100年・700年・そして10万年。このように考えと40年の廃炉計画は

2014-08-02 16:25:20 | 日記

   100年・700年・そして10万年。このように考えと40年の廃炉計画は

        第一次世界大戦時の不発弾処理・700年はかかるという

  第一次世界大戦の発端となった、オーストラリアの皇太子暗殺から今年の6月で100年になる。極めて偶発、かつ想定もしなかった一つのきっかけが、くすぶり続けてきた火の粉を大きくする事例として忘れることはできない。それが戦争でもある。

  今年も8月15日がやってくる。そして、人は異口同音に「戦争の歴史を風化してはならない」と述べる。

  本日(8月2日)、毎日新聞の2面に「不発弾1億発 処理に700年」という見出しの記事が載っていた。フランスとドイツの国境であるその地が、仏独両軍が奪い合う最大の激戦地であったという。そして、今もなおその地では、100年前の深い傷跡を背負い続けている。

  地下に眠っている1億とも言われている、「戦争の落とし子・不発弾」の処理には700年はかかるという。フランス内務省の爆発物処理隊が、この処理に当たっているのだがすでに632名の犠牲者を出しているとも報じていた。

  100年前の世界大戦における日本の位置づけはどうであったのか。そのことは今回のテーマではない。ただ「日英同盟」の中でドイツへの宣戦布告を果たしたことは触れておく。

  ところで100年という年限である。事例として、それより26年前の1888年に福島県の磐梯山が噴火をしている。5村・11集落は埋没させ477名の死者を出した。猪苗代湖をはじめ無数の湖沼をつくり、人命だけではなくあらゆる生き物を死滅させ、そして緑を消滅させた。その磐梯山も、今は磐梯・朝日国立公園として緑豊かな土地に生まれ変わった。120年の歳月が過ぎている。

  そして、片や100年前の戦争による砲弾が今もって「生き続けている」。その始末をするのに700年を要するという。

  700年後の世界はどのようなものであろうか。それは想像の分野である。しかし、700年前の世界は想像ではなくその事実を見ることができる。

  日本における700年前は南北朝の時代である。後醍醐天皇が隠岐の島に流され、脱出後、日本は二つに分かれ抗争を続けた。楠木正成・新田義貞、懐かしい名前が次々と出てくる。この歴史をどう見るか。これは時代の権力が、どの位置に立つのかで異なってくる。ある場合は「忠君」であったり、ある場合は「逆臣」であったりする。これも今回のテーマではない。

  100年であれ700年であれ、その時の速さ、長さを考えたいのである。

  今、福島原発は、あらゆる試行錯誤を繰り返し「廃炉」に向けた取り組みを行っている。なるほど政府、東電による廃炉工程表はつくられた。それは40年をめざすというものである。しかし、原状を見る限りそのような工程で進むとは考えられない。しかも、「処分方法も含め最終処分場」は決まっていない。もはや、この原発にかかわった者(私たちも含めて)、責任を取るべき者のほとんどがこの世に存在をしていない。

  長くかかる、そして犠牲が伴う「苦渋の年月」を「原発事故を知らない時代の者に託す」のである。そして、さらに10万年の安全を確保しなければならないという。

  ここを直視する思想が今必要と思うのだが。何故か、その空気の薄さを痛感する。そして苦しく、切なくなる。