シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

「甘える」

2010-11-24 00:41:41 | 最近気になる言葉

  最近、「甘える」という言葉が、私の辞書に今までなかったものとして急浮上してきた。世の中には、甘え上手な人間というのがいて、一方で甘えられる対象の人間というのがいるのだ。

 私は実際のところ、明らかに後者であったのだが今までそういう概念で物事を考えたことがなかった。

 「甘え、甘えられる」関係というものが健全な状況なのかどうかは分からないが、少なくとも需要と供給が一致しているのは間違いない。

 新たなボキャブラリーだ・・・

 甘える人間はどうやって甘えるのだろうか?私はどちらかというと人に隙を見せないタイプなので、甘える人がどうやってるのかをよくよくこれから観察してみたいと本音で思う。

 


「打破する」

2010-09-03 01:06:49 | 最近気になる言葉

 最近、不肖ながら人様の文章を添削する機会が多くなっているが、その中で自分が使わなかった新たなボキャブラリーが増えてきている。

 ボキャブラリーには、①意味も分かるし自分でも使うもの、②意味は分かるが自分では使わない、ないし使えないもの、及び③意味も分からないし使えないもの、の3種類があるが、ここで話したいのは、②を①にランクアップする話だ。

 「打破する」もその1つで、その意味は、

攻撃して負かすこと。「強敵を―する」
束縛・抵抗・妨害などを取り除くこと。「因習を―する」(デジタル大辞泉より)
 
 である。
 
 私の場合、1は軽く使えるが、2については現状という言葉とセットで、「現状打破」という使い方以外したことがなかった。
 
 ネットで調べてみると、眠気打破とか、不況打破とか、結構使われていることが分かる。
 
 日本語完璧と自分では思っても、盲点はいくらでもある。それは人の書いたり話したりする言葉をよく観察してみれば見つけられる。
 
 そういうことを繰り返して、現在の自分の日本語レベルの壁を打破し(使ってみました!)、地道な成長を遂げたいと思う。

今こそ生きる、山本五十六元帥の言葉

2010-04-14 23:20:20 | 最近気になる言葉

 この件名を見てすぐに「ああ、あの言葉だ」、と分かった人もいるだろう。

 そう、今日はあの、日本海軍総司令官であった山本五十六元帥の言葉、

 やってみせ、いって聞かせて、させてみて、
褒めてやらねば人は動かじ」

 についてだ。

 私は最近、この言葉こそ今の人、特に若い人を動かすためにもっとも適切なことを言っているのではないかと思う。

 確かに日本が高度成長をしている最中なら、「黙ってついてこい」とか、「泳ぎ方は自分で覚えるもの」とかの放置的な教育も有効だったかもしれない。

 しかし、今は違う。

 まるで戦時中のように状況は厳しく、皆しょげている時代なのだ。私は、やたらに厳しいことばかり言う人に対して、しょげている人間をもっとしょげさせてどうするんだ?と思うことが最近しばしばある。

 こういうときに、

 やってみせ→自らの実践を見せる

 いって聞かせて→丁寧な内容説明

 させてみて→実践させる

 褒めてやる→承認、賞賛

 のプロセスが非常に生きてくるのだと思うのである。

 当時は海軍と言えば軍隊の中のエリートであった。そのエリートの中で更に競争を勝ち抜きトップになった人間がこういう言葉を言うというのは非常に興味深い。

 このようなスーパーエリートは、自分が出来すぎることが多いから、こういうことには普通は気づきにくいはずだ。すなわち、出来すぎる人は、「どうせ分かるだろう」と言葉足らずになりがちだし、出来るのが当たり前だと思っているから人を褒めることもあまりしないなど、この言葉とは対極の行動をとりがちなのだ。

 エリート中のエリートであったにもかかわらず、このような言葉を歴史に残すことのできた山本五十六という人はどんな人だったのだろう?突き抜けていた?

