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ひーず のーと

旅、食、落語・・・と日々思うこと、思い出したことの備忘録

いわき 勝行院

2011-02-27 21:22:06 | 寺社巡り
 1月30日、惣善寺の次は、数分で、勝行院です。
 惣善寺から脇に行くと勝行院の三重の塔が見えて、ここかと思うと入り口が見つからないで一苦労。

 山の下側に入るところはありました。

 巽門です。これで、中に入れると安心。


 山門です。額を見ると三福山の山号があります。

 工事中が残念。

 本堂です。


 本堂右脇には釈迦堂があります。この釈迦堂は1520年に建てられたそうです。先の惣善寺は、この辺で下の寺、こちらは中の寺と呼ばれているそうです。

 三重の塔です。1988年建立です。


 三重の塔は境内左奥。そして右側からの出入りは乾門です。

 こちらのお寺は真言宗。広い境内に様々な建物が並ぶ古刹です。新しい建物が多くとも、信仰の雰囲気があります。

いわき・温泉山惣善寺

2011-02-26 21:07:49 | 寺社巡り
 1月30日、童謡館からさはこの湯の前のそばにある温泉山惣善寺を拝観しました。
 お寺の入り口です。一応、山門なのかなぁ。
 右の柱にあるとおり、浄土宗名越派の寺院です。

 そして、奥に本堂が見えます。
 福島県歴史散歩の本によると1559年開山とのことです。

いわき湯本・温泉神社

2011-02-24 23:42:51 | 寺社巡り
 1月30日、いわき湯本で昼食後、宿に荷物を預け、温泉街等の散策です。
 さて、温泉街と言えば、温泉神社。こちら、いわきにも、もちろんあります。
 駅から御斎所街道(56号線)を温泉街に向け10分ほどで鳥居が見えます。


 先ほどの鳥居を抜けると参道を歩くと階段の手前に、また鳥居があります。


 階段を上ると温泉神社があります。「ゆの神社」と読むそうです。福島県歴史散歩によると、町の西方約4kmの湯ノ岳などを神体として、当初は湯ノ岳中腹に神社はあったそうですが、他の場所に移った後、1651年に今の場所に移ったそうです。


 本殿です。

町田天満宮

2011-02-23 21:40:29 | 寺社巡り
 20日、午後は町田天満宮に梅を見に。
 町田天満宮はホテルザ・エルシィから鳥居が見え、横浜線の横浜を横浜方面へ向かい、町田参宮橋を渡ります。
 参宮橋を降りると町田天満宮の鳥居が見えてきます。

 奥に社殿が見えますが、手前右側には臥牛(ねうし)も見えます。菅原道真の亡くなった時に棺を運ぶ牛車がサボタージュし、そこに、太宰府天満宮を建立したことに因み奉納されているそうです。
 神社境内には由緒を記載した看板もあります。

 パンフレットによると、町田天満宮は1582年に原町田が分村独立により誕生した頃創始し、1853年に京都白川殿より、町田天満威徳天神の社号を賜わり、天満宮て称するようになったそうです。そして、1964年には町内の日枝社と大綱社も合祀し、現在に至るそうです。
 社殿は1967年竣工で、拝殿権現造、本殿流造の社殿です。

 拝殿が見えます。

 社殿の額です。

 社殿の左側には境内社があります。この境内社は、1894年に建てられたもので、現在の社殿が1967年に建つまでは、この建物が社殿だったそうです。敷地の中で、二度の引っ越しをしているそうです。

 恵比寿様です。

 この境内社には1997年に恵比寿様が祀られ原町田七福神の一つになっています。

 境内には色々な梅が咲き誇っています。


 境内にあったとやでの錦という梅です。


 梅をもう一つ。白梅で、月影です。

相馬・洞雲寺

2011-02-07 21:59:52 | 寺社巡り
1月29日、相馬中村神社の後、10分ほど、大通りを駅と逆に向かうと洞雲寺はあります。
 さて、洞雲寺の三門です。いい雰囲気の三門です。

 曹洞宗の寺院で、山号は天陽山だそうです。

 上に上がると、新しいガラス張りのお寺さんでした。

 こちらは、「福島県の歴史散歩」によると、江戸時代には臨済宗の長松寺があり、藩学問所としても利用されたけど、長松寺の移転に伴い、南の小高地区から洞雲寺が移ってきたそうで、相馬家墓地もあるなど、歴史ある寺院です。でも、建物は新しかった。

相馬中村神社

2011-02-06 22:35:13 | 寺社巡り
 相馬中村神社は相馬神社の西側にあります。市役所側(東側)に一旦戻って、神社の方に向かうと、最初に鳥居が見えます。

