夢かも知れない。日本の皇室に英国王室の自由、大らかさがあって欲しい

2013-07-25 16:26:37 | 日記
 一人の子どもの誕生に見る、英国王室の大らかさ

一人の子どもの誕生が、これほど賑々しく取り上げられるのは異常といえば、異常であるが、それは日本において思うことであり、英国の王室のこととなれば考えも発展するというものである。

まず、この度、誕生した王子の祖母であるダイアナ妃。不慮の事故で亡くなるが、いろいろな憶測が飛び交うほどの王室の一員であった。人は、面白、おかしく物語をつくりたがるが、日本の皇室と比較して羨ましく思う。どれほどの自由があったか、また真偽のほどは不明だが、国民の前に明らかなる、また明らかにできることは、とても日本では考えられないことであろう。

父親となったウィりアム王子とキャサリンの結婚式もそうである。式そのものはともかく、結婚式を終え、ベランダに姿を現わした若いカップルは民衆の前で熱々のキスをした。英国においては当たりまえの光景であるが、こと、王室となればと思うのだが、そんなことはお構いなし、民衆はこれに対し祝福の喝采をする。

馬車行列で国民の祝福を受けられた皇太子と民間人美智子様の結婚披露。それでも戦後の新しい日本を象徴するものであったが、文化の違いはあるものの格段の違いがあるというものだろう。

そして、ベビー誕生。産院を退院する若き夫妻、赤子を胸に抱き民衆の前に現われた場面もそうであった。「幸運なことに彼女によく似てる」と、自らの髪の薄さに喩えてのおどけや、さらには王子のオムツを取り替えた夫のイクメンぶりを報告する妻キャサリン。赤ちゃんをベビーシートに乗せ軽やかに車へ、そして自らの運転で宮殿に戻っていった。さらに妻キャサリン妃の実家に3人で里帰りするというのである。
これらは、テレビや新聞の報道の中で先刻承知の光景である。

かつて、美智子妃殿下も皇室の伝統の中でご苦労されたことが報じられた。そして皇太子夫妻の苦労も今報じられている。もっともっと民衆に中に溶け込まれることができないものだろうか。現に、今般の東日本大震災に当たって両陛下が果した役割は、まさに憲法に謳われている「象徴天皇」そのものの姿であった。避難所では、床に膝をおとし、同じ目線で述べられる言葉の一つ一つ。そしてこの度も福島にお出でになった。そして出迎えられた一人の妊婦のお腹を撫でられ、励ましの言葉を掛けられる皇后の姿に民衆の目線を感じるのである。

前にも書いたが、主権回復の式典における天皇の厳しいまなざしは忘れられない。

自民党の改憲草案における「天皇元首」の思想。つい最近まで公言されていた「神の国」発言からしても。この政治思想の流れは消えてはいない。
夢の夢かもしれない。天皇家のお一人お一人に、英国王室の自由さ、大らかさを求めることはできないだろうか。

皇居の奥深くではなく、銀座に姿を現し、闊歩する若い皇室であって欲しいと願う。
そうなれば、前記の「闇の流れ」は消えていくだろう。