 当時のエリートは、今のエリートよりも総じて教養が深かったという見方もできる。 


「愛情を注ぐ」

2010-02-11 13:31:44 | 最近気になる言葉

 さっきテレビを見たら、犬のスカウト(犬の素人モデルを探す人)が、犬を選ぶポイントとして、「愛情を注がれた犬は、輝きが違う」と言っていた。

 なるほど・・・

 これ、人間も同じことなんだろう。

 「愛情を注がれた人は、輝きが違う」のは間違いない。

 やっぱ、愛情ですな、愛情。大事なのは。

 家庭内でも、会社でも、友人関係でも、どこであろうと最後にその有無が大きく響くのが愛情ではないだろうか。それがなければ、他の全ての努力が水泡と帰す可能性が高いように思う。

 もちろんそれは、安っぽい表面的な言葉や、押し付けがましい、一見利他的だが結局自分本位な行為のことではない。


「名ばかりのGTは道を空ける」

2009-06-15 23:20:35 | 最近気になる言葉

 だいぶ昔のセリカのCMコピーに「名ばかりのGTは道を空ける」というのがありました。

 これ、当時子供だった私の心にも響いたくらいで、素晴らしいコピーですよね。今でもはっきり覚えてます。

 語呂も抜群にいいし、何しろかっこいい。

 短い中に含まれている意味がとっても広がっていて、まるで市川雷蔵(これも古いです)の眠狂四郎シリーズでの台詞のようです。あ~市川雷蔵にこのコピーを読んでもらいたかった・・・今なら佐藤浩市さん。

 このコピー、いろいろ応用が利きそうです。

 「名ばかりの人間は、修羅場では物の役にも立たない」とか、
 「名ばかりの人間は、徒花のように忘れられる」とか。

 うーん。

 やっぱり、「名ばかり」っていうところが気になってるのかもしれませんね、私は。

 さて、市川雷蔵知らないって?まあそれは致し方ない。私が生まれる前に映画に出ていた人ですから。

 ユーチューブで調べたら、ありましたありました。それにしても素晴らしい立ち姿、台詞読み。映像の美しさも特筆ものです。

 日本映画って本当にすごかったんですね・・・

 http://www.youtube.com/watch?v=3Y3y0Sp06j8

 http://www.youtube.com/watch?v=4uxa-ZLJt-s

 http://www.youtube.com/watch?v=vmPTTRVHCL4

 

  

 

 


人間の「マウンティング」

2009-03-17 01:16:31 | 最近気になる言葉

  「マウンティング」という、猿や犬に見られる、自分の優位を示すための行動というのがありますが、

 これ、明らかに人間にもありますね。

 人間とチンパンジーは99%遺伝子が同じらしいので当たり前かもしれませんが、あからさまな、人間の「マウンティング」というのは、傍で見ていると何だか滑稽に見えるときがあります。

 人間のマウンティングとしては、一番代表的なのは、相手に執拗に何かを強制したり、自分の考えに同意することや感謝を強要することでしょう。

 この、人間のマウンティングが一番行われるのは自分が優位かどうかについて自信がない者が行う場合と思われます。

 私もたまにマウンティングされていると感じるときがありますが、そういうときは、何だか猿に絡まれているみたいな気持ち悪さを感じるときがあります。特に違和感があるのは、私が別に劣位というわけではないと思っている相手からのマウンティングです。

 そういうときに、「猿じゃないんだから、やめてよ」みたいな気持ちを持ってしまう私はヘンなのでしょうか? 


内なる必然性

2008-06-09 12:48:13 | 最近気になる言葉

 最近、よく言ってるのが、「内なる必然性」という言葉です。

 内側から出てくる自分の意思に忠実に何かを追求していくときの、「こうだからこうなる」「それがこうなら、次はこうすべきだ」というような必然性のことです。

 これに素直に従っていると、必ず自分のスタイル、様式というものが出てきます。

 既存のスタイル、様式とは別個に確立される、自分だけの様式です。

 昔から、自分のスタイルや様式を確立した人には、独学の人が多いように思います。独学だから、人の様式を勉強しすぎず、かつ人の意見を聞きすぎないため、内なる必然性のメカニズムがきっちり機能して、自らの、独自と言えるスタイル、様式が確立するのだと思います。

 こういう、「内なる必然性」というのは、自分のスタイルや様式を確立することのできる貴重なエンジンですから、これが出てきたときに、「でもこれは自分の独りよがりで受け入れられないかもしれない」とか、「今の権威は認めてくれないかもしれない」などと様々な理屈を付けて萎縮して止めてしまうのは非常にもったいないです。

