日曜日、角田へお見舞い。
お義父さん、昼前に便がでたようで、すこし顔の表情がゆるんでいた。
「末期ガンの疑い」から一転、「ポリープ」または「リンパ腫」ということになり、すこしだけ悲壮感が和らいでいるこのごろ。
といっても、腫瘍による動脈の狭窄は依然として問題。
腹部奥の動脈にびっしりと腫瘍があり、これが脳にも転移している。
悪性ガンのように組織を侵しているのではなく、ポリープだから動脈瘤なっているらしい。
どっちにしても老体(82歳)に悪さをしている状況には変わりはない。
いつ動脈が破裂するか、または血流が狭窄に阻まれ組織(特に脳組織)を壊疽させていかないか心配事は尽きない。
いまは落ち着いているが、生活環境がかわると混乱するらしい。入院すると、すぐに譫妄状態(まだらボケ?)となり、何処にいるかもわからなくなる。
いちど、譫妄状態のひどい時に付き添いで病院泊したことがある。
やっぱり一睡もさせてくれなかった。
点滴の針は引っこ抜く、尿管も抜こうとする。「帰るぞ」といって起き上がる、検査手術(開腹手術だった)の痕を指でほじくる。
これが一晩中である。
看護婦さんも眠剤入れてるのに眠らないものだから、どうにもお手上げの様子。すっかり放っておかれた。
なるほど、いまの貧困福祉社会では「完全看護」という言葉は死語だと聞いたがホントだ。家族の負担はちっとも軽減しない。
・・・ってなわけで、在宅介護の日々である。お義父さんは上機嫌で、譫妄状態から開放された。
それでもお義母さんは眠れない日を重ねているようだ。
そんな義父母のためにいろいろ動いてくれた民生委員さんがいる。おかげさまで介護保険も適用になった。
以前からお野菜もずいぶんわけてもらったし、畑仕事の体験もさせてもらった。
ありがたい、ありがたいひと、
その人が、今度はガンになった。
胃から肺に転移しているらしい。
末期のようだ。
日曜日、角田に顔を出したのは、そのお見舞いを兼ねていた。
すると、夕方、仙台に帰ろうかというときに、畑に誘われた。
いってみると、あの人がスコップを持って作業している。
子供たちと一緒に駆こんでいくと、奥様の笑い声が聞こえた。
「ごめんねぇ、いま(仙台に)かえるとこだったんでしょ?」
「いえいえ、却って恐縮ですぅ」
明るい雰囲気にちょっとホッとした。
大きなビニール袋に掘ったばかりのネギをどさっと分けてくれた。
「こいづさ、バケツとかに移してすこし土を入れておくと長持ちすっから。」
「はぁい」
ご主人が力強くスコップを畝に刺し、ひとすくい土を取ってビニール袋に入れてくれた。
「重いぞ、大丈夫か?」
「平気」
子供たちがヨッコイショと担ぐ。それを見てまたすこし笑ってくれた。
僕は、命を分けていただいたように思えて、胸がいっぱいになってしまった。
「じゃあね、元気でね。」
奥様が言った。ご主人も優く笑って見送っている。
元気でね、の意味を計りかねたが、「ご主人もお体大切に」と答えた。
お互い、短い言葉にいろいろな思いを込めた挨拶になった。
「食」ってイノチを頂くことなんだ、とは小理屈ていどに解っていたつもりだったが、これほど身に沁みたことはなかった。
おかげさまで健康に暮らしています。
病気にもかからず、怪我もしていません。
ありがとう、ありがとう。
いま、イノチを頂いています。
お義父さん、昼前に便がでたようで、すこし顔の表情がゆるんでいた。
「末期ガンの疑い」から一転、「ポリープ」または「リンパ腫」ということになり、すこしだけ悲壮感が和らいでいるこのごろ。
といっても、腫瘍による動脈の狭窄は依然として問題。
腹部奥の動脈にびっしりと腫瘍があり、これが脳にも転移している。
悪性ガンのように組織を侵しているのではなく、ポリープだから動脈瘤なっているらしい。
どっちにしても老体(82歳)に悪さをしている状況には変わりはない。
いつ動脈が破裂するか、または血流が狭窄に阻まれ組織(特に脳組織)を壊疽させていかないか心配事は尽きない。
いまは落ち着いているが、生活環境がかわると混乱するらしい。入院すると、すぐに譫妄状態(まだらボケ?)となり、何処にいるかもわからなくなる。
いちど、譫妄状態のひどい時に付き添いで病院泊したことがある。
やっぱり一睡もさせてくれなかった。
点滴の針は引っこ抜く、尿管も抜こうとする。「帰るぞ」といって起き上がる、検査手術(開腹手術だった)の痕を指でほじくる。
これが一晩中である。
看護婦さんも眠剤入れてるのに眠らないものだから、どうにもお手上げの様子。すっかり放っておかれた。
なるほど、いまの貧困福祉社会では「完全看護」という言葉は死語だと聞いたがホントだ。家族の負担はちっとも軽減しない。
・・・ってなわけで、在宅介護の日々である。お義父さんは上機嫌で、譫妄状態から開放された。
それでもお義母さんは眠れない日を重ねているようだ。
そんな義父母のためにいろいろ動いてくれた民生委員さんがいる。おかげさまで介護保険も適用になった。
以前からお野菜もずいぶんわけてもらったし、畑仕事の体験もさせてもらった。
ありがたい、ありがたいひと、
その人が、今度はガンになった。
胃から肺に転移しているらしい。
末期のようだ。
日曜日、角田に顔を出したのは、そのお見舞いを兼ねていた。
すると、夕方、仙台に帰ろうかというときに、畑に誘われた。
いってみると、あの人がスコップを持って作業している。
子供たちと一緒に駆こんでいくと、奥様の笑い声が聞こえた。
「ごめんねぇ、いま(仙台に)かえるとこだったんでしょ?」
「いえいえ、却って恐縮ですぅ」
明るい雰囲気にちょっとホッとした。
大きなビニール袋に掘ったばかりのネギをどさっと分けてくれた。
「こいづさ、バケツとかに移してすこし土を入れておくと長持ちすっから。」
「はぁい」
ご主人が力強くスコップを畝に刺し、ひとすくい土を取ってビニール袋に入れてくれた。
「重いぞ、大丈夫か?」
「平気」
子供たちがヨッコイショと担ぐ。それを見てまたすこし笑ってくれた。
僕は、命を分けていただいたように思えて、胸がいっぱいになってしまった。
「じゃあね、元気でね。」
奥様が言った。ご主人も優く笑って見送っている。
元気でね、の意味を計りかねたが、「ご主人もお体大切に」と答えた。
お互い、短い言葉にいろいろな思いを込めた挨拶になった。
「食」ってイノチを頂くことなんだ、とは小理屈ていどに解っていたつもりだったが、これほど身に沁みたことはなかった。
おかげさまで健康に暮らしています。
病気にもかからず、怪我もしていません。
ありがとう、ありがとう。
いま、イノチを頂いています。
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