『江戸の坂・東京の坂』その67。須賀神社から元の道まで戻り、新宿通り方向に歩く。遠くからは坂に見えないが近くに着くと一旦下り、さらに新宿通りの手前からは緩い上り坂になるが、これが『女夫坂(めおとざか)』。
大田区上池台のように夫婦坂と書く坂も多いが、一旦下り、次に上り坂になる地形にはよくこの名前が付けられる。
新宿通りまで出て、四谷方向に少し歩くと左に曲がる比較的広い道がある。これが下り坂になるが、最初はまっすぐ、そして左手に曲がっていく。周りはお寺ばかりだが、この坂道も『円通寺坂』。やはり、円通寺は坂下にある。
道をさらに行くと左に曲がる急坂がでてくるが、これが『東福院坂』。これも坂の途中に阿祥山東福院に因んだ名前で、須賀神社が牛頭天王社と呼ばれたため、天王坂の別名もある。確かに反対を見ると須賀神社への石段が見える。
また、元に戻り、少し先にあるのが『観音坂』でこれも坂の途中にある真成院の潮踏観音に因んだ名前である。
今では考えられないが、江戸以前は四谷あたりは潮踏の里といわれ、潮の干満で台石が湿ったり乾いたりしたため、こうした名前が残っている。
四谷あたりには寺院や神社が数多くあり、これらの名前のついた坂道が多い。新宿通りからでは想像もつかないが、1本入るとまだまだ江戸情緒をのこす場所がこの辺りにはある。普段よく飲みにくる
だけではわからない世界が広がることを実感できた。