聖徳太子陵
推古天皇の摂政として、十七条憲法や冠位十二階の制定
遺隋使の派遣など進んだ政治制度や文化を取り入れ
政治改革を図った聖徳太子は
日本書紀によると推古29年{621}に亡くなり、此処磯長の地に葬られました
聖徳太子陵は
経50m、高さ10m程の円墳で内部は精巧な切り石を用いた横穴式石室です
太子と母君の穴穂部人皇后、后の膳郎女の三人の柩が納められてると
伝えられてることから、三骨一廊と呼ばれています
経蔵・六角形の建物で多くの写経典類が納められています
弘法大師像
宝塔・挙応元年{1652}再建 本尊は釈迦・文殊・普賢三像