奈良市の東大寺と興福寺の間に位置する、名勝{文化財保護法で定められた、国指定の文化財}
日本庭園依水園は、時代の異なる二つの池泉回遊式庭園から構成されています
総面積3400坪江戸時代前期の日本庭園として造られました
水車小屋
氷心亭
三秀亭
奈良市の東大寺と興福寺の間に位置する、名勝{文化財保護法で定められた、国指定の文化財}
日本庭園依水園は、時代の異なる二つの池泉回遊式庭園から構成されています
総面積3400坪江戸時代前期の日本庭園として造られました
水車小屋
氷心亭
三秀亭
依水園に寄贈された経緯が描かれています
”曲水の宴” 明治40年丸平大木人形製
80年間一度も出されずに仕舞込んだままになったものが、依水園に寄贈された物が公開に至っています
三方持ち官女 白木の三方を持つ官女、三方の上には金の盃が載っており
此の盃に長柄銚子から酒を注ぐという趣向です
左・ 衣冠の殿上人 水色の上着を着用した衣冠姿の男性は、六位以下の身分で、手には中啓という半開きになった扇を持っています
縹袍は本来、生地に地紋が無いのが決まりですが、この人形は文様を織り出し高級感を演出しています
右・ 白い上着の直衣は、中納言以上の公卿でなければ着用が許されません
この人形では、その生地に小葵文を織りだしており、直衣の中でも最高級の、天皇がお召しになる直衣の表現となっています
小袿の姫 小直衣の貴公子のそばに立つ美しい姫は、高貴な小葵文を色鮮やかに織りだした
小袿を着用しています、手には五色の糸を下げた檜扇を持っており
おそらく雛飾りの主役である女雛を意図したものと思はれます
小直衣の親王 小直衣は、狩衣に似ていますが、ごく高位の男性しか許されない特別な装束です
この人形は、菊紋を織り出した小直衣を召す貴公子として親王を表現し
雛飾りの主役である男雛にあてたものと思はれます「
琵琶を弾く男性は、宮廷装束としては比較的略装である”狩衣”を着用し
烏帽子を被っています、狩衣に織りだされた桜文様が春らしさを演出しています
歌詠み姫 色紙を手に歌を詠む姫は、亀甲池に向かい松竹梅の菱文を織り出した鮮やかな小袿姿です
この姫だけが頭部にサイシ釞小と呼ばれる髪飾りを着用していますので
ここに集う女性の中で最も高位で有ることを表現しているのかもしれません
楽太鼓打ち官女 雅楽で用いる実物を彷沸とされる、見事な細工の楽太鼓を打つ官女は
ふくよかでユーモラスな”お多福”に仕立てられています
依水園ひなまつり
奈良には何度も足を運んでるのですが依水園は初めてです
依水園の主人が依水園に受贈した人形が展示されています
依水園に行く道、古い奈良を感じる土塀の道、若草山も目の前です
名勝庭園依水園入口
孫娘ちか子にの節句に誂えた稚児雛人形
通常の雛人形は五人囃子を除いて成人の姿に表されていますが
此の段飾りは男雛、女雛共に愛らしい子供仕立てになっています
大和郡山城・豊臣政権の中初期には秀吉の実弟羽柴秀長の居城となり
その領国であった大和、紀伊、和泉100万石の中心地
江戸時代は郡山藩の藩庁が置かれていた
郡山城のしだれ梅、大阪城ではチラホラ咲きでしたが此処は8分咲くで、2,3日で満開です
天主台展望所からの眺め
旅行の為コメント欄は閉じさせてもらいます
秀吉は天下統一の拠点として権威と権力を象徴する難攻不落の居城を築いた
豪壮華麗なその姿は三国無双と称され、慶長19年~20年{1614~1615}の大坂の陣で落城
現在は昭和6年に大阪市民の熱意によって再建された鉄筋コンクリート造、
地上55mの3代目天守閣です、梅園の梅はチラホラ咲きです!
大坂夏の陣で家康と戦った真田幸村が傷つきこの神社まで逃れてきた所を
越前兵に急襲され、戦死した場所と言われています
真田幸村公の像、甲を脱ぐと三光神社で見た勇壮な幸村とは違う感じがしますね!
本堂
真田日本一之兵 社殿
梅が咲いてます
真田幸村と十勇士
猿飛佐助・霧隠才蔵・三好清海入道・三好為三入道・由利鎌之助・海野六郎・望月六助・根津甚八・筧十蔵
戦国時代真田幸村に付き従ったとされる家臣
猫が、受付で留守番です!
