シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

先入観、それが人を老けさせる

2010-12-30 13:42:17 | 気づき

 人は経験から学ぶ生き物である。経験を積むにつれて学習が進み、向上していくのが通常の理解である。

 しかし一方で、経験は先入観をも生み出していく。生み出された先入観は、我々の目を曇らせ、真実から遠ざける。

 経験を積むに従って、この二つの効果が生じていくわけだが、私が見るに、前者にのみ着目する人がとても多いように思う。

 前者にのみ着目し、自分は経験によってどんどん賢くなっていると、ある意味一方向的な理解しかしていないと、先入観というものにどんどん支配されていくことになるのは必至である。

 そして先入観は、物事のありのままの姿を観察することを困難にし、新たな事柄に挑戦する意欲を奪い、偏見へと転化し、退屈への扉を開く。

 その結果人はいとも簡単に、本来避けることのできるはずの、精神的な老いを背負うことになる。

 一方で、先入観というものが常に経験というものに付随して生成されていくプロセスを注意深く観察し、経験による学習効果からそれを取り除く作業を地道に行っている者は、このような先入観による呪縛から、少なくともある程度は逃れることができる。

 人間はこのように、片方だけでなく、両方の目を開いていかないとどんどんバランスが狂ってしまう。 その点、前回述べた人を信じるリスクと信じないリスクの話とも共通するところだ。


人を信じるリスク、そして信じないリスク

2010-12-30 01:57:38 | 気づき

 ある人を見ていて思った。

 その人は、周りが信頼関係を築こうと腹を割って話しても、過去のトラウマから人を信用しきれず精神的な壁から出てこない。そのために、周りは次第に彼を信じたいと思わなくなってきている。信じてくれない人を信じたいと思う人はいないからだ。

 人を信じるのは確かにリスクがある。裏切られる可能性というリスクだ。しかし、このリスクを排除するために人を信じないという選択をした場合、また別のリスクが出てくる。

 それは、「本当の仲間ができない。」というリスクだ。仲間というのは、互いに信頼しあう存在だ。だから人を信じない人間には本当の仲間ができない。

 「人を信じるリスク」=人から裏切られるリスクはとても気づきやすいから、このリスクを避けようと人を信じない人はとても多い。人を信じなければ裏切られず、それによって傷つくこともない。学習能力の高い人ほど、このリスクを取らないために人を信じない人が多いように思う。

 しかし、「人を信じないリスク」についてはどうだろう。「仲間がいない」というのは結構重いことなのではないか?

 別に、「とにかく人を信じなさい」と言いたいわけではない。そんなことをしたらあっという間に身ぐるみ剥がされてしまうのがこの世の常だ。

 しかし、信じても大丈夫な人間をも疑ってしまい信じることができないことで、「本当の仲間を得ることができない」という大きなリスクを負うことについてはいつも頭に置いておくべきではないか、と思う。これからの、全ての分野が大きく変動し、専門化高度化していく時代において仲間がいないのは結構危険だ。学習能力の高いはずの人間がこのリスクが見逃しやすいのはある意味で逆説的ではないか?

 過去に人間に裏切られたことによるトラウマの影響がこういうところで大きく作用してくる。やはりトラウマは、相当多くの人間の精神的問題の根っこに存在しているのだ。


こんなシンクロがあるなんて!

2010-12-29 00:41:58 | 新たなシンクロニシティ

 ここのところ、シンギングボールをかき鳴らすたびにシンクロが起きると言っても過言でないくらいの状態だが、昨日の晩のシンクロはかなりすごかった。

 2回しか会ったことのない人の送別会を知り合いがやるというので参加したのだが、なぜか盛り上がって夜を徹して卓球をやることになり、私も普段は徹夜なんてせずにさっさと帰ってしまうところを何となく卓球をしにいった。

 そこで、最初は何もなかったのだったが、少しするとメンバーの1人が知らない人と連絡を取りはじめ、少しすると見知らぬ2人組の男性が現れた・・・

 そして一緒に卓球を始めたのだが、少ししてそのうちの1人が7年ほど前に私が短期間いた会社に来たインターンの学生さん(当時)にとても
良く似ているのに気づいたのだった。

