2025年問題・75歳を迎えた「団塊の世代」の悩み・苦しみ

2014-08-08 19:47:49 | 日記

   2025年問題・75歳を迎えた「団塊の世代」の悩み・苦しみ

 

 社会保障における「2025年問題」が論議されて久しい。しかし、時間を要している割には、何の見通しも立っていない事実に気が付く。

 6月19日のブログに「20代の若者が親の介護者に・その犠牲はあまりにも大きい」ということを書いたが、これも一つの事実である。

 そして次のよう事例も出てくる。

 「高齢社会は医療費がかかる。介護費も増大する」と周囲から言われ、ましてや政府から飛びだす発言は、発言では終わらない。医療費の削減を国の方針として制度化し。同時に負担の増大を押し付けてくる。介護費も同様である。

 そして団塊の世代と言われる全員が、75歳の「後期高齢者」となる。健康であり続けている状態であれば素晴らしいことである。しかし、そうであっても、いつまで続くかその保証はない。

 さて、その子どもたちである。「団塊ジュニア」と呼ぶのだそうだが、その親が75歳となればジュニアは40代前半から後半であろう。まさに人生に勝負にかける時期である。また、将来を決める進学、就職、そして早ければ結婚ということがあっても不思議ではない子を持つ父親、母親でもある。一番大事な時である。

 多分、ジュニア夫婦は、老いた両親とは離れて暮らしているケースが多いだろう。「後期高齢者」である両親は。体力もおちているだろう。通院するような、あるいは入院を必要とする病気にかかる年齢でもある。いや入院中かも知れない。介護が必要になった父がいても不思議ではない。老いた妻がその介護を担えるか、どうかである。

 私は、東海道線の事故を思い出す。JRは、その損害賠償を要介護の妻に求めた。

 2025年問題の厳しい側面を見ることになる。

 75歳と言えば戦後6年後に誕生した。第一次ベビーブームである。当時はまだ町は荒廃し、経済も混乱していた。自分の胃袋より、子どもの胃袋を満たすことに必死であった両親を見て子どもは育った。

 そして75歳になった。「さぁこれからを、これまでのご褒美を受ける晩年でありたい」と願っても当然のことである。ところが「幸せは長くは続かない」の譬えのように、子どもに介護休職、あるいは介護退職を求めなければならない事態が発生したとしたらどうだろう。それは、受ける者にとっても、看る者にとっても、まさに「介護地獄」と言わなければならない。介護はいつまで続くかはわからない。先が見えない。仮に10年介護していたらジュニアは50代に入っている。

 新しい職場は簡単ではない。せめてのつなぎ就職に中で迎える60歳。結局はそのまま年金生活に突入。加入期間や積立金の不足が年金額に結び付く。いわゆる低年金の実態である。

 ここまで書いてくると、もう嫌だとなる。考えたくないとなる。またこんなケースは特別なもの、そんなにあるわけではないと言い訳をしたくなる。そしてワープロを閉じることになるのだが、しかし、眠れない熱帯夜をさらに重苦しくする課題となった。

 「果たして特別なケースであろうか」