八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

七月十九日のおもてなし

2014年07月29日 20時34分40秒 | Weblog
にわか修行で、写経に行く。そのあとに「お茶どうぞ」で、もてなされる。日常生活では、このようなのは、無い。今回の法話は、「釈迦如来」だった。話せば、長い時間がかかる。さわりだけ。「釈迦如来」は、空腹の苦行で、悟りを開こうとしたが、無理。空腹を満たして、「悟り」をひらいたという。にわか信者にはありがたい。ご飯をよく食べ、よく眠れば、体にも脳にも、栄養分が行きわたり、夏負けしないのだろうと、にわか信者は解釈をした。この歳になると、脳は退化している。頭を振ってみた。音がしない。「あぁっ、からっぽだぁ」。これまた、失礼しました。
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FMいわきからの声

2014年07月29日 19時44分46秒 | Weblog
五月下旬に、「落語について」、インタビュ―を、受けたことを、ブログに書いた。昨日、それが、FMいわきで放送された。自分の声が、ラジオから聞こえるのは、恥ずかしうれしだった。優等生の、答えでなかったかも。「落語は、難しい」と、言った。インタビュ―に言った「一分」の価値は、今の時代と比べると、どのくらいの価値があるのかと、なけなしの脳で考えてみた。落語に、大飯を食う若者が、力士にスカウトされる。相撲部屋で、大飯を食べる。相撲部屋では、たまらんと、「一分」のお金を持たせて、首にした。若者は、故郷に錦を飾れないので、川に飛び込もうとした。「一分」のお金も流れるので、もったいない。それでは、「旅篭」に、この「一分」で、ご飯を、腹いっぱい、食べさせてくれと頼んだ。旅篭の人が、これは見込みがあると、力士になることを進言し、相撲部屋を、紹介をした。若者は、精進をして、関取になり、故郷に錦を飾ったと、言う落語だったと、記憶している。間違っていたら、ご容赦。なんか、変に、頭の中にあって、インタビュ-に、このことが、とっさに出てきた。こんなことから、「一分」は、今の価値では、10万円くらいなのかと、勝手に想像をしている。よく時代劇で「一両」とかを、見聞きする。「五両」もあれば、一年暮らしていけたらしいのか。お金の単位は、「両」があり、「銭」があり、今は「円」か。昔の「一円」と、今の「一円」の価値は、なんて、考えていても、「下手な考え休むに似たり」だなあ。これまた、失礼しました。
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