八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

死ぬのがぁ

2020年07月31日 17時05分00秒 | Weblog

96歳ころ、拒食状になって、水分を点滴に頼ったころのこと。自分で食べれるようになると、お医者さんが、言った。念のために、点滴の希望を話した。それ以来、週に二回。現在は、週に一回の点滴になった。元気だったころは、枯れ木の枯れるように、死んで逝きたいと言っていた。今の点滴は、ばあちゃんの、望みではないのかも。死んで逝くには、自然にまかせると、考えている。尊厳死や安楽死があるようだが、そのような状態ではない。ちょっと前の報道では、長い間の闘病から、逃れて、希望して、死んで逝ったのを、読んだ。40年ほど前のことだが、義父が、衰弱して、往診を頼んだ。その時の、お医者さんが、「あきらめるのか、どうか」と、問われた。「何とか、生きられのか」と、返事をした。「生きているだけは、できる」となり、点滴をして、あとは、別の病院へ、入院することになった。正月が終わり、それから、約10か月のあと、死になった。その、10か月は、義父は、苦しい思いをしていた。快癒しないのだからということを、しっかりと、理解べきだった。このことを、頭に入れて、いざと、なった時には、これ以上の延命は、しない。画像の文字の最後の列は、「おれは死ぬのがぁって 真顔でいう 点滴の落ちるのをみて 問う」

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しおり

2020年07月31日 13時08分37秒 | Weblog

在宅介護中のばあちゃんの、百六歳の記念の、小冊子に添える、このしおりを作って、終了となった。[千秋萬古]を貼りつけた。辞典に、歳月の長いこと。永遠という意味とある。「萬古」とは、「後の世までの長い時間、永遠のこととある。わかったようで、わからないのは、いつものこと。花の、花ことばを、赤い色の花と、淡い色の花の、二種を貼りつけた。花と花ことばは、年間、365日の誕生日に付いている。例えば、四月の6日の「イカリソウ」は、あなたを離さない。四月22日の、「ヤマツツジ」は、燃える思い。五月の29日の、「セツコク」は、あなたは私を元気づける。六月の19日の「ノアザミ」は、私をもっと知ってください。四月の18日の「キリシマツツジ」は、燃え上がる愛。見たこともない花が、いっぱいある。花ことばとはと、辞典をぺらぺらとめくった。それぞれの花のもつ特徴、性質などに素づいて象徴的な意味をもたせた語とあった。へぇだった。「花暦」もあるという。これは、四季の花を月の順に配列し、それぞれに、花の鑑賞時期や名所を記したものと、読んだ。これも、へぇ。

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