沢山の絵馬があります
大坂冬の陣で家康の本陣となり、夏の陣では幸村が布陣し激戦地となった茶臼山
大阪五低山に一つであり標高は26m
平成26年には大坂の陣の戦没者の鎮魂と泰平の世が何時までも続くようにと
一心寺の寄贈により建立されました
大坂夏の陣
真田幸村隊3500、徳川方最強の松平直率いる越前勢15000と
茶臼山周辺で激戦が繰り広げられました
茶臼山山頂
茶臼山、山頂の大坂陣跡
茶臼山全景と河底池
堀越神社 家康を救ったと言われるお稲荷さんがひっそりと佇んでいます
一生に一度願い事を聞いてくれる神様だそうです、若い女性の参拝が多い様です
一心寺
慶長19年{1614}の大坂冬の陣では家康の本陣が置かれ
夏の陣では真田幸村が陣を布く激戦の中心地となりました
本堂は改装中、線香の煙の向こうに骨仏が安置されています
重要文化財”大坂夏の陣図屏風”大阪城天守閣所蔵の、複製銅板が飾られています
心眼寺は、元和8年{1622}白牟和尚が真田幸村父子の冥福を願って建立した寺で
門扉には真田家の家紋である六文銭が飾られています
門扉の六文銭
真田幸村父子のお墓
大坂冬の陣から400年の平成26年10月、境内に幸村のお墓が建立
まん直し地蔵堂
まん直し地蔵
まんが悪い時に祈願すると、不運を直して幸運に変える御利益があると言われています
円寿庵、鎌八幡
境内には鎌八幡と呼ばれる霊木があり
大坂冬の陣の時真田幸村が榎の木に鎌を打ち付け必勝祈願し戦勝をあげたと伝えられています
縁切りのお寺で、お寺の境内は撮影禁止です
真田幸村顕彰碑です
真田幸村めぐルート、此処を散策です
歴史・戦国武将スポット 真田丸ロードを訪ねて見ます
三光神社は慶長19年{1614}の大坂冬の陣の頃
真田幸村が大阪城まで掘らせたと言われる{真田の抜け穴跡}が残されています又
境内には真田幸村公の銅像が建っています
三光神社
真田幸村公の像
武将勇ましい姿です
真田の抜け穴、大阪城まで続くそうです!
抜け穴内部
柿の木の実におみくじが沢山結び付けられています、
この様な柿の実におみくじは初めて見ます、何か言われがあるのか!
重要伝統的建物保存区域、富田林寺内町の旧杉山家お雛さんです
江戸時代から明治初期のものと思われるひな人形を特別に展示しています
旧杉山家の入口です、拝観料は400円でした
旧家らしい風格があります、今回は雛人形だけを写してきました
金剛山で綺麗な霧氷の見られる文殊尾根
1日でこの様な綺麗な霧氷が出来るとは!
平日で登山者も少しですが登って来られます
風が吹くと上から雪片が落ちてきます
一日で出来たのですかね!
今日は綺麗な霧氷を堪能した登山です
昨日は霧氷が無かったそうですが
今日は綺麗な霧氷になってます、平日で登山者は少なかったのですが
綺麗な霧氷を見られた人はラッキーですね!
回数の掲示板と温度計 -2度cです
朝金剛山のHPをみて、積雪2cm霧氷ありです、昨日は霧氷は無かったのですが、早速出かけて見ます
9時35分のバスで、今回は体のふらつきが少し有るので沢筋は危ないと思い本道からです
本道はすべて木の階段きついのですが!写真を写しながらですので如何にか山頂に着きました
雪も霧氷も無かったのですが、五合目から綺麗な霧氷が現れ感激です
本道の霧氷を見るのは初めてです
山頂近くですね!
橿原神宮記念祭、神職が入場して少し経つと勅使参向を待ってます
天皇からのお祝いの品幣帛を
幣帛とは、祭祀において神様に奉納する、五色絹・綿・絁・糸などが収められます
紀年祭式典は
勅使参向、君が代、紀元節奉頌の歌、御神楽で進んでいきます
天皇陛下万歳、奉祝紀元節の幟で祝う右翼団体の人達
大勢の団体から、5,6人での参拝する団体も
この日の橿原神宮、日の丸一色です
武芸奉納も種々の団体で行われています
駐車場では右翼団体の街宣車が数十台駐車してます
橿原神宮記念祭に今年も行きました
時間が少し遅かったのですが、外拝殿は大勢の人です、一般の人は入れません招待者だけの参列です
初代天皇であると伝えられる神武天皇が橿原宮で即位したという日本書記の記述に基ずき
明治23年{1890}に建てたれた本殿と文華殿は重要文化財に指定されています
大勢の右翼団体が参拝、本殿と皇居に向かって拝礼です
皇居に向かって拝礼
後から後からと右翼団体の参拝が続きます
記念祭進行・神職入場です
神職が入場すると式殿が始まります
沢山の人です
後ろからでは人の頭が見えるだけです