近所の国士舘大学の校舎を眺めながらふと思ったのが、
「なんてつまらないデザインだろう。こんなつまらないデザインの校舎では、21世紀の日本を支えるクリエイティブな人間は生まれにくいのではないか。」
ということ。
そして次に思いついたのが、1970年代に一世を風靡したインダストリアル・デザイナーである、かのルイジ・コラーニの有名な言葉。
「自然界に直線はない。」
確かに、自然界に直線を見出すのは結構難しくて、ぱっと思いつくのは直進する光線とか、無風状態のときに枝からぶら下がってるミノムシの糸くらいなもので、ほとんど全てが曲線から成り立っています。一方でこの校舎を見ると、ほとんど直線から出来ています。ま、今のほとんどの建築はそうですが。実に殺伐としているように私には感じられます。
そして私は、
「人間は、そもそも、完璧な直線というものに、本源的な抵抗感ないしストレスを感じるのではないか。そしてもし仮にそうだとすると、その理由は何なのだろう。」
という思考に入っていきました。
ルイジ・コラーニといえば、キャノンと、有名なT90という革命的なデザインのカメラを共同開発したことでも有名です(http://web.canon.jp/Camera-muse/design/kikaku/t90/01.html)。 T90は、その後現代の最新のキャノンのカメラにまで息づいているバイオデザインの流れを決定付けた傑作カメラです。
さきほどの問いに対する私なりの答えが、T90のデザインや、うちのマンションのデザインなどを見ているうちに浮かんできました。
「直線というのは、必ず端と端があって、途切れることになっているが、曲線というのは、いつまでも永遠に連続する。人は心の奥底で直線に、「切る」というニュアンスを見出してそれに対する恐怖を感じる一方で、曲線には、「つながる」というニュアンスを感じてこれに対する心地よさや安心感を感じるのではないか。」
ということでした。もちろん、完全なロジックではありません。むしろ、「自然界に存在しないものに違和感を感じる」というロジックの方が完全かもしれません。ただ、以下、不完全とわかりながらも、上のロジックに基づいて話を展開します。
産業革命から、20世紀の終わりくらいまでは、何かと何かを切り離すというロジックが大きな潮流でありました。職場と住居、宗教と政治、心と体、分析的思考、不在地主と土地、家制度による家族同士の馴れ合い的関係などなど。
しかし、どうもここのところのロジックの流れが変わってきているように思うのです。何かと何かを結びつけるというロジックが新たな(もう新たと言えないかもしれません)潮流となってきているような気がするのです。私は、時代というのは常にリズムを刻んでいて、結合と分離、集中と拡散を繰り返しているように思っています。
そしてデザインも、時代の流れに沿った必然として、直線主流から曲線主流に移って行くのではないでしょうか。コラーニが最近見直され、アントニオ・ガウディのブームが安定し、汐留のビル群がくねくねし、六本木ヒルズが丸っこいのも、決して偶然ではないはずです。
四角い箱の電車の中で、サラリーマンがスポーツ新聞のポルノ写真を見るのをやめられないのも、人体の描き出す曲線の美しさによって、直線あふれる今の都市の中で失った本来の内なる自分とのつながりを取り戻すことができるからかもしれません。もちろんそれを電車の中ですべきかどうかは別の話ですが。
以下、コラーニのことが書いてあるページをご紹介します。彼は、顕微鏡で天然物を観察し、そこからデザインのヒントを得るというようなことまでしてるようです。時代のロジックが大きく変化し、人と物の親和性が重視されていくであろうこれからの時代、彼がもっともっと評価される時代が来るのではないでしょうか。1928年生まれだから既に77歳。調べてみたら今年、京都で講演会をやっていたのですね。行けなくて残念です。
http://event.japandesign.ne.jp/news/3881050608/
http://www008.upp.so-net.ne.jp/namnam/020/020.html
http://www.metropolitan.co.jp/designers/de_colani.cgi
http://blog.so-net.ne.jp/hashiba-in-stuttgart/2005-03-27