594年{推古2}聖徳太子の創建と伝えられている
初代は聖徳太子の乳母玉照姫である
平清盛の娘、建礼門院が入寺、仏門の生涯を送る
平成12年5月9日放火により本堂全焼 平成17年6月再建
長い石段を登り寂光院へ
平家一門は壇ノ浦の戦いに敗れ
建礼門院は母、時子とまだ8歳だった安徳天皇を抱きかかえ海に入水しました
しかし母時子と安徳天皇は亡くなられ十二単を着ていた{十二単が浮き輪の役割になり}
建礼門院は沈まず、海に浮いてた所を無念にも源氏方に助けられます
その後助けられた建礼門院は京に戻され、東山の長楽寺に入り出家し
そして1185年{文治元}年9月に我が子安徳天皇と平家一門の菩提を弔うために
隠棲の場所となる寂光院に入りました 建礼門院29歳のことです
本堂
放火で焼けた、“千年の姫小松”樹齢900年高さ18Mの大木だったそうです
梵鐘 諸行無常の鐘 制作年代江戸時代 1752年
平家物語の冒頭の 祇園精舎の鐘の声・諸行無常の響きあり・沙羅双樹の花の色・盛者必衰の理をあらわす