「藤井聡太三冠(王位・叡王・棋聖)」の誕生に伴い、各メディアでは「最年少三冠」が報道された。でも当ブログは天邪鬼なので、ここでは「最年長三冠」を記してみる。たぶんこれを扱った記事は史上初だと思う。
なお、肩書の赤字は、そのタイトルを取られて三冠が崩れたことを表す。
大山康晴名人・王将・王位 1972年6月8日 49歳2ヶ月
羽生善治王位・王座・棋聖 2017年8月30日 46歳11ヶ月
中原誠名人・棋聖・王座 1990年8月1日 42歳10ヶ月
米長邦雄十段・棋聖・棋王 1985年3月22日 41歳9ヶ月
升田幸三名人・王将・九段 1958年3月29日 40歳0ヶ月
渡辺明名人・棋王・王将 37歳1ヶ月以上が確定
森内俊之竜王・名人・王将 2004年12月28日 34歳2ヶ月
谷川浩司竜王・棋聖・王将 1993年1月6日 30歳9ヶ月
豊島将之名人・王位・棋聖 2019年7月9日 29歳2ヶ月
「三冠王」は藤井三冠が10人目。つまり過去に9名しかいないから、全員の三冠最終日を載せてみた。
最年長三冠は当然ながら、大山十五世名人の49歳。それにピリオドを打ったのは、1972年・第31期名人戦である。この期、中原十段・棋聖が挑戦し、4勝3敗で名人を奪取。24歳の最年少名人とともに、史上3人目の三冠王が誕生した。
羽生九段は2017年、第58期王位戦で菅井竜也七段に1勝4敗で敗れ、二冠に転落した。元来羽生九段はこんなスコアで負けることはなく、谷川九段、森内俊之九段に喫した程度。それが2016年には第74期名人戦で佐藤天彦八段に1-4で名人を奪取され、将棋ファンは呆気に取られた。この辺りから、羽生ブランドに翳りが見え始めた。
中原十六世名人は三冠以上を保持することたびたびだったが、1990年、第56期棋聖戦で新鋭屋敷伸之五段に2勝3敗で敗れ、二冠に後退した。
米長永世棋聖は、1984年12月に四冠を達成したが、直後の王将戦、棋王戦で中原王座、桐山清澄九段に敗れ、二冠に転落した。
升田実力制第四代名人は1957年、39歳で三冠達成。当時の全タイトルを制覇した。
だが大山前名人が立ちはだかり、次々とタイトルを取り返していく。皮切りは1958年の第7期王将戦で、升田王将は3勝4敗で敗れ、二冠に後退した。
渡辺名人は現在の三冠で、37歳での三冠が確定している。藤井三冠が台頭している現在、どこまでその記録を保持することができるか。
森内九段は2004年、第17期竜王戦で渡辺六段に3勝4敗で敗れ、二冠に転落。渡辺新竜王は、この後竜王を8期連続防衛することになる。もし森内戦の最終局の星が入れ替わっていたら、渡辺名人の竜王戦史はもう少し変わっていただろう。
谷川九段は1993年1月、第5期竜王戦で羽生二冠に3勝4敗1千日手で敗れ、二冠転落。羽生九段は22歳3ヶ月で史上最年少三冠王となり、以後七冠王へ驀進していく。
豊島竜王は2019年7月、第90期棋聖戦で渡辺二冠に敗れ、二冠に後退した。豊島竜王もこれから巻き返しの機会は多いが、藤井三冠が君臨する現在、三冠に復帰するのは容易ではない。
藤井三冠が大山十五世名人の記録を破るとすれば、30年後。そのころ私が生きているとは思えず、それを見届けられないのが口惜しい。
思えば羽生九段が売り出し中のころも、羽生九段の活躍を見届けたいと思いつつ、天国に召された将棋ファンが多くいたはずである。いまは私たち中年や老年がその立場にいるわけだ。
歴史は繰り返すのである。
なお、肩書の赤字は、そのタイトルを取られて三冠が崩れたことを表す。
大山康晴名人・王将・王位 1972年6月8日 49歳2ヶ月
羽生善治王位・王座・棋聖 2017年8月30日 46歳11ヶ月
中原誠名人・棋聖・王座 1990年8月1日 42歳10ヶ月
米長邦雄十段・棋聖・棋王 1985年3月22日 41歳9ヶ月
升田幸三名人・王将・九段 1958年3月29日 40歳0ヶ月
渡辺明名人・棋王・王将 37歳1ヶ月以上が確定
森内俊之竜王・名人・王将 2004年12月28日 34歳2ヶ月
谷川浩司竜王・棋聖・王将 1993年1月6日 30歳9ヶ月
豊島将之名人・王位・棋聖 2019年7月9日 29歳2ヶ月
「三冠王」は藤井三冠が10人目。つまり過去に9名しかいないから、全員の三冠最終日を載せてみた。
最年長三冠は当然ながら、大山十五世名人の49歳。それにピリオドを打ったのは、1972年・第31期名人戦である。この期、中原十段・棋聖が挑戦し、4勝3敗で名人を奪取。24歳の最年少名人とともに、史上3人目の三冠王が誕生した。
羽生九段は2017年、第58期王位戦で菅井竜也七段に1勝4敗で敗れ、二冠に転落した。元来羽生九段はこんなスコアで負けることはなく、谷川九段、森内俊之九段に喫した程度。それが2016年には第74期名人戦で佐藤天彦八段に1-4で名人を奪取され、将棋ファンは呆気に取られた。この辺りから、羽生ブランドに翳りが見え始めた。
中原十六世名人は三冠以上を保持することたびたびだったが、1990年、第56期棋聖戦で新鋭屋敷伸之五段に2勝3敗で敗れ、二冠に後退した。
米長永世棋聖は、1984年12月に四冠を達成したが、直後の王将戦、棋王戦で中原王座、桐山清澄九段に敗れ、二冠に転落した。
升田実力制第四代名人は1957年、39歳で三冠達成。当時の全タイトルを制覇した。
だが大山前名人が立ちはだかり、次々とタイトルを取り返していく。皮切りは1958年の第7期王将戦で、升田王将は3勝4敗で敗れ、二冠に後退した。
渡辺名人は現在の三冠で、37歳での三冠が確定している。藤井三冠が台頭している現在、どこまでその記録を保持することができるか。
森内九段は2004年、第17期竜王戦で渡辺六段に3勝4敗で敗れ、二冠に転落。渡辺新竜王は、この後竜王を8期連続防衛することになる。もし森内戦の最終局の星が入れ替わっていたら、渡辺名人の竜王戦史はもう少し変わっていただろう。
谷川九段は1993年1月、第5期竜王戦で羽生二冠に3勝4敗1千日手で敗れ、二冠転落。羽生九段は22歳3ヶ月で史上最年少三冠王となり、以後七冠王へ驀進していく。
豊島竜王は2019年7月、第90期棋聖戦で渡辺二冠に敗れ、二冠に後退した。豊島竜王もこれから巻き返しの機会は多いが、藤井三冠が君臨する現在、三冠に復帰するのは容易ではない。
藤井三冠が大山十五世名人の記録を破るとすれば、30年後。そのころ私が生きているとは思えず、それを見届けられないのが口惜しい。
思えば羽生九段が売り出し中のころも、羽生九段の活躍を見届けたいと思いつつ、天国に召された将棋ファンが多くいたはずである。いまは私たち中年や老年がその立場にいるわけだ。
歴史は繰り返すのである。
目の付け所が流石です。
ありがとうございます。
こうしたデータは、数字の間違いが致命傷になります。
間違いがなければいいのですが……。