80歳が語りかける「保育所問題」・夏の政治決戦の的の一つに・・・・・

2016-03-14 21:11:23 | 日記

   80歳が語りかける「保育所問題」・夏の政治決戦の的の一つに・・・・・

 

   80歳の私が「保育所問題」とはこれいかにと思うだろうが、今般の政治を語るものの一つとして、しかも短時間で政府の姿勢を変えた「保育所落ちた、日本死ね」のブログを考えなければならないと思った次第である。結論は「夏の参議院選」を意識したものであることは間違いがないにしても、安倍政権、とりわけ安倍首相の姿勢の変化を見過ごすことはできないと思うが、どうだろうか。

   あらためて、80歳のものが今更と言われることを承知で次の報告をしたいと思う。

 50年前のことである。共稼ぎである私にとって、最初の子どもの保育について方針を持つことができなかった。当時存在をしていた僅かな「公立保育所」への申し込みは受付期間からも無理。そして選択をしたのが近所の「おばさん保育」に頼った。これとて受け入れてくれるまでのお願いにはかなりの.時間を要した。当然である。おばさんにしても、経験はあるものの他人の子どもをあずかる負担と責任はある。でもどうにかしてお願いをすることができた。

 そして近くに「公立保育所」の建設が始まった。私は二人の子どもつれては、その建設現場に訪れ「あなたたちが来る保育所はここですよ」と言葉をかけ続けたことを記憶している。そのためか、二人の姉弟はすんなりと新しい生活を受け入れたことを嬉しく思った。

 そして取り組んだのが「保護者会」の結成であった。何も保育所運営と対立するつもりはなかったが、結果的にはそのことは避けられなかった。その一つに「保育時間」の問題があった。当時、自家用車を所有している者はいない。多くは自転車か、路線バスである。職場によっては定刻には帰れない場合がある。当然にして時間通りの迎えが困難である。この続出に対する対応であった。保育所側は規定通りの保育時間をもってお迎えを求める。そこで取り上げたのが保母の所長昇格であった。当時は行政の管理者が所長を兼務していた。これを取り外し保母の登用を求めたのである。かなりの抵抗があったが第一号の誕生は私の子どもの保育所であった。私は新所長に求めた。「所長の管理責任において時間延長の子どもの保育にかかわってほしい」と。

 次に取り上げたのが「無認可保育所」への助成であった。これについては施設側からの抵抗があった。「助成を受けることは、行政の管理を意味する」というものである。この件については、施設側も保護者側も奇妙に一致する。保育の内容の向上を求める保護者にとっては行政の助成はありがたい。しかし、それを口にすることが「我が子」に影響をしないかの意識が生れ、著名には躊躇するということを体験した。

 今でこそ「企業内保育所」の設立は一部ではあるが常識となっている。当時、私が勤める職場に「企業内保育所設立」の運動を起こしたことがある。幸いにして私は当時の労働組合の代表であった。しかし、組織内からの反対が生まれた。執行体制を擁護するための「いい格好の方針だ」というものである。そしてその2年後、職場の3割に及ぶ人員整理が強行された。その対象は「共稼ぎの女性」であった。

 今般の一つのブログが影響をした政治的運動の芽生えが政府の姿勢の転換させたこと、このことをあらためて重く受け止めるべきではなかろうか。

そのことを訴えたく、50年前の記憶を紹介したところである。参考にしていただければ.嬉しい。