シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

ずっと年上の人が明白に馬鹿なことを言ったらどうすべきか?

2010-05-30 02:22:09 | 気づき

 最近の私の課題は、「ずっと年上の人がまるで馬鹿なことを言ったときにどう対応すべきか。」である。

 私はもともとは、そういうずっと年上の人が二度とお馬鹿な発言をしないようにすぐに指摘して差し上げるという方針で歯に衣着せぬ発言をしてきた。要はその人に「裸の王様」になって欲しくなかったのだ。

 それが私なりのリスペクトの表現方法のつもりだった。もしその指摘が間違っていたら、その年上の人がそれを普通に論理的に否定してくれればいいことだと思っていたのである。

 しかし、これが現実にはそうそう上手く行かないことをやっと学習しつつある。私は体育会系の人間ではないし、組織での勤務経験も少なかったことも影響しているとは思うが、とりあえず私はそういうことについて無知だった。

 「話せば分かる」は机上の世界で、現実はそうではない。思い切り馬鹿な発言をする人に対して、「その発言は皆に馬鹿にされるからやめた方がいいですよ。」と指摘する行為自体お馬鹿行為そのものだったのかもしれない。

 そもそもそんな指摘を理解できるようであるなら、もともとそこまで馬鹿な発言はしないということ。

 にもかかわらず、そういうことを繰り返していた私は、現実ではなく、規範(~するべき)ないし理想の世界の住民であったに違いない。

 これからは、もう少し損得を考えてうまく立ち回ることを覚えることにする。

 しかし、本物の大人に対しては今までどおりでいいと思う。本物は、常に本当の意見を求める。前に、ある経済人の傍で懐刀として大事にされている人に、「なぜ重用されていると思いますか?」と聞いたら、「私が正直に物を言うからだと思います。」と言っていた。

 今日のことをまとめると、

 1.本物じゃない大人が、馬鹿な発言をしてもそれを指摘しない方がいいことがある。

 2.本物の大人に対しては本当のことを言った方が喜ばれる。

 ということになり、

 そして、この1.2.を逆に考えれば、

 本当のことを言ってどんな態度を取るかである程度相手の本物度が分かる、ということになろう。

 夜中でねむいのでいまいちまとまりが悪いが、まあいい。寝よう。 


自分のことしか考えない人は、人から助けてもらえない

2010-05-28 02:04:10 | 気づき

 至極当たり前のことだが、タイトルに書いた大原則を分かっていない人は意外に多い。

 世の中、どの人も必死で生きている。

 だから、自分のことをちゃんと考えてくれる人を優先せざるを得ないのだ。

 自分のことを考えてくれない人にもすごく親切にする人はいることはいるが、とても珍しいと考えておいた方がいい。

 そんなに余裕がある人はそうそういないのが現実の世の中である。

 こういうある意味基本的な知識も、知っているか知らないかだけで大きく違いが出る、知らないだけで致命傷になる知識である。

 簡単なことだが、これを知らないが故に、他の人と本物の信頼関係を1つも結べない人はいくらでもいる。しょっちゅう見るから間違いない。

 こういうことができない人は、大抵、程度の差は多少あれ、裏でひどく馬鹿にされているものだ。

 しかもあまりに基本的なこと故に、指摘してくれる人はほぼ皆無だ。そんなリスクをそんな人間のために犯す人間は希少なのだ。


フォーミュラニッポン第2戦ツインリンクもてぎ

2010-05-23 23:20:55 | ちょっとした話題&日々の出来事

 今日は、栃木県のツインリンクもてぎにフォーミュラニッポンを観戦しに行った。

 どのマシンも美しく、思わず何枚も写真を撮ってしまった。

 相当な雨の中、大きな水しぶきを上げて走っている様子を見ると、一体どうやってこんな視界の悪い中をあんなスピードで走れるのかと感心しながら観戦した。

 結果として今回招待していただいたチームは残念ながら途中でエンジントラブルで大きく順位を落としてしまったが、完走を見届けることはできた。

 まるで航空機のような爆音を轟かせるフォーミュラニッポンのレーシングカーは、思ったよりも腹に響くような男性的な低音が出ていた。爆音が夢に出てきそうだが、ド迫力の音楽のようなあの音はレースの楽しみの半分くらいを占めているのではなかろうか。

 いずれ将来は電気自動車のレースになるのだろうが、あの迫力が出るのかは微妙な線だと思った。


洗脳とは何か?

