この船は、既に離礁をして、港に停泊している。報道があったその日の夕方、撮ったものだ。たまたま、納品の通りかかった堤防へ、ちょつと上がってみた。この先は、規制がしかれている。「うぉぉでがいなあぁ」だったった。撮ったその日に、掲載したつもりだったが、抜けていた。
大晦日に、年越し蕎麦を食べ、、近所の神社から、新年を祝う太鼓の音が、闇をついて聞こえた。年の暮れに、一年のほこりを払って、神棚をかざって、新年を迎えた。鏡餅、ちょつと飾りが変に、感じる。鏡餅には、橙、裏白、ゆずり葉、昆布、四手を垂らす。これが正式だ。橙を、みかんで代用している。飾るものには、それぞれの、いわれ意味がある。その意味を大事にすべきだと、思った。飾り方を、簡略しているのだから、神が願い事を、叶えてくれるのも、簡略してしまうのだろう。年のはじめから、自嘲している。昨年は、歳まわりが、悪かったようだ。神社に、神札を頼みに行って、神札に書く願いごとの、字句の時に、言われた。この歳になると、心の頼りを探す。長い人生の中で、その時、その場で、いろいろの節目がある。その節目、節目でいわれていることを、もつと大事にしなければ、ならなかったのだろう。ことわざの「三つ子の横草履」ってゆう、何もかまわずに、ただやりさいすればいい、なあぁ-て、いう態度はだめだと。年の始めに思っている。初夢を見るのは、正月二日の夜。七福神が、帆かけ船に乗っている、粗品にあげているタオルも、そうゆう意味があったのかぁ。今日は三日、またまた夢が叶わないかあぁ。まあぁ、前向きに考えようと。