 そこで連れの人に苗字を聞くとぴったり一致したので声をかけると最初は分からなかった彼が、「imagingstarさん!!imagingstarさんじゃないですか!!」と私の名前を連呼して私を何度も抱きしめ、大喜びとなったのだった。

 こんな夜中になぜ自分が卓球なんかしているのか意味が分からなかったが、こういうことだったのか・・・

 しかも2人が着ているシャツが全く同じ柄。彼は取引先の税理士さんに連れられてやってきたという。

 これは運命としか思えない再会だった。2人で飲みに行き、当時私がインターンだった彼に親切にしたのがとても嬉しかったという話、その後彼が入社したあの会社で起きたことや、彼が辞めて独立したこと、その後仕事がとても上手く行ったことなどを聞いたのだった。そして、2人でいろいろやろうと盛り上がった。

 最近はいつも「何かが起こる!」という予感がしているような状態だが、今回のシンクロにはとても驚き、感激した。

 これからもきっと不思議なことが起きていくはずだ。外国に行かなくても、日本にいても不思議なことが毎日起きてドキドキする生活だ。

 今夜もシンギングボールを奏でてから眠るとしよう。


シンクロを生み出し、ネガティブを消す楽器、シンギングボール

2010-12-27 12:27:43 | ちょっとした話題&日々の出来事

 シンギングボールを毎晩毎朝鳴らすようになってから、シンクロニシティの起きる度合いが著しくなってきた。 

 どれもこれもつながっていると思わざるを得ないような話の展開が起きてくる。 流れもいい感じなのだ。 

 シンギングボールを鳴らしてみれば分かる。「これは何かある!」と。 

 ネガティブな感情が大幅に減少するから、いろいろと悩みがある人にもお勧めである。そういう感情は、ベータ波の脳波のときに起きるそうだが、このシンギングボールをかき鳴らしていると普段もアルファ波やシータ波といった遅い脳波に誘導されるため、そういう感情がどんどん減ってくる。 欝の人にも是非お勧めだと思う。脳の血流も増えるはずだ。 

 また、記憶はシータ波優位のときに高まるらしいから、子供に時々聞かせておけば学習能力が高まること請け合いである。 逆にガミガミ怒ったりすると緊張してベータ波優位になり、記憶力が低下してしまい、成績も低下することになるだろう。 

 以上についてきちんと再現可能な科学的実験を繰り返したわけでもないが、何はともあれ、試してみる価値は大いにあると思う。  


心を浄化する音、シンギングボール

2010-12-18 22:54:02 | ちょっとした話題&日々の出来事

 シンギングボール、うちの母にも勧めたら早速購入してきたらしい。最初鳴らすのが難しかったらしいが、今日聞いたらもう鳴らせるという。

 宝石や、場も浄化できるが、心も浄化できるということを教えておいた。今後の効果が楽しみだ。

 私の考えでは、人の人生で起きてくることはその人の心の状態(透明度を含む)とかなり同調してくる。心が波立っていたり、汚れている人には、同じような人が寄ってきてトラブルが起きるし、心が澄み渡っている人には、これまた同じような人が寄ってきて楽しいことが起きてくるというのは、「類は友を呼ぶ」原則から間違いないとも思っている。

 だから、宝石じゃなくて、心を毎日シンギングボールで洗っておくのは、結構遠回りに見える、実際には近道ではないかということになるのだ。

 さてさて、今日もシンギングボールを鳴らして寝るとするか。


防衛省!

