サイレンに、びっくりした。近所の人が、足腰が弱って、具合が悪いのかなぁと、時々、出合えば、挨拶だけはする。その人のようだ。夜遅い時間に、緊急入院と思う。誰もが健康で、過ごせれば、これに越したことはない。在宅のばあちゃんが、いつ、救急車の世話になるのかと、心配はしている。ばあちゃんの顔色に、注意をしている。具合が悪くなった時は、早めの判断をするのが、大事なことと、思っている。
もうすぐ五月になる。きょうも、北風が吹き荒れている。数日前に、撮ったさくらだが、離れているところからみると、若葉になっている、。昨年は、花が散って、足元に花弁が、敷き詰められていた。今年は風で、どっかへ飛んでいってしまった。日本各地、穏やかな春のところもある。当地方は、風が吹き荒れる日が、多いように思う。別の話しだが、なんとか学園やら、東北でよかったとか、なんか、がたがたしているのかなぁ。ミサイルが飛んできたら、防災放送があるとか、弱いところを攻撃するのが、順当ならば、日本は危ういかぁ。穏やかに収まるか、収まれないのか。ちょっと、気をもんでいる。10日も過ぎれば、「立夏」になる。ここのところ、陽光を待っている。
在宅介護中の、ばあちゃんの実家から、いただいた最後の一本のねぎ。春の彼岸に、仏壇に線香をあげてきた。その際、いわきねぎをいただいて、数本づつ新聞紙にくるんで、保存をしていた。切り口が、きれいだなぁと、見てカシャッとした。以前は、出荷をしていたが、近年は、自家消費用に、育てていたのを、いただいている。ばあちゃんが元気だったころ、夕食の食卓に、薄く刻み、かつお節と薄口しょうゆを、ちょろっとかけて食べる。「ゆっくり食べなぁ」と言われて、器と箸を両手に持ち、ふぅっと真顔になった。そのしぐさがおかしく、家族みんなで、大笑いをした。そのばあちゃんは、102歳と8か月がすぎた。まだまだ、元気でいるようだ。時々、おしゃべりの相手をすると、なにか、「じっちさん、ばっぱぁさん」のことや、「のぶあきあんちゃぁん、つぐえねぇちゃぁーん」とか、親兄弟のことを、思い出していて、話している。戦時中の疎開と、戦後の子育てで、すぐ上の姉は、亡くなっている。それは覚えている。「もとよは、死んだぁ」と云う。いわきねぎ、美味しいですよぉ。でも、売ってないのが、残念。