今日は土曜日、「二度寝」を楽しんだ~~
2度寝は「だらしない」のでと
よく母親に怒られたのを思い出すがね
朝8時から気が付くと11時まで寝ていたよ~~
ずう~っと気になっていた「弥勒菩薩」さまのこと
チベットの弥勒菩薩様は「金ぴか」
日本の弥勒菩薩様は京都の広隆寺だったか
やさしい、深い「五劫思惟」されているお姿
弥勒菩薩様って何だろうと思いヤフーで先ず検索した
たくさんあったが一つづつ見てゆくと
「あと一段で仏の悟りを開く51段目の
高いさとりにいる方」これを補処(ほしょ)という
そこで、親鸞聖人の登場「親鸞和讃」の中に出てくる
真実信心 うるゆえに
すなわち 定聚(じょうじゅ)に
いりぬれば
補処(ほしょ)の弥勒に おなじくて
無上覚(ほとけのさとり)を
さとるなり
阿弥陀仏の本願に救われ
本当の幸せになった人は
弥勒菩薩と同格になる
その上「浄土(ここ)」で
「弥勒!お先にご免~」と
弥勒菩薩より先に
仏のさとり(無上覚)を開くのだ
これほど幸せがあろうかあ~~~
やっぱり、親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」を
グイっと鷲づかみに懐に入れ
「親鸞一人がためなり」と闊歩されていたんじゃね
親鸞聖人は新潟に流され、日々の食べるものを得るために
地元のお百姓さんに頼み込み、一緒に「鍬」を上げ
荒れた大地に「鍬」を下ろしては大地の開墾を
されていた、「頭」でのお話ではなく
「大地」からの「南無阿弥陀仏」をひろめられた
その時作られ、近隣のお百姓さんたちと一緒に
「田植え」をされたときに歌う歌を作られていた
親鸞聖人の「田植え歌」
五劫思惟の苗代に
(ごこうしゆいの なわしろに)
兆載永劫のしろをして
(ちょうさい ようごうの しろをして)
雑行自力の草をとり
(ざつぎょう じりきの くさをとり)
一念帰命の種おろし
(いちねん きみょうの たねおろし)
念々相続の水ながし
(ねんねんそうぞくの みずながし)
往生の秋になりぬれば
(おうじょうの あきに なりぬれば)
実りを見るこそ
(みのりを みるこそ)
うれしけれ
(うれしけれ)
これを口ずさみながら、皆で「田植え」をする
なんとも、すがすがしく和気あいあいとした
田んぼの風景が思い浮かぶねえ~~~
これが阿弥陀様の「お浄土」の世界じゃろうなあ~~
弥勒菩薩様も「横超」(あっという間に超えている)
されてたんですねえ~~~