 こんなときに自分で自分を信じて前にグイグイ進むちょっとした勇気がとても大事です。そして、人がそういう必然性を得たときには、それを後押しすることが周りにいる人間の務めではないでしょうか。


本当の豊かさ

2007-12-18 00:40:23 | 最近気になる言葉

 本当の豊かさ」なんて言うと、何だか使い古されたCMのコピーのようですが、最近の私はこの言葉が気になります。

 何か、胸の奥からじわっと温かいものがこみ上げてくるような、そんな気持ちがしたときにこの言葉が頭の中の下の方をゆっくりとよぎるのです。

 小さな子供の頃にいつも感じていた本当の豊かさがいったん失われ、それを取り戻すのに随分かかりましたが、確かにそれは再び私の心に還ってきています。

 本当の豊かさとは、世界とのつながりを確認できるときに体感するのかもしれません。

 いったん途切れた、世界とのリンクが再びつながりつつある。そしてそれは、私が私の失った記憶を取り戻すプロセスと表裏一体の現象であるに違いないと思うのです。 


人間三日会わざれば刮目して見よ

2007-11-05 14:36:31 | 最近気になる言葉

 最近気になる言葉は、「男子三日会わざれば刮目して見よ」です。

 中国の三国志の「呉書」を出典とする言葉だそうですが、立派な人というのは成長が早いから、三日くらい間をおいて会ったときでも、目をこすってしっかりとその変化を見なければならないという意味です。

 現代では「人間」とした方がぴったり来ると思っての今回のタイトルです。

 私は、こういうことわざがあてはまる人になりたいと常々思います。

 毎日バージョンアップを重ね、少しの時間が経つだけで前とは一味も二味も違う人間になりたいのです。

 何年経っても、考え方が全然成長していなかったり、むしろ退化しているような人間にだけはなりたくありません。昨日できなかったことが今日はできる、というような人になりたいのです。

 そのためには、日々、自己否定を繰り返します。

 自分の潜在的才能を認めた上での、その発揮度がまだまだであるという形の自己否定です。

 この否定によってはじめて、日々のバージョンアップが可能になると言えましょう。

 三日で目に見えて成長するくらいの意気込みが大事だと思います。


類は友を呼ぶ

2007-08-24 11:27:17 | 最近気になる言葉

 「類は友を呼ぶ」って言葉には、本当に深い意味があると思います。

 昔、丹波哲郎が「大霊界」という映画を作ったときに、「霊界では泥棒は泥棒の国、うそつきはうそつきの国、というように、自分と同じような霊がいる世界に分類される」なんてことを言ってましたが、別に霊界じゃなくてもそうだと思います。

 もちろん、どんな人でも毎日いろんな人に会います。

 でも、物理的空間を共有しても、精神的空間が違っていたのでは本当の意味で会ったことにはならないと思います。

 「会う」ということの本質は「合う」ことに同じなのではないでしょうか。「合う」とは、精神的空間を共有できるという意味に他なりません。英語でも、”meet”には「会う」という意味と、「合う」という意味の両方があります。

 今までに出会った人の多くが退屈だったとある知り合いが嘆いていましたが、そのことを後でしばらく考えてました。

 で、「類は友を呼ぶ」法則に従って解釈するととてもきれいに説明できることが分かりました。

 それは、彼が物質的なものばかり見ている人なため、同じように考える人しか寄ってきてないのではないかということです。

 そりゃあ、つまらないでしょうね。すぐに飽きてしまうことでしょう。

 そして、彼が変わらないうちは延々と同じような出会いが繰り返されることが容易に想像できます。そして、自分と似た要素を持つ人間が集まってきていることの自覚がないわけです。

 それにしても「類友」は決して侮れない、恐ろしいくらいの威力がある法則です。

 この法則に照らし合わせると、今までの自分の、問題のあった人間関係の相当多くをすぱっと説明できたりして、全くもって恐ろしいです。

 私の人生展開は、そのときそのときの私にぴったりとフィットしたオーダーメイドだったわけです。