2010-12-15 23:50:17 | ちょっとした話題&日々の出来事

 今日は商用で、市谷の防衛省に行ってきた。

 さすがにわが国のペンタゴン(米国防省)に該当する建物だけあって、入り口のセキュリティがかなり厳重だった。

 入り口の大きめ障害物が、エヴァとかのアニメに出てくる設備のようなすばやさで上下するのがとても面白い。 

 敷地内に入って後で建物内に入るときにも、空港のようなセキュリティチェックがあった。

 この市谷でも、パトリオットミサイルが装備されているらしい。ちなみに戦車はなかった。

 防衛省か・・・今後わが国においてより注目すべき省庁となるのだろうなあ。いろいろ国際社会が物騒だからなあ。

 もちろん、写真撮影等が許されるはずもないから、写真はないのであしからず。


能力・・・身に付けるとその存在を忘れるもの

2010-12-15 23:08:37 | 気づき

 能力というのは本当に面白いもので、それを向上したとしても、しばらくすると当たり前になってしまい、なんとも思わなくなる。

 例えば、人との関係性を良くするメソッドを習得した場合、最初はそれがとても嬉しいのだが、そのうちそれが自分の血となり肉となっていったときにはもうそれが「自分」ということになり、当たり前のこととなってしまう。

 私も、ここ1ヶ月で音を使った新メソッドによって明らかに能力向上し、更にはシンギングボールでダメ押しをしたことによって決定的に能力が向上していると思われるが(自分で言うのは変だけど効果が出すぎなので)、それでも今となっては当たり前のように感じ、人から何か言われたときにある意味不思議に感じてしまうときがある。

 だから、他の人に何かメソッドを教えるときには常に以前との変化を覚えていてもらわないとそれをカウントしてもらえない危険性がある。

 本当に能力が向上するメソッドを教えているなら、そういう問題にはいつもぶちあたるはずだ。

 あと、今の話は、能力向上した場合の話だが、元々身に付けていた能力の場合は更に問題を生みやすい。

 自分が元々ある能力だから、人もそれができないとイライラしてしまうのだ。その能力がない人に対する思いやりが全くない状態になりやすい。「なんでできないんだ?」と怒りの感情すら普通に湧いてくる。

 しかし、それでは駄目だ。人は付いてこない。とにかく能力というものが所与の、当たり前のものではなく、たとえそれが先天的なものであってもそれは親から受け継いだものであり、他の人が受け継いでいるとは限らないことを常に念頭に置くべきだろう。

 

 


シンギングボールを会社に持っていくと・・・

2010-12-10 01:47:52 | ちょっとした話題&日々の出来事

 今日はシンギングボールを、役員をしている会社に持っていった。

 ストレスがたまっている顔で戻ってきた社員の方に、シンギングボールを聞かせ、本人にも鳴らさせてあげるととても喜んでいた。

 これはなかなか、ストレスマネジメントになるようだ。やっているうちにニコニコしてきた。

 1人鳴らせない人がいて悔しがっていた。その人はストレス余計にたまったかもしれない。


シンギングボールを会社に持っていくと・・・

2010-12-10 01:47:52 | ちょっとした話題&日々の出来事

 今日はシンギングボールを、役員をしている会社に持っていった。

 ストレスがたまっている顔で戻ってきた社員の方に、シンギングボールを聞かせ、本人にも鳴らさせてあげるととても喜んでいた。

 これはなかなか、ストレスマネジメントになるようだ。やっているうちにニコニコしてきた。

 1人鳴らせない人がいて悔しがっていた。その人はストレス余計にたまったかもしれない。


再び広尾のシンギングボール屋さんへ

2010-12-07 00:50:18 | ちょっとした話題&日々の出来事

 また広尾のノルブリンカ、というシンギングボールを扱っている店に行ってきた。

 で、ついに私が鳴らしても鳴らないシンギングボールを発見。

 やっぱり相性があるんだな・・・

 今日は、単音しか鳴らないタイプのシンギングボールを聞いたが、これは人工的で全然つまらなかった。倍音が沢山出るタイプのものの方が遥かにいい気持ちになる。

 連れて行った人はもちろんとても喜んで購入。

 今回は1時間も店で鳴らしていたので、頭が少々ボーっとして、その後入った広尾のインド料理屋さんで何だか不思議な心地になった。

 その料理屋さんでインドのお経が流れたのだが、これに反応するする・・・

 クラクラくるくらいのトリップ感で2人ともちゃんとした話ができない状態になってしまった(笑)

 広がるシンギングボールの輪。これは面白すぎる楽器なので今後も流行らせたいところだ(笑)