放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

泣き出しそうなお空のかなたに・・・

2010年04月15日 23時35分34秒 | 肝苦りぃさ
 あのいたたまれないお別れは、いまも僕らに灰色の影をかげかけている。

 子の死は切ない。切なすぎる。
 いまごろは残されたお父さん・お母さんもぽっかりと空いた家族の席を痛々しく眺めているのだろうか。
 くやしさとさびしさに耐え続けているのだろうか。
 
 お通夜に伺ったときに聴いた読経がときどき心によみがえる。
 
 ふしぎと朗々とひびく、まるで歌のようなお経だった。


  西のかなたに大安心がまっている
   そこには善知識がみなあつまっていて
    おまえのことも拒んだりはしない

  遠大な砂漠と紺碧の空のかなた
   神聖と清浄とやすらぎと再生
    おまえならすぐにたどりつくだろう

  ひとつ小さな道標をおいておいた
   砂漠につけた一つのくぼみ
    オアシスの陰の一本のタマリスク
     遺跡の天頂のひとにぎりの砂
  
  そんなものは本来必要ないのだが
   それでも心が迷ったら
    さがしてみるといい

  自分の旅路に終路があることを思い出すだろう

  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
   大きく広げるだけでいい
    それは翼となって
     青い天空をすべってゆくだろう

  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
   有無の境涯がおまえを本当の自由にするだろう

  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
   光と虚無へ
    とくと参れ


 読経のきれぎれの単語から勝手につづりあわせたものだが、坊さんがこのようなことを言っていたように僕には思えた。
 そして、砂漠のはるか上空を、優雅に滑空してゆくような幻想さえ思い浮かべていた。

 棺のなかにあるのは、機能を停止したユニット。
 たしかに気の毒な結果になってしまったが、あの子はもうここにはいない。
 あの子にはもう新しい何かが始まっている。

 僕たちも歩き出さなければならない。
 新しいなにかに出会うために。
 とりあえず精一杯生きつづけなければならない。

 それが生きているものの務めなのだから。       
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