シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

膝、負電荷療法

2012-09-27 10:03:10 | アンチエイジング

 最近、午後10時から午前2時までの間は睡眠のゴールデンタイムということで、いかにしてこの時間に寝ることができるかを毎日工夫している。

 それで、更に夏の間休んでいた負電荷療法を再開して、この睡眠法と組み合わせることにした。

 今回は20代の時に痛めた膝を中心にやることにして、強モードで2時間。夜12時から午前2時まで、寝ながらやってみた。

 そしたら、朝になってすこぶる体調がいい。膝から注入された負電荷が全身に充電されたようだ。

 非常に良かったので、今夜もやってみる。今夜は、午後10時から12時までの2時間やるのが目標だ。

 

 

 

 


脳内と脳外のシンクロ

2012-09-23 13:01:37 | 気づき

 脳内と、脳外は常に同期するものと考えている。

 その同期は、少し時間差がある場合もあり、例えば脳内ネットワークが秩序立った性質を持ちつつ緊密に広がっていった場合、小さい変化であれば短い時間でその変化が客観的に現れてくるが、大きな外部環境の変化は、数ヶ月単位、長い場合には数年単位で起きてくることが多いように思う。

 私の場合は、今年の3月~6月くらいに急激に自分のメソッドが大きく進化し、脳内環境が相当変化した実感があったが、その脳内変化による脳外環境の変化が最近になって目に見えて現れるようになったように思う。変化は5月くらいから始まったように思うが、最近のはわかり易い。

 思ったことが実現しやすくなったし、人的ネットワークが、その緊密性を保ちつつ拡大を続けている。

 脳外が変化すればそれに伴って脳内も変化するから、この脳外環境の変化は、脳内環境に影響を及ぼし、再びその結果脳外が変化することになるだろう。良いスパイラルの始まりだ。

 


ポジティブインフォメーションと、ザ・カリスマドッグトレーナー

2012-09-14 10:51:10 | 気づき
 ザ・カリスマドッグトレーナーのシーザー・ミランの「リラックスした力強いエネルギーを放射して接する」という考え方と、PIとNIの比率(ポジティブインフォメーションとネガティブインフォメーションの比率)変更を併せると、これまた素晴らしい効果が出る。具体的にはこれをしっかりやるとなぜかポジティブな人がどんどん目の前に現れて来る。人間も、人が発するエネルギーを、それこそ犬のような鋭敏な感覚で見分けているようだ。

 潜在意識からポジティブにしておいて、シーザーがやってる通りにするだけ。PI・NI比率の変更ができていないとこれを自然にやるのはまあ難しいだろう。

 理性レベルでいくら演技しても限界があるし、そもそも継続ができない。潜在意識がネガティブなのに、表面だけポジティブにしても無理なのだ。

仲間か、否か?

2012-09-04 00:08:58 | 気づき

 その相手は仲間なのか、そうではないのか?

 もちろん、人間関係を常にこの2つにきれいにすっぱりと分けられるとは思っていない。

 でも、人がある人のことを一定程度仲間だと思っているときは、もう片方も同じくらい仲間だと思っていないとバランスが悪い。

 仲間だと思って相手のことを本当に尊重して尽くしても、相手はそれを利用するだけのこともある。そういう場合はもう仲間ではないから、仲間扱いする必要はない。なぜなら、仲間とは相互的な概念だからだ。互いを思いやり、足りない部分を補い合いながら生きていく人間の集団のことを指すのだ。

 これからの時代、いろんな意味で嵐が吹き荒れる。そういうときの命綱は、仲間につきると思っている。人はもともと一人では生きていけない生きものだが、今後その傾向がますます強まるのは間違いない。

 だから、今後は少しでも仲間になれると思う人を見つけたら、積極的に仲良くしていくべきだといつも考えている。

 そして、他の人が自分のことを仲間だと思ってくれたなら、できるだけその期待に答えて行きたい。

 

 

 


組織論と個人のOS

2012-09-01 11:37:12 | 気づき

 人間というのは、いろいろな素質があり、それが環境によってはぐくまれていく中で個性と言えるものを獲得し、そのことがマクロ的には人間社会に多様性をもたらす。

 しかし、この多様性は、互いのコミュニケーションを難しくする面もある。考え方、感じ方の違いがそういう結果を招くのはとても自然だ。

 思うに、根本的なところでOSが共通していた方が、多人数で何かをするときにはコミュニケーションしやすくなり、組織は円滑に動く。

 しかしこの、OSの共通化というのはなかなか難しい。ほとんどの場合型にはめることになり、それぞれの持ち味が死んでしまうのだ。個は集団の中で埋没し、その潜在的可能性を奪われてしまう。

 その点、手前味噌な話になって恐縮だが、私のセルフマネジメントプログラムの場合、型をはずして自由になることを主眼におき、個性が伸びる。しかしその一方であらゆる年代、フィールドの人がそれを活用できる汎用性をも併せ持っている。

 ということは、共通化できる人間のOSとして適切であるということが言える。個性を活かしつつ、他との連携が図れるのだ。実際、人との連携が取りやすくなるようにデザインされているからそういうことが当然のように起きる。

 今の方向性で、全く新たな個人間の連携、そして組織化が成立することになる予感というか、確信が今の私にはある。おおげさかもしれないが、その答えは早晩出ることになるだろう。 

 これまでの組織論は、組織を構成する一人一人の能力について不問のままなされてきたようなところがあるが、今後はそうでなく、部分を構成する個人の性能を最大限に上げた上で組織化することになるのだと思う。そうでなければ、人間の可能性の扉はいつまで経っても十分開かない。個人レベルで何かやるには、世界はあまりに大きく、多様になりすぎた。