5年くらい前から気になっていたが、人にはそれぞれ使用するボキャブラリーについて偏りがある。
極端な例だが、私の知っているある人は、何かがいいと思うときには「素晴らしい」しか使わない。ワンパターンなのだ。
他にも、「かわいい」しか言わない人なんかも沢山いると思うが、ここまで行かなくとも誰にでも、程度の差こそあれ、使用するボキャブラリーに偏りがある。
そういう立場から自分の普段言ってることが偏っているという前提で人の話を聞くととても新鮮だ。
私が使わないボキャブラリーが沢山使用されていて、まるで外国語を聞いているような気持ちになることができる。
そう。
言葉は、細かく観察すれば日本語とか、英語とかの大きなくくりとは別に、各個人というくくりによって個別の言語として分類することができるものなのだ。
「個人言語」、とこれを名づけることにした。
英語圏の人と仲良くしようと思ったら英語、フランス人ならフランス語をマスターすべきであるのと同じく、ある特定の人と仲良くしようと思うなら、その人の、個人言語=「偏ったボキャブラリー」をマスターするのが早道だ。
また、各人の個人言語は、世界のいろいろな言語と同じく、その人の育った環境、文化、価値観、思想、信念等を如実に反映するものだ。
だから他の人の個人言語を分析することによって、その人の脳の中をより早く理解することができるようになる。
例えば、「すごい」という言葉を連発する私は「すごい」ものが好きだ。いつも言ってるから間違いない。
また、質的な形容詞を連発する人は「違いが分かる人」であるかもしれないし、量的な形容詞を連発する人は「質よりも量重視の人」なのかもしれない。
ワンパターンな言葉を繰り返す人は、もしかしてワンパターンな思考回路の持ち主かもしれない。
などなど、とにかく個人言語は面白い。これからそういう観点で人の話を聞くことにする。