2010-05-19 12:00:26 | 気づき

 洗脳というのは、一定のプログラムのインストールおよびダウンロードという意味では教育に似ている。

 しかしそれが教育と違うのは、する側にとって一方的に都合の良いプログラムをダウンロードするという点だ。

 例えば脅しや、嘘によって判断能力を奪うことは、相手を扱いやすい操り人形にして自分の都合の良いようにコントロールする前提を作ることになり、これも洗脳の一種だ。

 脅しによる方法は簡単だ。細かい違いはあると思うが、「あなたは今危機的状況にある。私の言うことを聞かねば地獄に落ちるよ。」的なものである。嘘も似たようなもので、説明する必要はないだろう。ほかにも、答えを全て押し付けるやり方もある。状況を解決するための答えを全て押し付けられていると、人間というのは自分で判断する必要性がなくなり、判断能力を低下させていくのである。

 洗脳というと、自分とは無縁と思っている人が多いが、実際には逆で、空気と同じく、世界は洗脳に溢れている。

 我々は知らぬ間に、他人から精神的な技をかけられ、理不尽なコントロールを受けているものだ。

 こういうコントロールから自由になるには、まるで映画マトリックスのネオのような切磋琢磨が必要となってくるのではないだろうか? 


想いは空間を越える

2010-05-13 13:16:00 | 青天井な能力開発

 動物にはテレパシーがある。

 何万匹という小魚の群れが危機に際して、あたかも1つの生命体のように一体化して泳いだり、何千匹という蜂の群れが、これまたまるで1つの統合的な意思が作ったかのような蜂の巣を作り出すことなど、互いに想念をテレパシー的に交換しあっていると考えた方が自然に理解できることがいくらでもある。

 私も個人的に犬との付き合いを通じてそういうものを確信するようになった。彼らは、離れていてもこちらのことを分かっているようだ。

 そして、人間にも器質的には動物と同じ原始的な脳が、頭の内側の方にある。人間がそれ以外の動物を大きく違うのは、一番外側にある新しい皮質が異常に大きいことだが、それでもその内側は基本的に同じなのだ。

 だから、動物にテレパシーがあるなら、人間にもあるのが自然であると思うのである。

 この、原始的な脳における活動から生まれるものが、いわゆる潜在意識とか本音とか呼ばれるものである。そこでの想いや本音が空間を超えると私は考えている。

 私の見立てでは、本当に心の底から湧き出てきた想いのみが空間を超えるのだ。

 こういう、本音的部分で何を思っているかがどれくらい人間関係に影響するかについて結構長い間観察してきたが、どうもこれがすごく大きいようだという結論に至った。

 ただ、この「本音」の部分というのは、すなわち感情的な部分であり、感情的な部分はコントロールできないというのがこれまで常識であった。

 私が研究してきたのは、この本音、感情といった普通はコントロールできないものを、自らデザインする方法だ。幸いにもこれは相当な完成度になっていて、本音や感情のデザインがある程度自由にできるレベルにある。

 最近あることが起き、人間関係が、ほとんど、どんな本音的な想いを相手に持っているかによって決まってしまっているということをリアルに思い知ったので、これからはきっちり実践していくことにする。自分の作った方法というのは、どうもなかなか本腰を入れて信用するのに時間がかかってしまう。

 幸福はシンプルであり、不幸は複雑であるというが、まさにそのとおり。人間関係を良くしようと思ったら、心の底から人間を好きになればいいというのが、シンプルな本質だ。


身体が軽いということ

2010-05-12 10:49:07 | 気づき

 常に、より幸せになるためにはどうしたらいいかを考えているが、この前ある1つの答えが出た。

 それは、「身体が軽い」ことが幸せ感にとても大事な要素だということだ。

 つまり、すごく健康であるということが肝要だということ。

 すごく健康であるなら、そもそも生きていることが気持ちいい。子供のころはそういう状態であるから幸せなのだ。

 この前あるお金持ちで、健康を失い、失明した人がしみじみと話していたのを知人が聞いたという。

 「もちろん、お金よりも健康が大事に決まっている。」とその人は語り、コーラを飲もうとする知人を叱り付けたそうだ。

 さてさて、超健康状態を実現するには、工夫が必要だ。

 それを探求しているところだが、一応方向性としては間違っていないと思う。

 一方で、じゃあ身体が健康でなければ幸せになれないのかというとそんなことはないと思う。身体が不健康であっても、他の要素で補うことは可能だ。それにも工夫がいるとは思うが。


重金属除去の効果~声の変化~

2010-05-11 20:16:01 | 青天井な能力開発

 重金属の除去が終了した後に、顕著なる変化が起きていることに気づいた。

 それは、声の変化である。

 前よりも話していて気持ちいいくらい滑らかに声が出て、歌いだしたくなるような感覚がある。透明感のある瑞々しい声だ。明らかに喋るのが楽で、気持ちがいい状態だ。

 若返ったといえば若返ったとも言えるし、ワインのように熟成したといえば熟成したとも言える声の変化だ。

 声は天性のもので、相当鍛錬を積んでやっと少し変わるかもしれない、というくらいが一般通念なのだろうが、今回はそのような一般通念を覆すものだと思う。

 声という観点からすれば、もしかして重金属の除去は致命的(critical)なことなのかもしれない。一生懸命努力しても声が変わらない人からすればある意味馬鹿馬鹿しいくらいのことだ。

