ツイッターのフォロワーが677人になった。
1000人くらいになるととても面白くなるらしいのでとりあえず目指してみる。
IDは miraishimbun。
このブログ読者の方はダイレクトメッセージもらえると嬉しいです。
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最近、妙に感覚がリアルになってきた。
例の新メソッドの影響だと思うが、明らかに何かが変わってきている。
体調も変化してきていて、前よりも疲れにくくなってきている。脳の使い方が違うと疲れなくなるのだろうか?
メソッドを教えるときも、前よりもかなり切れ味を増してきていて、少し教えただけで相手ががらりと変わる手ごたえがある。
もうフォロワーが108人になった。
フォロー沢山してるせいもあるけど、どうも向いているような気がしてきた、自分。
miraishimbunでっせ、ツイッター名。
最近、「甘える」という言葉が、私の辞書に今までなかったものとして急浮上してきた。世の中には、甘え上手な人間というのがいて、一方で甘えられる対象の人間というのがいるのだ。
私は実際のところ、明らかに後者であったのだが今までそういう概念で物事を考えたことがなかった。
「甘え、甘えられる」関係というものが健全な状況なのかどうかは分からないが、少なくとも需要と供給が一致しているのは間違いない。
新たなボキャブラリーだ・・・
甘える人間はどうやって甘えるのだろうか?私はどちらかというと人に隙を見せないタイプなので、甘える人がどうやってるのかをよくよくこれから観察してみたいと本音で思う。
前からアカウント持っていたが、あまりやってなかった。
今回は、miraishimbunという名前で始めたので良かったらフォローしてください。
2日で55人もフォローしてくれる人が現れたので結構嬉しいです。
ある人が、私に表題の言葉をくれた。
この言葉、私がずっと心の底で感じていたことをずばり言ってくれたのでとても嬉しかった。
そう、まさにそうだ。
心理学は、顕在意識(※表題の「心」に該当)で何かを理解するが、それを潜在意識(※同じく、「身体」に該当)にも学習させる方法を教えることがほとんどない。
だから、顕在意識が心理学によって進化しても、潜在意識はそれについてこれないことになり、両者が分裂してしまうのだ。
例えば、心理学的に、「笑顔は人を引き寄せます。」という知識を得たとして、「じゃあいつも笑顔でいよう」と思っていつも笑顔を作るケース。
この場合、潜在意識的には楽しくもないのに知識に基づいて顕在意識で笑顔を作るわけだから、内面と外面が分裂してしまい、こういう行動をした人はいつもこのズレによって疲れを感じてしまう。 また、こういう笑顔を見せられた側も、楽しくないのに笑っている、ある意味気色の悪い笑顔を見せられる違和感を感じるものだ。
そういう意味で、私のやっていることは心理学とは呼ばない方がいいと思っている。私のやっていることは、むしろ潜在意識と顕在意識を統合するような作業だ。彼の言葉からすれば、こういう技術を作ることができたのは、心理学の知識があまりなかったせいだと思っている。
こんなことが分かると、心理学を学びすぎた人独特のわざとらしさ、違和感が良く理解できるようになるし、心理学の専門家が、芸能人や成功する企業経営者になれない理由も良く分かる。
ゴルフの世界では、ハンディキャップというのは当たり前の世界だが、現実の世界でも人はそれぞれ異なるハンディを与えるべきと思うときがある。つまり、恵まれた環境に生まれた人はハンディを少なく、厳しい環境に生まれた人にはハンディを多くあげるべきということ。
ハンディと言っても、ここでは経済的とか文化的なアドバンテージを与えるべきというのではなく、思いやりを持つという意味で用いて考えてみる。厳しい環境にいる人にはできるだけ思いやりを持つべきという話。
なんでこういう話をするかというと、どうも世の中、恵まれた環境の人が、そうでない環境の人に対して説教をしたり、馬鹿にしたりすることが多いように思うからだ。
人はそれぞれの事情を抱えて生まれ、そしてそれぞれの事情の中で育っていく。そして少しでも自分の人生が良くなったらと、少なくとも心の奥底では望み、その事情の中でできる努力をしているものだ。
だから、恵まれた、いわば高いところから、低いところにいる人に一方的に説教を垂れるというのは、低いところで頑張っている人に対する冒涜になるのではないかと時々思う。
