八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

新撰の中

2007年12月17日 20時51分48秒 | Weblog
前回『貧乏は時の不運と---』とブログをした。今までの営みを考えると、時の流れに、ある時は乗っていた。バブルがはじけて不況になった。その時は、それなりに考えて対処してきたと思っている。時代の変化は、環境の変化であり、需要の変化でもある。これらに対処する知識はあった。前にもブログをしたと思うが、約30年ほど前に、現在のような需要の変化が来るとセミナ-で聞いた。セミナ-のあと、本を買って読んだ。その頃はちょつとばかり、知恵を働かせて、需要の変化に対処した。しかし、その変化のスピ-ドは早く、あれこれと考えているうちに現在に至ってしまった。自分なりに懸命に営んできたと思っている。七十の坂を下っている今、少しばかり、やけ気味に満足もしている。
『一生の営む業も子の故ぞ 我が子のためと思う世の中』ちつとばかり古くさいかな。大正2年、95年も前に刊した、祖父の処世訓。
コメント
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