
『東京の坂、日本の坂』その238。前回に引き続き野毛山付近の坂道。願成寺坂を登り切ると眼の前に県営藤棚団地が現れる。
(最初の写メの地点で①願成寺坂、②尻こすり坂、③神中坂となる)


この交差点は3方向に下り坂、つまり頂点となっていて右に曲がると『神中坂』となる。少し行くとソメイヨシノが4本植えてある場所に石碑があり、『神中、神高、希望ヶ丘高発祥の地』と刻まれている。


県立希望ヶ丘高校の前身は1897年に神奈川県最初の県立中学として創立された神奈川県立尋常中学校であり、その後、神奈川県中学校,神奈川県第一中学校、神奈川県立第一横浜中学校と変遷、戦後は横浜第一高等学校、そして1950年に希望ヶ丘高校となった。石碑の先から急な下り坂となるが、この神中から『神中坂』と名付けられた。


再び先ほどの交差点まで戻り、そのまま先に行く。長く起伏の激しく、また660mと長い坂だが、『尻こすり坂』と名付けられている。これは勾配がきつく、また上り降りが交互に出てくる坂のため、車を引く人がお尻で制動しなければならなかったため、付けられた名前である。


藤棚団地前からはわずかに坂を登り、急な下り坂となる。再び上り坂となり、次の交差点手前では『急坂角度20度』の注意標識がある。再びその先は下り坂となり、さらに上り坂と続く。最後の坂を登り切ると野毛山動物園の入口横に出る。

ほぼ真ん中の交差点を右(当初から見て右)に曲がりしばらく歩く。道は左右に曲がりながら一本松中学校を越えたあたりを左に行く細い下り坂を行く。


この坂が『丘友坂(きゅうゆうさか)』である。細い坂道ながら左右に曲がりながら下る坂である。名前の由来は途中に『霞ヶ丘丘友会館』があるゆえついた名前である。



坂は左側はほぼ崖地、右側には住宅、もちろん一方通行だが、この坂道を毎日歩いて通勤通学するにはきつい道である。途中に見事な源平咲きの木瓜を見つけた。(以下、次回)