語れるけど、当時は洒落にならなかったですね、この苦痛は。

 でも、国語のテストの出来は悪い方じゃない。

 訳分からないですよね、これ。

 司法試験でもえらい苦労しました。短答は大学3年で受かったのに、その後の論文が延々と受からない。最初予備校に行かなかったせいもあるにはあるけど、それを差し引いても、大学3年で一発で短答受かってその後私ほど時間がかかった人も稀だと思います。

 で、散々苦労して、その間に能力開発のメソッドまで開発して、受かった後にやっと、自分の頭の仕組が分かりました。遅すぎ・・・

 私、「鉛筆とかペンを持って字を書き始めると頭の性能が極端に落ちる」頭だったんです。おそらく、頭の中の、字を書くことを担当する脳の部分が、恐らく、思考を担当する部分と重なってるんだと思うんです。だから、両方いっぺんにやると、脳機能が低下するわけです。特に、きれいな字で書こうとするときに顕著にこの傾向が現れます。

 それがどうしてわかったかというと、なんと、パソコンの登場によってだったんです。

 パソコンを買って、ブラインドタッチをマスターして文章を書くと、実にスラスラネタが出てくる・・・

 普段ペラペラしゃべっているときのように、ネタが次々と湧き出してくるんです。ペンで書くときとは雲泥の違いです。はっきりいって、自分がこんなにどんどん文を書ける人だとは知らなかった・・・

 だから、パソコンの登場には相当感謝してます。パソコン作ってくれた人、ありがとう。

 たまに、知識人の方なんかで、「パソコンで書くより、ペンで書いたほうが、間違いなく思考が深まる。パソコンの登場によって、思考を深めない軽薄な文章を書く人が増えた。」なんて言ってる人がいますが、私にとっては、こんなの、お話にならない話です。こんな簡単に一般化しないで欲しいって思いますね。

 私に言わせれば、そういうこと言うこと自体、思考が浅いと思います。もっと頭使って欲しい。自分がそうだからって、他人もそうだって自動的に決め付けるのは、視野の狭さをさらけだしてます。少なくとも、「そうじゃない人もいるとは思いますが」とかの一言をつけていただきたいものです。

 あと、「とにかく、絶対メモを取れ。メモを取れば頭に入る。」とか言う人もすごい苦手ですね。絶対、皆が皆そうじゃないのに、決め付けるのはたまらないです。私なんて、メモを逐一せっせと取り始めたら、もう話聞いてないですからね・・・興味あることだけについて、相当汚い字で、短い殴り書きみたいな感じで書いてる場合は大丈夫だけど、きれいな字でちゃんとメモ取り出すともうダメダメ・・・

 こんな極端な人は珍しいとは思いますが、何かを学習するときでも、耳で聞いてもさっぱり入らない人、ビジュアルで見ないと分からない人、大勢で勉強すると緊張して頭が悪くなってしまう人など、本当にいろいろな人がいると思うんです。

 で、不得意な方法での学習方法を強いられて、勉強ができなくて、自分は頭が悪いと勘違いしちゃってる人って大勢いるのではないかって思います。

 21世紀は、こういった、個々の人の脳や知覚の特性まで踏まえた、きめこまやかな学習法を確立することによって、様々な才能を育てていかなければならない時代だと確信しますね。

 
あー、そうそう。国語のテストでも鉛筆とか使うじゃないかって疑問が出ると思うんですけど、テストの場合は、書く前に答えがまとまって、それを書くだけだから、書きながら考える必要がないんですね。だからそれなりに成績を出せたわけです。だけど長文になるとすごく不利なわけです。書いてる間は頭の働きが落ちるわけですから、そりゃ、不利ですよね。
 


ありのままの自分+光GENJIの諸星くん

2006-01-24 00:22:10 | 新たなシンクロニシティ

 今日、イメトレの生徒さんと話していて、チラッと出た話の内容がシンクロしました。

 それは、「ありのままの自分を出す」というお話。

  私、一昨日、合コンネタですが、その話をしていました。その話は次のような感じ。

 「合コンでは、あまり無理して演技しないで、普段の自分を出した方がいい。もちろん、演技したほうが付き合える可能性は高くなるけど、付き合いはじめてから長続きしない可能性が高い。」

 そして、昨日、また同じ文脈になったのでまたそのお話をしました。

 で、今日、生徒さんが、「前に教師をしていたとき、できるだけ自分の素の姿を見せるように心がけていました。真の姿を見せることが教育だと思ったのです。」というようなお話をしてくださったのです。

 生徒さんの言ってる文脈の方がもちろんレベル高いのですが(笑)、内容としては「ありのままの自分」ということでシンクロしてますよね。

 で、もう1つ、小シンクロ。  今日、私は生徒さんに「光GENJIの諸星くん、昔マハラジャ(当時の有名なディスコです)で見たことあります。『あの人は今?』って感じですよね。」と言いました。

 で、夜に友人に会って、家に11時半くらいに帰り、新聞を読んでから12時くらいにテレビを付けたら、いきなり、どういうわけかジャージ姿の諸星くんが出てきました。  なかなかスパッと決まったきれいなシンクロニシティですよね。  ただ、その意味するところは何か・・・?

 この前ソニーの話書いたときも、その後、2回くらいソニーネタがシンクロしました。やはりシンクロのウェーブが来ている模様です。

 「シンクロニシティって何?」かを書いた過去の投稿→http://blog.goo.ne.jp/imagingstar/e/b9765b6f7110e3bf637e7e210de891d4