 しかし、世界というのは、えてしてこういう、知っていれば馬鹿馬鹿しいが、知らないとエラく苦労するような知識に溢れているところなのではないだろうか。

 ここまで声が変わったからには脳または内臓等における何らかの変化を伴っている可能性は高い。喜ばしいことだ。

 もちろん今回の効果は、ローフード、宿便取り、傳田先生の聴覚刺激プログラムの上に更に重金属除去を行った成果であって、それぞれのやり方の相乗効果である可能性が結構あり、重金属除去だけの効果とも言い切れないが、これまで出ていなかった効果がはっきりこの段階で出たことは、重金属除去をしたことの結果としてきっちりカウントすべきだろう。

 そういえば、重金属除去のプログラム中ずっと喉がイガイガする感覚が続いていたことを思い出した。左目もしょぼしぼしていたが、喉のイガイガも、左目のしょぼしょぼも今はほとんどない。

 人間の身体というのは本当に興味深い、恐ろしいくらい未知に溢れる小宇宙であることを確信している今日この頃だ。


重金属除去後のデトックスフットバス

2010-05-09 07:19:45 | 青天井な能力開発

 この前やっと、重金属除去プログラムが終わった。

 周りに言わせると結構このプログラム中やつれていたらしい。自分では気づかなかったが。好転反応としては、左目の違和感と、喉がイガイガする感覚が続いていた。

 終了した現在、特に変化はまだ感じていないが、とりあえずデトックスフットバスをやってみて変化を観察することにした。重金属が排出されたなら何らかの変化が出るはずだからだ。

 で、やってみたら、ばっちり変化が・・・

 前は必ず出ていた濃い緑色が全く出なくなったのだ。ネットで調べてみると、濃い緑色は胆嚢や心臓の血管に溜まる毒の排出だと書いてあった。ほんとかどうか知らないが、前出ていたものが出なくなったのは間違いなく変化の表れである。

 この変化によって、デトックスフットバスは嘘だというのはやっぱり嘘なんだろうと考えた。

 嘘だという説によれば出るものは変化しないはずだからだ。

 後、腎臓透析の代わりにこれをやっていて、やらないと命に関わることになるユーザーもいるということを、真面目な販売業者から直接聞いた。こういう本当の情報はなかなか手に入らないようになっているものだ。

 胆嚢という臓器をあまり知らなかったので調べてみた。胆嚢は肝臓の下に張り付くようにある袋状の臓器で、ナスのような形をしているらしい。肝臓で作られた胆汁を蓄える働きがあるということだ。


独禁法違反事実のインターネットによる申告窓口

2010-05-08 11:43:12 | ちょっとした話題&日々の出来事

 ある商品についてメーカーが明らかに独占禁止法違反の再販価格維持を行っていたので調べてみたところ、公正取引委員会がインターネットでの申告を受け付けていることが分かった。

 http://www.jftc.go.jp/denshimadoguchi.html

 いわば、密告用窓口だ。

 例えばある商品が市場においてその一種類しかないというようなときに、メーカーがそれに乗じて小売店に対して小売価格を一定水準以上にするよう強要するようなケースは実際にはかなりあると思われるが、ここに報告してしまうとメーカーは何らかのお咎めを受ける可能性が出てくる。


不思議なコンセント

2010-05-07 22:37:52 | 青天井な能力開発

 パソコンの疲れが減るというので、前から目を付けていたアルファジーニアスという特殊なコンセントをヤフオクにて購入してみた。

 船井幸雄氏も「本物」とお墨付きを与えている代物である。また、オーディオに使うと音が良くなるという定評があるようだ。

 どうやら現代の科学では説明できない理論によっているらしいが、私はあくまで謙虚に現象を観察していきたいといつも考えているので、とにかく結果が出るかどうかが重要だというスタンスである。現象が出るのに今の科学で説明できないのであれば科学が遅れているということになる。

 今朝から付けているが、予想を超えてなかなか強力である。効果は明白であった。

 パソコンの前にいると手がぽかぽかしてくるくらいで、その効果は私には非常に分かりやすかった。

 こんなにまで違いが分かるとは、随分感覚が精妙になったもんだと自分に感心しつつ、こういう商品も決して侮れないなあと思った次第。

 早速、デトックスフットバスにも使ってみたが、やはり手がやたらに温まり、いつもとは違うフィーリングであった。

 1年以上迷った末の購入だったが、とりあえず当たりのようである。やはりこういうものは試してみないと分からない。