 この間を進んだよ行くと両脇に馬が見えてきます。 ここは相馬城址の西側の出口でもあります。

相馬家にとって、戦国の世に馬は大切だったでしょう。

 さらに、進むと、鳥居とその奥に急な石段が見えます。
 石段を途中まで上がると拝殿が見えます。

 両脇には馬の顔の乗った鉄の支柱が並んでいます。 拝殿の後ろの本殿です。

 この相馬中村神社は、もともと相馬氏の下総以来の氏神が妙見菩薩であり、妙見菩薩を祭っていたのが、明治の神仏分離で祭神を天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)だそうです。また、社殿は1643年の建立だそうです。そして、相馬野馬追の際には、ここで安全祈願の祭礼なども執り行われるという古社です。

太皷谷稲成神社

2011-01-09 07:39:24 | 寺社巡り
12月25日、総霊社を外から覗いたあとは、その左に鳥居が見える太皷谷稲成神社に参拝です。
さて、鳥居です。


少し引いて見ると鳥居が連なっているのが、見えます。

この鳥居のトンネルが参道になっています。丘の上の神社まで、300段弱かなぁ。

参道を登りきると神門です。

鳥居もそうですが、朱色が鮮やかです。
さて、この太皷谷稲成神社は1773年、津和野亀井家7代藩主藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願して、津和野城の鬼門の方角に京都伏見稲荷を勧請したのが始まりだそうです。

境内に入ると直ぐ右側は元々社殿だった元宮があります。


元宮は1923年に建てられたそうです。
そして、1969年に現在の社殿が建てられました、その社殿・本殿です。

本殿は境内の一番奥にあります。

境内からは津和野町がよく見えます。

ただ、武家屋敷のあたりは見えなかったみたい。

津和野・弥栄神社

2011-01-06 23:32:19 | 寺社巡り
さて、太皷谷稲成神社の鳥居をくぐっていくと、鳥居と神社が見えてきますが、太皷谷稲成神社ではなく、弥栄(やさか)神社です。裏から入りますが表に出ると

弥栄神社は実業之日本社の「てくてく歩き」によると、古くは祇園社といい、津和野城鎮護のため鬼門の方角に(ウィキペディアによると1428年吉見氏により創建)建てられたそうです。



千葉養老渓谷・養老山立国寺

2010-11-27 22:28:17 | 寺社巡り
昨日、養老渓谷駅からバスで、吊橋入口まで。ここから見えるのが出世観音の入口にある観音橋です。太鼓橋のカーブが結構きつい橋です。

この橋を渡っていくと、出世観音の参道で、数分で、出世観音に行きつきます。

出世観音の本堂です。

出世観音は正式には養老山立国寺と言うそうです。源頼朝がお詣りしたため、このような名がついたそうです。

本堂右手には観音橋が見えます。

名古屋 徳興山建中寺

2010-11-17 23:51:07 | 寺社巡り
9日昼食後、名古屋で、地下鉄桜通線で、車道へ。そこから徒歩10分弱で、名古屋の名刹浄土宗の徳興山建中寺があります。1651年尾張徳川家の2代光友が初代の菩提を弔うために建立し、後に尾張徳川家歴代の菩提寺にとなった寺院です。1785年の大火災で多くが焼失したものの、その後再建されてきたそうです。
まずは総門です。

1652年建立の創建当時の歴史的な門です。
間に公園を挟んで、大きな三門があります。総門と三門の間には盛期には塔頭群があったそうです。

こちらも1652年創建。壮大な門です。いいなあ。中には十六羅漢像が置かれているそうです。
三門の左側には健中寺の建造物マップがあります。

三門の右側には三葉葵の美しい17世紀後半創建の御成門があります。

三門をくぐると正面に本堂が見えます。1787年の火災から2年後の再建です。間口27mの立派な建物で、中に入ってお参りも可能です。

三門から入って右側には1787年創建の鐘楼があります。

三門を入り左側には不動堂、1969年の再建です。

不動堂の本堂側には1786年創建の開山堂

さて、本堂の右奥にはこちらも壮麗な雰囲気の書院です。1964年の再建だそうです。

立派な寺院で、名古屋行ったときにはお参りしたい寺院です。

名古屋・泥江縣(ひじえあがた)神社

2010-11-15 23:46:24 | 寺社巡り
先週の月曜日、8日、昼に名古屋栄町に行った後、名古屋駅方面に徒歩で。途中で、国際センター近くのオフィス街の中にあった神社です。
鳥居です。

この鳥居の右側では、お弁当やさんもでてるというオフィス街です。
鳥居の横には教育委員会の解説が、

本殿横にも由来が書かれています。

祭神は、応神天皇、神功皇后、三女神。859年に宇佐八幡の分霊として勧請したとのことです。かつては相当広大な社領を有していたとのことですが、今では小さくなってしまいました。そして、江戸時代には広井八幡社と呼ばれていたそうです。藩主等からも崇敬を集めていたそうです。
本殿です。

戦災と昭和41年の火災と2度の災禍を通じて、再興してきたそうです。