人とタイヤとキーパーコーティング!

タイヤ「安全」と車「キレイ」の領域で 岐阜で専門店展開 ありがたいことです!

キーパーと禅 自分の心を見つめる!

2022年01月24日 | 社内・社員さん・スタッフ向け

生まれ育った実家は 

下呂市金山にある神亀山万福寺の檀家に属していて

祖父祖父母と親父の葬儀に際してお世話になりました。

そこは臨済宗妙心寺派の末寺です、飛騨の南部は何故か臨済宗のお寺が多いようです。

けっこう有名なのが下呂市萩原の禅昌寺さんです。

 

知識として知っているだけですが、

臨済宗の開祖は栄西禅師さんで 

時々紹介している永平寺は曹洞宗で開祖は道元禅師です。

 

その程度で仏教を学んだこともなく 

禅というのも NHK番組で「永平寺」と「安泰寺」の放送を見ただけです。

そこで「禅」の修行する修行僧さんたちが求めるモノに興味を持ったぐらいです。

 

お寺のHPを拝見すると  

以下安泰寺HPより

ここ安泰寺は、道元禅師の教えを純粋に行じるために設けられた修行道場です。

悟りを求めることなく、修行がそのまま悟りである仏道を今、ここの生活の中で実践しています。

 

私たちはいつも、何かを求めています。

それはお金だったり、恋人だったり、 学校や会社での成功だったりします。

そうして「しあわせ」を 追いつづけているのです。

「しあわせ」になろうとしている私たちは、

「今ここ、この自分」を見失っているではないでしょうか。

しあわせを追い求めすぎて、今の自分をおろそかにしている。

そのため、「しあわせ」とはいったいなのか、ということが見えなくなってしまっています。

そして今ここ、この自分がすでにしあわせであるということも。

私たちはいったん、求めることを止めなければなりません。

何かになろうとハカラって坐るのは坐禅ではありません。

あらゆるハカライを止めにして坐らなければなりません。

 

では キーパーを施工するスタッフは 寒い・冷たい・暑い現場で

どういった心で働いて何を得ているのでしょうか?

私が思うに これは座禅と似ているなあ。です。

 

若い女性スタッフが 車がキレイになるのが楽しいんです。キレイにできるのが嬉しいんです。

若いスタッフが お客様がありがとうと言ってくださるのが嬉しいんです。

自分事の前に 他人様(お客様)に喜んでもらいことを優先している言葉が出てきます。

 

給料が良いから働くのではありません! 

労働条件では 働く現場の環境は過酷です!

我慢して 仕方がないから働く という人は 誰一人いません。

みんながお客様にキレイになった車で喜んでいただきたい。と 思って働いてくれているんです。

 

そりゃ~人間ですから 思い違い心得違いも出てきます。

「喜んで頂きたい」「喜んでいただけたら嬉しい」の原点にササッと戻れるのです。

 

座禅で 何も追い求めるものはない計らうこともない境地が

キーパーの施工では いつも味わえていると 思わざるを得ません。

 

昨年の暮れ 

アルバイトスタッフのNさんに 

当初タイヤ屋でアルバイトをしていて 

キーパープロショップ岐阜店が忙しくなって手が回らないということで

勤務変更をしてもらいました。

ところがNさんは体調が思わしくなかったんでしょう、

冷たい水を扱ううちに低体温症になりかけて仕事を離脱することになりました。

彼は きっと若いみんなの役に立って助けてやろう。と 思われたはずです。

嫌ですとか無理ですと言わずに頑張り過ぎたのです。

 

こんな仕事は嫌だとも言わず またアルバイトに来てくださっています。

求めるのでなく 求められることに喜びを見出されているのですね。

左 Nさん 右 奥田店長

キーパープロショップ専門店の現場で働くことは

私が思うに 坐禅修行をしているのと似た効果があるのでは!

 

禅寺では 座禅と共に作務という労働が大事な修行だとされています。

肉体労働であり毎日の日課だそうです。

座禅して労働して座禅して労働する。 

座禅では計らいを止めてただ座るだけ。

 

反省するのでもなく 

自分の心を見つめるんでもなく

そのままで喜びの境地に浸る。

 

キーパーでは

「自動車ボディの声を聞け・対話しなさい」と教えられます。

物言わぬ自動車の声を聞き取れば 

無駄のない動き理にかなった動きが自然に出来るようになる。そうです。

チカラや力みが抜け落ちて 美しい所作やしぐさが身に付いて 

その姿そのままに自動車がキレイになって行くようです。

 

昨年秋 社員研修会で1級資格に合格した河口君が

全国大会準優勝の大山さんの洗車風景を見たいということで デモ洗車が行われました。

その姿を食い入るように見つめていた河口君の姿は

立ったままの座禅の姿のように感じました。

大山さんの洗車は 

頭で何も考えているのでなく自然に次々の工程に無理なく移って行く自然の流れです。

考えて動けばぎこちなくなります。

キチンと体が覚え込んだ動きは見るだけでも美しいし

仕上がりもまた完璧です。

 

禅の修行者と禅の会得者の違いでしょうかね。

 

このパネルはやった・次はあのパネルと考えながらやるキーパー施工はまだまだ修行者です。

河口君が大山さんの洗車風景に見たかったのは 

流れるような無駄のない動きだったと思います。

 

 

働くことは生活です 禅が求めるモノもまた生活です。

生活の中 その中でも自動車をキレイにするキーパー施工の中に

禅の要素も見出すことが出来て 物心両面の喜びが感じられる稀有な仕事が

「キーパー」で実現できる。  

だから 高卒の若者三人も楽しんで働いてくれているみたいです。

ちゃんと在籍してくれています。

 

ありがたいことです!

 

 

 

 


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