また、経済的なことだけを取り上げて恵まれている、恵まれていないを簡単に判断するのも問題だ。恵まれている、恵まれていない、は経済的なことのみならず、受けた教育、精神的なこと、遺伝的なことも含む、トータルな尺度で測るべきだろう。
昨日、私の長年にわたる生徒さんから、その方が体験した私のメソッドによるV字回復についての感想を聞いた。
何しろものすごかったらしい。どん底に落ちていたのが急浮上したときの感覚が本当に強烈だったとその人は目に涙を浮かべる勢いで語るのだ。
私は、特にその方に気を注入したわけでもなく、単に私のノウハウをお伝えしただけのつもりだったので、長期間に渡りあまりその方のリアリティを理解できないでいたのだった。
でも近頃その方が私の関係で動いてくださる様子と、昨日のその語りと合わせて想像するに、余程のことだったのだろうという想像がやっとできるようになった。だから昨日は結構感動したのだ。
よくよく思い出してみれば、私の17~20歳ころの精神の絶不調が、その後の私の、他の人に委譲可能なノウハウによって長期間かけてじっくりと修復されてきていた。
そのゆっくり登った山を、数ヶ月で登ればやはりものすごい感覚の変化があっても当然かもしれない。
私にとっては若い頃の絶不調はもう過去のものとなっているからあえて思い出さないと分からなかったが、そこまでじっくり思い出してみれば確かにそういうこともあるだろう。
ふーん。こんなものを作れて良かったな。
この前行った交流会で、「私は今、楽しい!」を連発する人がいた。
自己紹介のレジュメにもそう書いてある。
私はそれなりに素直な人間なのでその言葉を額面どおり受け取っていたが、よくよく見るとその人の表情があまり楽しそうでないのに気づいた。実際のところ、むしろ暗いと言った方が適切だ。
「本当に楽しい人が『私は楽しい!』とレジュメに書くだろうか?」とか、いろいろ考えていると彼が、楽しそうに人と電話をしている私(そんなに大きな声ではない)の横から、私の前に席を移したのだった。
そして電話を終わった私が「特等席に移ったんですね!」と声をかけると、その人がいった言葉が、「そうです。別にImagingstarさんを嫌いだからではありませんよ。」というものだった。
もちろんここで私は全てを理解した。この人はいつも思っているのと逆さな言葉を言う人なのだ。私がすごく楽しそうにしゃべっているのが嫌で席を移動したのだろう。毎日が楽しいなんて、嘘なのだ。単にそうアピールしたい別の理由があるだけなのだ。
世の中、こういうひねくれ者というのは存外に多いものだ。額面どおり受け取ると馬鹿を見る。
世間知らずの私も、遅まきながらいろんなことが分かってきたと思う今日この頃である。
先日、5年ぶりくらいにある知り合いから電話がかかってきた。
「元気にしてますか?また遊びに来てくださいよ。imagingstarさんが前に言っていた商品、今のご時勢がご時勢なので売ることにしました。是非買ってください。」
という趣旨。いきなりのこの展開に私の心はもちろん冷め切った。ニコニコ応対しながら冷めている自分が恐ろしいと思うくらいだった。
そこで私は、この売り方のどこが悪いのかを分析してみた。そしたらそれなりに答えが出てきたので書いてみる。
この人は、私には関心がない。私には関心がないが、商品を私に買わせることには関心があるのだ。
これでは彼のところに行く気は起きない。私自身には彼は興味がないのだから。
もし私なら、いきなり商品の話をせずにただ単純に「久しぶりなので会いませんか?」と言うだろう。それなら私に用があるということになるから、断りはしない。そういう意味で、ネットワークビジネスの人がよく使う、要件を言わないで、単純に「お会いしたいんです。」という手法は正しいということが良く分かる。
あと、私なら「遊びに来てください。」とは言わないだろう。それじゃあ呼びつけていることになるからだ。
商売は、人と人との繋がりの中で生まれるのが基本だ。人は好きな人から物を買う。先に物があって、人が後に来ることはほとんどないと考えるのが健全なのではないだろうか?
彼のKYな電話によって私はとても大事なことを学んだ。
何はともあれ、人なんだ。人を抜きにして商売は絶対に語れない。商売の奥義は人を幸せにすることにあるのであって、それを無視した商売はもはや商売と呼んではいけない、独りよがりな猿芝居に過ぎないのではないかと思ったのだった。